春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

雪解けの河口湖畔散歩

2019-12-31 06:59:18 | 散歩

昨日で仕事の一区切りを終えて、
背筋を伸ばしている朝です。

「大叔父・太田節三の慕情」から、脱皮?し、
ブログタイトルは「春・夏・秋・冬・河童の散歩」に
替えて、清水崑さん・小島功さんの漫画の河童のように、
ひょうひょうと時を過ごしていこう、
と、思ってるところです。


👇河口湖オルゴール美術館の、
階段の壁にあった「荻須高徳」さんの素描です。
ブラマンクの影響を受け、
佐伯祐三さんらと荒々しいパリの街角を描いた作家。






👇美術館内の展示(なんのための衣装だったか忘れました)






















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オルゴール美術館、河口湖。歳の瀬「無事これ名馬」

2019-12-28 21:50:10 | Extra

オルゴールの蓋を開いて、音色にうっとりするという、
感覚が理解できない・・・音色に好きという女性が、
嫌いということにではなくて・・・・で・・・・。
と、書いて、コーヒーを入れながら、
今年を振り返ってみたら、
サッパリ思い出さないことに、目をパチクリ。
今日と明日の予定は判るけど、
昨日のことまで忘れてる。
気にしていない、今始まったことではなく、
来年は仕事をセーブして、
山に登ろう、などぽっかり登山姿の自分が、

浮かんでくるあたり、
「無事これ名馬」と頬杖ついて自賛。
一年、元気で過ごせたと・・・。。

本題・河口湖に出かけて寄ったオルゴール美術館。
自動演奏機なら、持っていた。
寝返りを打つたびに音程が違う、目覚まし時計。

中世の王侯貴族が癒しの
音楽を楽しむのに呼んだ、演奏家たちからの、
プライバシーを守るために多額の出資をして、
オルゴールを造ったとパネルで知った。
1200万円で売り出していたオルゴールの響きは、
金属音キンコ、カンキン、カンとは程遠く、
オーケストラの生演奏のような地響きがした。

👇これは絵で「木漏れ日」の題でした。







FOR SALR 価格、4,860,000とあった。
蓄音機とオルゴールの兼用で、マホガニーの材で,
アメリカのコロンビア社が制作したもので,
資料としても貴重なものらしいです。
ノンアルコール、45,000本飲めると下衆を丸出し。
























👇男性に手を伸べている姿、
私はこういう場面には、何時でも、ジィ~ッ、と見る、
癖があります。







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母の白滝は部富士山の身祓いの滝。浅間神社・河口湖

2019-12-26 21:38:41 | Extra

昨日25日、ケーキスポンジの香りを一つ、
買わない、近所の洋菓子店のケースを覗いて、
美術館のラウンジでなら、
食事の後の注文できると、
出掛けた河口湖のオルゴール美術館。

甘かった、周りは女性と家族、カップルで、
王子の貴公子、コンビニの菓子パンを買って、
母の白滝神社へ。
湖畔の浅間神社で、富士登山の安全の祈願する前に、
平安時代の頃から身祓いをしていたという、
「母の白滝」

雪が残る登山道を登る若いカップルは数組。
観光気分の女性には、
気の毒になるほどの距離です。
登坂、私の車を避けて雪の上によけてくれたカップルの、
下山には二人の見物を待つて、

サンタクロース、贈り物とばかり、
声を掛けずにはいられなかった。







母の白滝・水量が少なかったようです。


















神社の周りには、樹齢800年以上の杉の木ばかり、
壮観でした。
今年もあと数日。体調に気を配って・・と。


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メリークリスマス。配達に疲れてサンタ。

2019-12-25 19:31:38 | Extra


昨日は、いっぱい子供たちに贈り物を届けた。
そりに乗れないので、荷車を引いて・・・。
今年のクリスマスもあと後数時間だけど・・
チョット眠くなった。





甲州のワインをちょっと飲んだら・・
ますますねむくなつて・・・
明日の夜まで、寝かせてほしい!

