春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

庄内砂丘で・・・山形県鶴岡市。

2022-07-27 21:48:06 | 散歩

「砂の女」を探しに、砂丘に行ったのですが。
2019年、まだコロナ騒ぎがないころでした。

ハマナスの群生地があって、
野ブドウがなってた9月でした。






千葉から旅行で訪れた学生が、

離岸流に飲まれて、
亡くなった1週間後のことでした。

学生が短い命を落としたのは、
山形県庄内砂丘の海岸、
砂丘には、群生するウンランが、
青年の命の代わりに目一杯、咲いていて・・・



青森の大学で、
講演を終え、汽車の中で見た、
週刊誌のグラビア、
作家・安部公房さんは、
赤い番傘を吊るして、
食事する異様な写真に、魅かれ、
途中下車をして訪れたのが、庄内砂丘でした。

彼は、上京して「砂の女」を、

一気に書き上げたという
映画にもなって、岸田今日子さんの、
裸体に滑る砂の官能美と、
共同を嫌う都会の男と、
共同体がなければ生きられない女。

水の採集に成功して、
7年、今更逃げることもないと、
共同体を受け入れ、砂の生活を選んだ・・・・。

人は誰でも、心の中、一人では生きられない、ね ‼








50年前の砂浜は、
100ネートルも沖だつたと・・。










👆少女の母親が教えてくれた、
最近、女になったんです・・と。

少女が私に昆虫を見せてくれた。





👇日暮れ前、見つけた桜貝は、大桃花貝?



倍賞さんの最近の顔を見ると
しめた・・と思う
同じように顔に年輪、仲間が増えた

愛おしさが増してきます 

♪ さくら貝のうた ♬

 



学生が最後に、
歩いてた、波消しブロックまで。














👇庄内砂丘の傍に住む、青年たちは、
この地を離れるつもりは、ないと、
砂は放っておけば、家は、
砂の中に埋もれる、
けれど、ここが好きです・・
ここで生きていくと・・・
目元が涼しい、人たちでした

来春に訪れることを約束したのに、
翌年からコロナの騒ぎ、約束を果たしてなくて・・。


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大瀬岬の守護神、大瀬神社。静岡県沼津市。

2022-07-24 12:21:15 | 散歩


何をやってんですかと、言われても、
鼻歌は、なんで草は伸びる・・のか
夏、元気なのは、草だけ~・・と。

ところ嫌わず生えてくる草。
昨日は、2時間ばかり、

仕事場の出入り口で草むしりでした。
お陰さまで、昨日は爆睡。

差し入れの八つ橋が、
今朝は生ぬるい。今のところ腹痛なし・・で
大瀬神社。
2日前、近くの山からの土砂が流れて、
海水浴場は遊泳禁止になった、
テレビのニュースに、ちと心配でした。



👇7人家族の子ら、
ベンチでいつまでも見ていました。



大瀬海岸の130本のビャクシン(白慎)の群生地に、
駿河湾を見渡せる丘に、
火災で焼失して、
昭和初めに建造された大瀬神社があります。

祭神は、昔、土佐の地震で盛り上がった、
土地を引いて伊豆に持ってきたという、
引手力命。

歴史は古く、源氏の再興を願って、
為朝さん、頼朝さんが、
弓、矢、兜を、宗近の名刀を、
政子御前は鏡を奉納したと謂れ、
度々の地震、津波がなければ、
見ることが出来たでしょう・・。

👇駿河湾漁民の、守護神の大瀬神社




赤いふんどしを奉納して、
祭りは男が、白粉子を塗って、
朱い襦袢を羽織り、伊豆の各地の漁港から、
幟を立て、チャンチャラオカシと囃子に、
漁船のパレードが・・。


彫刻は、伊豆の松崎町の方と・・
出かけたのですが、詳しい資料は無かった・・。














地震が多い伊豆半島
ビャクシンの群生地が、神社が
無くならないよう、
祈りたいです
訪れた一昨年、今のところ
無事





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大瀬海岸。 静岡県沼津市

2022-07-21 21:33:38 | 魅せられた!

