春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

1 小坂村・太田家

2015-10-13 03:55:02 | 節三・Memo


明治37年、建設中の鉱山事務所



喧嘩、喧嘩、喧嘩、喧嘩し続けた男、節三。
1919年(大正7年)中央大学を卒業するまで続く。

節三は太田家9代目新助とクニ夫妻が生んだ10人目の子供で末っ子。
母40歳の時の子供。

大田家は、旧南部藩の氏族で、
「小坂村の大田家」と言えば秋田県県北では知らない人はいなかったという旧家でもあった。

田畑は50ヘクタールほどと地主としては少ないが、
山林・原野は「地区一帯、果てしないほど」といわれる、
千ヘクタールも所有し、屋敷の周りは石垣と杉林で巡らし、
4000㎡の屋敷には147坪柾ぶき屋根の邸宅に100坪の池と
その周りには,松や杉、
モミジの巨木が鬱葱とした森のようだったという

鹿角郡小坂村は1861年一人の農民が鉱山を発見し、
金、銀を採掘した。
後、南部家が1877年政府から借用して、
本格的に採掘の経営を始めた。
鉱山で働く飯場の無届住民は何千人と膨れ上がり(3000人以上)、
節三の生また1897年(明治34年)て
数年後には銀の生産高は日本一になるほどの
県内では秋田市に次ぐ繁栄地ともなった鉱山の村である


長男、戍太郎とは23歳、
すぐ上の兄、六男六郎とは2歳の開きがあり、
節三の幼少期は兄姉からは、
親とは違う思いの「いつまでも子供」という環境の中で育った。

コメント (2)
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