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赤レンガ倉庫に、水墨画、四季を彩なす花物語。

2019-12-22 21:43:21 | Extra


雨上がりの横浜、
一時、通い詰めた赤レンガ倉庫へ出かけました。

gooブログでは、ご存知の方も、
いらっしゃるのではないでしょうか。
各地に、水墨画の教室を持ち、
ラジオのパーソナリティーも務めていらっしゃいます。

横浜の建物で一番好きな「横浜開港記念館」を、
一枚だけ撮って、


赤レンガ倉庫に降りてくるサンタは今年も降りようとしていました。
今年も綱を引いてです。



121組のアーティストが参加した、
「聖夜に燦めくアートの光」

👇新聞紙で作っていた、よく見ると、株式のページで、



👇若者が、じっと見ていた水墨画、




作者のコメントがありました。

四季を彩なす花物語

中井悠美子
墨彩画
見慣れた水墨画ですが、書を添えると、そこに和文化が息づきます。
ただ咲いて、ただ散って行く花々。驕らず、嘆かず、今その時を
生きる花々。花に教えられながら描きました。



昨年11月に上野美術館で初めて作者の原画を見ました。
作者は後日談で、何か変わらなければ、と言ってましたが、
その1年後、私は絵画に評価する言葉を持っていませんが、
感じ取れます、
見せるという意気込み・・
書を加えたというだけでなく、彩色にメリハリでしょうか・・。
 👇一年前に見た作品。









引っ張ってもダメ。
左足宙に浮いて、右足滑っても
チーズ屋台の前。


駐車場は、何時も「横浜新聞博物館」がある、
横浜情報文化センターへ・・。



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川場村、吉祥寺。(3-3)

2019-12-20 23:57:55 | 社寺
パソコンで投稿した記事の誤字を、
出先で、携帯から直そうとしたら、記事が飛んでしまい、
迷惑をかけてしまいました。今後は誤字は誤字のまま、
パソコンでの訂正が、私の良策とすることにいたしました。
投稿記事を読まれた方には、
同じ記事を見られますかどうか・・。

 
初めて訪れた、群馬県川場村。
 
木箱の角で出来た脛のカサブタの周りが痒く、
ついでに掻き始めて取れたカサブタに、快感「気持ちいい〜・・」
茶をすすり、パラりと開いた歌集のページに、
快感の余韻が、
凍り付いた。
 
胃の痛み耐えて朝仕の厨べに何かはかなく涙にじみ来ぬ
 
氷割りて汲む水清(さ)やにつぶら砂水底にかすかうごきゆく見ゆ
 
誰がために保ついのちぞ相見じと誓いし面に紅ひくあわれ
 
大正時代、博徒の父のくらし、生計の圧迫に耐え、
潔癖でありながらも、昏迷になるまいとし、
有名歌人が見せた、格調も、語彙の数さえ無くも、
男にはない情操の細やかさを、自然に、日々の生活に
人生の機微を死の直前、
七年間で千首を詠った歌集。
短歌に疎い私でも、捨てられなくなった、
「武尊の麓」より、「江口きち歌集」
 
兄、妹、父の生活を支え、
日を追うごとの困窮にあって不労の父を嫌い、
温泉に送り出し、
脳性麻痺の兄29歳の身体を丁寧に拭き、命を停め、
純白のドレスに着替えて、
大いなるこの寂けさや天地の時刻過たず夜は明けにけり
詠んで、青酸カリで、
自分の命さえ停めた「江口きち」25歳。
生れたのは群馬県利根郡川場村。

👇菩提寺ではないのですが、
 川場村吉祥寺の宝物館。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇釈迦堂
 
 
 
 
 
 
 

 
本堂、
正面障子を開いてくださった和尚さん、
「彫ったのは京都の人と聞いてます」と。
口を閉じた追い打ちの質問は自重するのが、
マナー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

とうとうと流れる・・水の吉祥寺、花の吉祥寺。

 
「 拝啓
 花の時期の訪れは失いましたが、
 枯れた樹々に枯山水も又、歴史の物語が鮮明に浮かび、
 深い感銘を受けました。
 私がしゃしゃり、描くでしょう記事の隙間を作って、
 誘いくださったこと、何時も乍ら感謝、感謝しております」
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煩悩なくしたくない、群馬県・吉祥寺(3-2 )

2019-12-18 15:56:09 | 社寺

身体の疲れが、思考能力の限界を過ぎて、
両手を伸ばし、横になったら3秒も持たず、
特効薬、「寝る」の世界を満喫した昨日。
目覚めて曇ってた眼鏡にをかけて、
「視力が弱くなった」と、ボヤキ・・、
気づいて「わしも、焼きが回った」と、
ぼ~っと、生きてる晴天の午後です。
 