仕事が終わって、また仕事。
今年の年頭で練った予定を、
ことごとく破ってる。

時間が余ってる方が、いらしたら、
少し裾分をして頂きたい ‼
高価買取、売って損は無しです。

静岡県沼津市から伊豆半島を下って、
40分ばかりところ、大瀬海岸、
ここがビャクシンが繁る最北端。














👆👆👇👇なんでこんな生え方をする?
















海中生物700種類
サンゴも見れて
シュノーケルがあれば、
浅瀬でもきれいな魚が、近寄って、
1年を通して、

スキューバーダイビングのメッカ


僅かな金と、暇が出来たら、
もう一度、もう一度
行きたい大瀬海岸

おととし行ったばかりなのに

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わたらせのせせらぎに、祥禅寺。群馬県みどり市花輪。

2022-07-18 22:08:00 | 社寺

仕事場から帰ってテレビ・・
これが良くなかった。
もう、今日のブログは出来上がってたはずなのに、
平野レミさんの料理番組を見てしまった。
なんつったって、楽しい・・。

納豆にトマトにパクチーの上に生卵・・
湯がくそうめんにエノキタケも入れて・・
鶏肉のひき肉に玉ねぎ炒めて生卵の親子丼・・

あみだくじは、どれになる?
忘れずスーパーに・・

👇みどり市花輪の祥禅寺、
彫り師、関口文治郎の師匠・石原吟八郎さんと、
師匠の師匠・高松又八さんの、お墓があるところ。








👇今、無縁墓になった墓石をまとめて、
わたらせ川の流れを見られるようにして。


沼田藩の家臣だつた、蜷川佐平太さん、
改め、高松又八さんの資料が残ってるお寺。
花輪彫刻集団は彼がいなければ、
群馬県・北関東の、
江戸中期、後期の社寺の彫刻は無かった。
それほどの方だったと思います。





👇墓地へ、



👇左側に左側に高松又八さんが・・



上のお墓から5~6メートル離れたブロックに、
👇石原吟八郎さんが・・。








何度も訪れた祥禅寺、
今年になって、ようやく本堂に入って、
内部の欄間を撮る気になりました
(小心者です)
快く受け入れてくださった、
お庫裏さん👇は住職の介護もしているのに、
撮り終えるまで、付きあってくださいました。



彫り物師は最近の方ですが、
左下の墨書は、この欄間の御施主さんの名です。









2022年5月28日の記録でした


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竹林の風に、文治郎の墓参り。

2022-07-17 19:06:50 | 社寺


♪~ Stargazers ~♬
星に願いを
Omar Akram 




勢多郡東村。
1700年初頭から彫刻集団を形成し始めた村。


1743年花輪へ2つの峠を越えて12歳の少年が、
あかぎれの指に小さい仏像を抱えて、
東照宮の飾り彫刻の修繕を手掛ける、
公儀彫物師・石原吟八郎さんののもとへ。
即決、弟子を許されました。

以後、独立した後も吟八郎さんが亡くなる
1767年、最後も看取ったのが、関口文治郎。

彼の遺骨は、黒保根村の医光寺に在ります。
医光寺は文治郎が、師匠を失って傷心のまま、

隠れるように一人、
21歳の時から、欄間に彫刻を施したお寺。








👇その一部です





















関口文治郎、榛名山の
榛名神社の海老虹梁の龍を彫り上げ、
一度は給金の全額を、受け取りながら、
一年後、彫物代金を全額、寄進した実話。
更に一年後
妻と子ら、ライバルらに看取られて・・・・
1807年7月17日、享年77歳。
平成30年5月、近くの関口家墓地から移して、
子孫たちと一緒に・・・・



