春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

こんな時は、音楽を聴く。イグレシアス・Hey。

2019-10-30 22:28:23 | Extra
 
 
 
 
 
 
 
もともと文章を書くのは苦手、
本となれば、必要なら読むけど、
好きかと聞かれたら、
苦手のボルテージがマックスになります。
それでも書くとなると、
それこそ、頭を抱え、腕組みをし、頬杖をつき、
気晴らしに外を見たり、
クモの巣がどこまで伸びるかなんて、見ては、
テレビの録画のボタンを押してしまいます。
結果ブログの投稿は、一日延び、二日延び・・・。
奇妙な後ろめたさが、ポッ、ポッと湧いてきます。

 
一竹美術館 河口湖 フリオ・イグレシアスで 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻が花・久保田一竹美術館 ③ー③

2019-10-28 07:50:38 | Extra
 
久保田一竹さんが室町時代の紋様染、
「辻が花染め」に出会ったのは、20歳の時。
シベリア抑留を経験して、
辻が花を本格的に、研究したのは、
40歳からだといいます。
無くなる85歳まで、
それこそ、
貧乏な時は、黒くなるまで
100回も染め直し、研究したといいます。

久保田さんを知っている人は、
気さくで、温厚だったと・・・。
 
 
 
 
 
 



👇美術館の外は、遊歩道・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 👇美術館の傍の「蜻蛉玉」という名のミュウジアムカフェに、
久保田さんが各国から集めた、トンボ玉(蜻蛉)を、
展示しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇テラスで、コーヒーを・・。
 
 
 
 
 
👇野外ステージ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇久保田さんのライフワークの「光響」80連作。
46連作が完成しているものの、
ク保田さんは、残り34作のデザインを残し、
2003年4月26日逝去。
一作に一年以上かかり、
私も80連作の完成は、見ることができない。
それでも絞りの極めに、
 入館から5時間余り、
安土桃山時代、武家、武将に好まれ、
江戸初期、友禅染に押されて、姿を消した、幻の染物、
独自の技法を編み出した「一竹・辻が花」には、
ただ、驚きでした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇11月1日から紅葉通りに、ライトアップは、
美術館の入り口まで・・。
 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻が花、一竹美術館 ③-②

2019-10-27 05:56:46 | Extra
 
河口湖の一竹美術館は、奇抜な設計で、
知られるガウディの作品に似ていると教えられ、
訪れました。
富士山が冠雪した翌日の今月23日、
良く晴れた日でした。

 
 
 
 
 
 
 
 

 
琉球石灰岩で作られ、やはりガウディーでした。
スペインを訪れた、
久保田一竹さんが自分の「辻が花」染色に、
合うとプロデュースしたのでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この絵は、名前は忘れましたが、寄贈された作品です。
 
 
敷地内は、久保田さんが集めた、東洋の置物が、
展示されている、ガウディー風の建物と、
ピラミッド型に、木造の吹き抜けの美術館。
こちらの内部は、撮影禁止で写真はありません。
 
 
 
 
 
建築物を見学に行ったのですが、
久保田一竹さんの染色作品を見て、
驚ろき、時間を忘れ、目は、しょっちょゅう点、点。

 
 
 
 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻が花・一竹美術館 ③-①

2019-10-23 23:33:56 | Extra
 
山梨県河口湖に、室町時代から桃山時代にかけ、
盛んだった、紅を基調にして草花文様の絞り染め、
江戸時代の初めには、一旦すたれた「辻が花」を、
復活させ、世界に名を轟かせた男がいる。
久保田一竹さん。

河口湖に生まれ、富士山を題材にした、

気の遠くなるような細かい絞りの作品を、
展示するために自分でプロデュースして、
スペインの建築家アントニ・ガウディの、
作風をまねて造ってしまった。
その「一竹美術館」のある河口湖迄、
行ってきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
👇絞りを入れた単衣。
制作には早くて、一年はかかるとという。
そのポスター。
 
 

👇スカーフ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古河橋、最古の移設されない鉄橋。足尾

2019-10-20 22:36:07 | Extra
 
歌を忘れたカナリヤは、
月夜の海に象牙の舟に銀の櫂で、浮かべれば、
思い出す歌も、
記事が浮かばない私ブロガーは、
あちこち歩いても記事は浮かばない。
果て、どうしたものか。


 
救いの神が現れた。
7ページばかりの冊子。
足尾銅山の世界遺産登録を推進する会、の、
2年前の会報。
会員になるつもりはないけど、
訪れた足尾銅山の古河橋の歴史が、載っていた。
閑散とした今の足尾銅山。
鉱毒カドミュウム被害者で千人以上の死者を出した、
足尾銅山。
一時は、半数を超える北陸の抗夫たち
よそ者たちが花街があり、夜通し気勢を上げて
栄華を誇った町。
 
 
明治の終わり、夏目漱石が新聞に連載した「抗夫」には、
栄華の町は描かれていないけど、
足尾銅山を念頭に描かれた小説。
小説の主人公が銅山に着いた時にはすでに、
掛けられていた橋。
👇古河橋。
明治23年、架設して以来、
120年間、移設されず、今の場所に残っている、
道路用鉄橋では、日本最古だといいます。
 
 
 
 
 
興味を持ったのは、鉄橋になる前は、
松木川を物資輸送のために造られた、



👇明治18年に造られた刎橋、直利橋(古河橋鉄橋の前身)
の写真。大月市猿橋の施工とは少し違うけど、
刎橋の姿を存分に残していてくれた。
 
 
👇トラス工法、鉄橋を架けるときの光景。
足場材は丸太。

 
👇陸橋前での祭り。
背駕籠姿で、参加しているのが、これまたいい!

 
足尾銅山のシンボル・煙突。
 
 
👇戦後の邦画を見ているようです。
ガソリンで動いてます。
 
 
明日から関東は雨が続くようですが、
わたらせ渓谷の紅葉もまじかです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする