1767年、
彫刻大工、前原藤治郎と小倉弥八が、
本殿胴羽目が背面を彫った後、冠稲荷神社をあとにする👇。
1815年、本殿側面の胴羽目を彫ったのは、
飯田仙之助、藤原義長、小久保仙五郎。
45年後、本殿の3方が彫刻で埋まる👇。
まもなく、明治。冠稲荷神社は、
後世、天皇家の仕事をするとは思いもしない、
彫刻大工に、日高聖天宮を彫らせる。
1857年
伊勢崎下渕名生まれの弥勒寺音次郎、音八親子。
飯田仙之助の門人で腕前はたしか
音八はこの神社を胴羽目を彫った跡の4年後、
笠間稲荷神社を任され、
明治になって皇居賢所造営の棟梁にもなって、
表玄関車寄せの正面に「菊花紋」を彫るまでになった。
絵師の腕前もあり、号を「向松新椿雪」としている。
300年を超える木瓜が、
近くに住んでいた、高山彦九郎が日々、訪れ、
彦九郎が久留米で自害の後、
彦九郎の家は、社務所になった経緯、
冠稲荷神社は新田義貞、高山彦九郎と切り離せない神社。
義経の平泉下向の際、冠に入れた勧請、
伏見神社の分霊を鎮座したという・・・。
キャスト
源義国 ❝1125年❞ 創建
源義経 ❝1174年❞
新田義貞 ❝1333年❞ 必勝祈願・冠の名付け親
協賛
高山彦九郎
背景制作
1767年・前原藤治郎・小倉弥八、
1815年・飯田仙之助・小久保仙五郎・藤原義長、
1857年・弥勒寺音次郎・弥勒寺音八。
花輪彫刻集団系列
写真 2018.10.7 太田市・ 2018.10.23 花