花輪宿で会ったネコ、
私はこの猫の名を、文治郎と名付けてました。
2022年5月、墓参りの前倒しで、

訪れた時は、もう居なかった・・‼
今日だったら居たろうか
・・・・・






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八王子の散歩  子安神社。

2022-07-16 22:52:29 | 散歩






天から降ってきた男が、
綺麗な人に恋をして、嫁さんにと娘の父に、
父君、姉も一緒に貰ってくれと・・・

姉を差し出したところ、
果報者の男、妹に比べてブスの姉を送り返してしまい、

姉さんイワナガ姫は呪う・・。
私の子供を産めば、
岩のような頑丈で長生きできたでしょうに・・、
妹だけを選んだなら、生まれる子供は、
木の花のように、はかなく散ってしまうでしょう・・と。

一夜を共にして宿ったお腹の子は、
ほんとに自分の子かと・・
我儘で猜疑心の強い天から降った男に、
妹は・・・

産屋に火をつけ、その中で子供を産んで、
神の子だと証をたてた。
妹の名はコノハノサクヤ姫。

人の命は石のように長く続くものではなく、
短いものだと・・・
彼女の孫に神武天皇が・・・。

神話の話はベランダ、掌に夜露の
色とりどりに照らして、
今夜はノンアルコールビール。

木花開耶姫命を祀って、
奈良時代、759年に橘右京少輔が、
当時の天皇の后の、安産を祈願して創建したという、
八王子繁華街から、ちょっとだけ外れて

👇子安神社。



雅子皇后は愛子さんが安産であるようにと、
祈願をした神社で、1250年の歴史。








武蔵風土記に書かれてる末社は五社。
しゃもじを納めて、咳止めの神に・・
石神社
梨か絵馬を納める、歯の守り神の白山神社
油あげで商売の神は、稲荷神社
絵馬で、眼が良くなるようにと、
御嶽神社
そして、
第六天神社



足腰の神様には、履物と杖を納めて・・・👇
安産だけではなく、
中年になって、たくさんの人が患う、
身体の軋みを、取り除けますようにと・・・。


出た
子安の大神・木花開耶姫命さん像。








八王子は明治になって2度の大火があり、
今の社殿は、その後に再建されたもの、
懸魚の金飾りの模様、ハート型は、
火の使いの神猪の眼を表していて、
♫  猪目・いのめ  ♪ と呼ばれ、
火伏の魔よけです。
多くの神社でかざられて・・・。


生まれる子が、健やかに過ごせる、
世であってほしいものです。


最初と最後のドライフラワーは
子安神社の鳥居の傍にある、店舗で

👇は、へまをして
撮っってしまった、自分の傘





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八王子・武蔵野陵 むさしののみささぎ 

2022-07-14 21:23:07 | 散歩


甲州街道、八王子追分から高尾駅まで、
4キロばかり銀杏並木。
1929年に植えられた770本。




一昨日12日、小雨の朝でした。
信号、多摩御陵入口を右に曲がれば、
欅の街路樹から公園が、
南浅川の土手に・・・。










高尾山あたりから流れる、
南浅川の白い橋からは、高尾山が見えて、






1キロの欅の街路樹。



私は、
大正天皇と貞明皇后の陵、
多摩陵と多摩東陵、

昭和天皇と、香淳皇后が眠ってる
武蔵野陵と武蔵野東陵に向かってます。





池を見た後は、京都の北山杉の並木が150本。
鬱蒼としていて、
びり砂利が敷き詰められていて、
歩経路は樹脂舗装が施されていますが、
皇族はこの歩きづらい、
びり砂利の真ん中を、500mばかりの、
多摩陵と武蔵野陵に、挨拶されます。



👇1926年(大正15年)12月25日に崩御した、
大正天皇大正天皇多摩陵が・・


少し低めの陵は、
1951年(昭和26年)5月17日に崩御した
貞明皇后の多摩東陵が、





👇1989年(昭和64年)1月7日に崩御した
昭和天皇の陵は、さらに低く、
木立を避けて、上円部はなだらかで、

威圧感がなく、身近な心地に・・・



👇2000年(平成12年)6月16日に崩御した、
香淳皇后の武蔵野東陵には、
皇后が好きだった桃、バラなどが植えられている。



浸食共にした二人の陵は、
こんなに離れてる、
なんか、こう、胸が痛い・・・・ね ‼





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桑都八王子市、河童の散歩 ①

2022-07-12 21:46:15 | 散歩

高気圧も嬉して夏バテ気味ですと、
曇りに雨の知らせもありましたが、
何日かぶりの八王子市の駅前に・・・。
撮りたてのファイルは、
なんとも小気味がいい。

甲州街道の宿場町、
武田信玄さんの四女、松姫が、
山梨から敵の目を掻い潜って、八王子に住んで、
蚕を育て、信松尼として、多くの人たちに、
織物を教えました。
👇桑の都は織物の町。そうとのみやこ。