 誘いを受けて、
訪れた群馬県の川場村「吉祥寺」
禅宗、「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」となれば、
煩悩に生きる私には、
楼門迄、なんとなく歩幅が狭くなります。


禅宗の楼門は、聖地と俗界の境界。
入り口の両サイドに、金剛力士か、四天王を祀り、
楼上には16羅漢を祀っている。
👆吉祥寺の楼門も立派。
👇勅額「青龍山」は鎌倉時代の最後の天皇、
後光巌天皇(1338~1371年在位)の直筆なのだそうです。
 

👇金剛力士が、
 
 
 
 
 
 
👇楼上には、
仏の正しい法を長く世に居て、
迷う人々を導けと、
お釈迦様を真ん中に、
煩悩をすべて断絶した最高の境地に達した16人。
 
 
 
 
 
 
 
 
頭を下げながら、煩悩、煩悩、煩悩無くなれば、困る。
今夜の「牡蛎雑炊」がいいと、決めたばかり。
 
 
楼門の階段で、
チョット嬉しい気分に・・。
木鼻の殻獅子が、ずり落ちないように支える  かすがい  が見えた。

 
大工棟梁と彫刻家の寸法取りの手違いか、
角の唐獅子がぴったり合わない施工。
精巧技術を誇るといわれる日本の技にあって、
不謹慎ながら、どこか親近感が生まれます。
 
 
 
 
👇唐獅子の指がクイット丸めたデザインも、
生まれたての赤ん坊の指を見た時の、
あの嬉しさが・・。

 
👇彫ったのは長野県小諸町から馳せた、
石工・小林虎之介さん。
長野県にはかなりの数の石工が、いたようですネ!
伊那高遠石工は集団化し、1187年、源頼朝から、
代々石細工職人として
日本国内で仕事が出来るとの許可をもらった、由緒書があり、
由緒に基づき、全国を行脚し、
青森県から山口県まで旅稼ぎをしている。
江戸城築城には、
八王子近郊にもかなり定住していた記録があります。
 
 
 
 

 
雪の武尊山の麓、頼朝と阿波姫の子、
大友能直の子孫が創建した吉祥寺は、
小高い山の向こうに・・。
 
 
👇川場かるた散策 ・・ 枝分け巨(おお)き、姫子松。

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白百合を手に、武尊山の麓、阿波姫の吉祥寺。(3-1)

2019-12-15 21:48:33 | 社寺



 



流謫のあなたとは云え、あなたのやさしさに、
心惹かれ、顔見ぬ命を持つ私に、
命令となれば従わざるを得ないのは判っていても、
古庄郷の他家に、嫁げとは余りに心ない仕打ち。
 
煌々と冴えわたる月夜の庭。
嫁ぐ前夜、最後の別れの挨拶に訪れ、
「私の子と分れば、その子の命はない、
お前の親御にも非が及ぶこともあろう、
わしはつらい!阿波姫!
この世からお前がいなくなることがつらい。
生き伸びて、会えると思えば、何年この島に暮らそうとも、
辛抱できる。生きていてくれまいか!」

頼朝の真意を理解し、
阿波姫の顔から悲しみと恨みが消えた夜。

源頼朝は伊豆の蛭が島に流され、
近侍者の娘の、

高く盛り上がった細い目は潤んで、
川のさざ波を思わせる美しさに、
 こころを奪われた利根局を、
頼朝は「阿波姫」と呼び親しんで親しんでいた。

 
榛名山から遠くかすむ武尊山、
1192年鎌倉幕府を開き、日本の顔になった、頼朝、

日本武尊が碓氷峠に登り、東国を眺めたと聞いて、
翌年、武尊山の麓にと馬に鞭をあてる。
夕闇の武尊山の麓、群生している白いユリの芳香に、
一輪の百合を持つ女。
阿波姫。

二人を遠ざけた、20年の歳月を風がさらい、
阿波姫の頬に、光る伊豆の蛭が島で見せた「月の雫」が、
溢れた。

『源氏復活のために、旗印の白に、願いが届きますようにと、
百合を植えました、
もうこんなに増えてしまいました』

頼朝の妻、北条政子の二番目の子、乙姫の乳母に、
中原親能の妻が呼ばれた。
阿波姫の子、大友能直を養子にした方。
頼朝は、乙姫の乳母から、
わが子の様子を秘かに聞いていた。