大学も高専を含めて23校の11万人が、
八王子に住んでいて、
学園都市としても・・・・。










































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心に残った北関東の社寺⑦ 月夜野神社 群馬県利根郡みなかみ町。

2022-07-10 09:22:38 | 心に残った北関東の社寺


夜中の雨、気づかず13時間の熟睡、
部屋の向こうで、
家の馬鹿亭主がさあ~
おや、あんたとこもかい・・
うちもだよ・・

寝惚け眼、明けた冷蔵庫の中から、
カウンターパンチ。

合鴨のローストと、玉ねぎ、 ニンジン、ブナシメジは、
前に買ったものと、同じ物、所せましと、
それぞれが、井戸端での会話、

買った主を罵り合ってる。
焼が回った、河童の日曜日。

開き直って、小さな旅の
テレビの画面に、冷蔵庫の中の妻たちを、
差し置いて、
冷や麦の朝食・・・うまい ‼


群馬県利根郡みなかみ町月夜野。
ホタルの里、みなかみ町、
月夜野、きれいな名の地名。

早朝訪れたのは、2019年11月15日、
月夜野神社。





沼田藩の真田伊賀守信利さんが
開創したという、神社。






後世の、朱塗りの神楽殿が、
朝陽に眩しかった。





近在の吾妻谷神社から曳家にして運んだ、
本殿は1792年、ここに。
誰が彫ったか知れず・・・そのことが、
気持ちを和らげてしまう。
















月夜野さんの看板も嬉しい
社殿の建築仕様の説明に
忘れてた部位を
思い起こしてくれる


贅沢な造りではないけど
神楽殿の前では
4月には今も太々神楽踊りが
氏子さんたちが準備する光景が
浮かんできます
月夜野神社






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心に残った北関東の社寺 ⑥  雷電神社、群馬県板倉町。

2022-07-07 22:52:24 | 心に残った北関東の社寺

群馬県、栃木県と茨城県の県境、
雷の季節になると、渡良瀬川と利根川の水害も多く、
徳川家光公の4男、
館山徳川家初代藩主の徳川綱吉さんは、
民を水害から守るのに1674年、
聖徳太子が創建した小さい祠を再建して、
でっかく造ってしまいます。
更に、社殿を改装したのは、1835年。

そこへ、2年前埼玉県小川町の八宮神社の
彫物を終えた、石原常八主信さんが、
駆け付けた。売れっ子であった。49歳。
弟子たちも多く、晩年には金に困って、
借金もした。

郷土の料理は、鯰料理、
雷電神社に置物があって、地震の災難除けにもなり、
触ると自信が着くとも・・

石原常八主信さんのおとッつぁんも彫り物師で、
花輪彫刻集団の礎を築いた石原常八雅詖
まさともさん、
沢山の彫り物を残したけど、
ほとんど火災に遭い、残って確認できるのは、
八王子市、高尾山の薬王院に施した、彫り物だけ。




花輪彫刻集団の特徴は、
海老虹梁に絡みつく龍。
胴羽目には、中国の故事を取り上げてる。

群馬県邑楽郡の雷電神社には、
胡粉下塗りの跡があって・・・、
エキゾチックな雰囲気。














徳川家の三つ葉葵が・・・





















2018年8月1日訪れた、
板倉町雷電神社、縁下に施した龍の意匠が、
神を祀った神社を火災から守ろうとした、
デザイン・・ウン ‼
それが心に残ったと・・。



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