大友能直から八代目の、
大友氏時。
武尊山の麓、群馬県川場村に1338年、吉祥寺を創健する。

花の吉祥寺。
訪れては、と、山の師匠の好意を受け、
訪ねて良かった、心、改まった12月8日。
枯葉が雪だまりを覆っていた日でした。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 


 
 
 

 




 


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四季の耕作図、鹿沼の彫刻師。二柱神社。

2019-12-13 22:44:06 | 社寺
 
栃木県の南に位置する人口11万5千人が住む佐野市。
1684年に創建された神社。
二柱神社。
日光東照宮が創建されてから67年後。
もともと、
仏教・歓喜天を祀っていた神社。
明治の神仏稀釈で、歓喜天を安楽寺に移して、
国土、人物、万物を創造したという二柱、
神皇産霊神(かみむすひのかみ)と、
高皇産霊神(たかみむすびのみこと)を祀って、
1873年に、名を変えた。


1600年代神社の彫刻は、
ほとんど地紋の彫りだつたのが、
1700年代に入り、軒下の彫刻が見られ、
中頃になると、壁面に彫刻をはめ込むようになる。
彩色となると、1700年代後半、
彫り物が多い割には、色付けの彫刻は少なくなり、
もっぱら、欅材を使用した素木の彫刻が目立ちます。
 
1783年再建された、彩色した二柱神社は、
神社の素木彫刻と、彩色彫刻のハザマかもしれません。
 
彫ったのは、東照宮に通じる例幣使街道の、富田宿に住む、
磯部儀左衛門(3代目)秀重さん。1760年生まれ。
実弟に、一回り年下の、
1818年一度焼けた日光東照宮五重の塔を、
再建した大工棟梁がいます。
後藤家を名乗った、後藤周二正秀さん。
儀左衛門さんの初代はもともと、群馬県沼田の出身。
真田昌幸の家臣、彫刻家になった、
花輪彫刻集団、高松又八さんの流れを持つ。

幣殿から本殿の胴羽目に彫られた、
色落ち、塗料の剥落した彫刻・・・、
寺社の彫刻は素木がいいと思う私には、
佐野市郊外の平地に鎮座する二柱神社、
「しめた」の喜びです。

 
 
 
 
 
👇社殿中に、二股大根の絵馬があるのですが、
写真に収められなかった。
 
 

 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇幣殿の農耕図
 
 
👇本殿の向拝の胴羽目の彫刻は、周の慶王にまつわる説話は、
後からはめ込まれた、と、云われ、
じっと見れば、
そうだ・・・とうなずいたデザイン。

 
 
 
 
 
1783年天明の大飢饉が襲った日本、
7月6日、群馬県の浅間山が噴火し、ますます関東は、
生活に疲弊する住民が生死をさまよう。
 
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浅田神社の狛犬、鞍掛神社に負けず劣らず。佐野市。

2019-12-11 22:01:08 | 社寺
 
バックミラーに映った鳥居は、
訪ねる予定の無かった神社。
訪ねた神社と目と鼻の近さ。
栃木県佐野市、浅田神社。

藤原秀郷(俵籐太)が将門を討った功により武蔵守となり、
深く感謝してこの社を修復したと伝えられ・・・、と知った。

鞍掛神社の滋賀県で大ムカデを退治した、
俵籐太の伝説を彫刻した神社とは趣きが、ちと違い、
こうなると、生々しい当時のチャンバラ場面を、
想定してしまいます・・が。

当初の浅田神社は小さい祠。
インターネット、
『下野神社沿革誌』明治35年では、
1244年再建をし、
境内には、1000年の鬱蒼とした幹の太さ15mの、
ケヤキの木が茂っていたという・・・。
うぅ~ㇺ!
彫刻師の名前も判らず、手も足も出ません。

落ちた葉の銀杏に、実は無く雄株。
ひとつみ、神社の正確な歴史が見つけられました。
それは・・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇虫食いの額。
 
 
狛犬・・・。
前々回投稿した、ムカデの・・神社。
俵籐太の伝説の彫刻の鞍掛神社の狛犬は、
1793年から座りっぱなしでしたが、
ここの狛犬も、
負けず劣らず、1795年正月から、座りっぱなし。
220年以上、このまんま、
今度訪れるときは、
狛犬用の座布団を車に目いっぱい詰めて・・・・。

新たな資料を待たれる神社でした。

 
 
 
 
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