春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

長純寺。頭あっちに、こっちにいったり。 群馬県箕郷町。

2023-02-26 21:09:04 | 群馬県の社寺仏閣




👆相馬山(1411m) 
榛名白川の水源に相当。「黒髪山」の異名をとる、
雷様が宿る神域でもあります。

私が見ている看板は、
暴れ川の異名をとった榛名山系から流れる、
車川の中流辺り、








この善地村👇に昔、彫り物師が居た。



車川は、下流は箕輪城の下あたり、
10月に『狐の嫁入り祭り』会場になる、
ふれあい公園の脇を流れる、榛名白川に合流する。
その白川も、昔は暴れてたよう・・。

1497年に箕輪城主が、
『狐の嫁入り祭り』会場の下方に創建した、長純寺、
のに、翌年には、白川の洪水で流され、後年、
洪水を避けて、現在の地に再建したのは1557年。

白川の河岸段丘に建っている、箕輪城。
上杉謙信や、武田信玄・織田、北条との戦にも、
ひるむことなく、敵陣を唸らせた、
城主・長野信業、業政、代々の供養塔が、
長純寺にある。

👇約束の午後1時30分、
2時間前には、車を乗り入れてしまった。



👇 雨の日の奪衣婆・閻魔さん













そのお寺さんに、
1736年に彫った彫師の名の、棟札が見つかった。
建築学会に40年ほど前、論文を報告し、
調査団が入り、棟札を発見した、揺るぎない証拠。
上州彫り物師が一番最初に、記録に残した棟札。

住職の許可を得て訪ね、2週間前に撮った写真で、
頭はあっちにいったり、こっちにいったり。
後で気づく阿呆さ加減は、これからもで・・・。



鎮守様👇






彫師が彫ったのは👆の境内にある鎮守様の中の彫刻か
本堂外陣の👇欄間か・・
住職も苦渋の顔つき・・・。



早く白黒つけないと
彼らの棟札の行き場所が無くなる
👇
木崎小八・善地
小林又七守常・見崎
清水熊次郎・室田
赤見吉三郎・室田
久保政右衛門・室田
松本善助・室田
彫刻の画像は次回に

👇榛名山と向こう、とんがり帽子の相馬山
長純寺さん以外のファイルは
2017年です

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝行。群馬県赤城山

2023-02-23 20:05:13 | 散歩

今まで春になると、気が晴れていたのですが、
今年は、花粉症らしい症状になって、
花粉の飛散が弱くなるまで、ちょっと憂鬱です。
市販の薬を飲むように、助言され、
飲んで、3時間ぐっすり眠ってしまった2月23日。

頭痛は無くなって、いい調子です。

👆赤城山・小沼を黒檜山山頂から
2018年11月の写真で、
今日の記事、御嶽講の人が、滝行した粕川の上流は、
この小沼から流れてます。



埼玉県から、毎月第1週の日曜日は、
ここで、滝行し沢を下って行くのだそうです。
以前・群馬の写真家が二人の滝行を撮った写真が、
何やらの賞を取ったとか・・
40分ばかりの存分に撮ってくださいと。

































緊張してた時間が溶けて
来月は一緒に沢を下りましょうと
誘われて、ピンボケの写真👇
春の陽気にまして春
なんか、いい ‼

沢下りの先達
後ろ姿にいつか一緒に、と



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粕川沢の枯れっ葉たち。群馬県赤城山。

2023-02-22 19:16:30 | 散歩




前回の滝沢不動尊から、
赤城山小沼から流れる沢で、助六で朝食をとった後、
30分ばかりところの、不動の滝へ行くのには、
ちょっとだけ、深い沢水を横切る・・、
靴を脱いでと、思ったけど迷ってしまい、
しばらく、沢の景色を眺めてました。













コナラ、ミズナラの葉っぱたちに、
話しかけたら、『沢水に乗って、
のんびり、都会を見たかっただけ、
餅屋は餅屋、コナラの肥やしになればよかった、
しがみついたけど、のに遅いやね・・』・・と。











・・・・・?
巌の向こうで、きしむ枯葉のアンサンブル、
身構える姿勢は、
顔の毛穴を目玉にし、
髪の毛をアンテナにし・・、
姿を見せたのは、男2人。
合わせた瞳は爛爛として思わず、
気持ちが後ずさり。



昨日から花粉症で、鼻水、くしゃみ
ついでに頭がずきずき
この年になって初めての重症の花粉症
明日は仕事の気力なし
思考能力なしに付き
出社不能の電話をし
暇に付き、明日は男👆達を

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粕川、沢の瀬音に滝沢不動尊。群馬県赤城山。

2023-02-19 10:12:00 | 散歩


久しぶりの山道、
早朝に訪れた三夜沢赤城神社の、風景撮りは後にして、

回れ右、広めの山道を、滝沢の不動滝方面に、
20分ばかり、不動滝の看板のある駐車場へ。




👇 赤城、小沼から流れる粕川沿いを










群馬、♫ かわいい子分たちとも今宵限り・・
侠客人、潔さに、人情熱い国定忠治が、
赤城山に籠って、追っての役人を見張った
忠治見張り岩。👇



冬の山歩きは、緑の葉っぱが無いので、
見晴らしはいいけど、色が無いとなぁ~


画面中央に白く、氷柱。👇
近くまで登る気力、今は無くです。



駐車場からここまで20分の看板、
いつもの通り、私の短い脚では1時間ばかり
👇 赤城滝沢不動尊。






本尊は、1408年ごろ、群馬邑楽郡の豪族が、
栃木県の佐野市の佛師に、鋳造させ奉納し、
100キロばかりの赤銅で、
後年、右腕、両足がもぎ取ら『片手不動』と
呼ばれたという。
一時、新里村のお寺に移したものの、
1708年、住職は再三にわたるお寺の火災を嘆き、
この地に戻すも、今は台座を分離して、
新里村、瀧興寺の本堂に祀られてるという。



ので、覗いても本尊は見えな~い👇


不動尊に響く粕川、沢の水音、
何~んも考えなくていい、別天地
腹も減ってる・・・
春もある。






ここで2月12日
雪解けの瀬にしばし
岩に座って、隠れて一服
 登山用のニコチンとタールの無い電子タバコ 

コンビニで買った助六と高菜の握り飯
好物の干し柿
熊を気にしての、朝飯に
すかさずメールが入った
♬ 今、熊は冬眠中です ♫
助六、手から、ぽと




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉の木の杜、三夜沢赤城神社。群馬県前橋市。

2023-02-15 21:58:41 | 群馬県の社寺仏閣


群馬県前橋市、
博徒の父から生まれ、15歳で他国の博打打ちを追っ払い、
ひょんな殺傷をして、しばらく他国を流浪。
いっぱしになって、侠客同士の揉め事を、
ひょいひょいと、丸く収める度胸と頭の切れは、
侠客一家から、莫大な信頼を得て、
もらい受ける、縄張りは、200とも言われ、
『関東一の親分』と崇められ一目を置かれた。
その大前田栄五郎は、三夜沢赤城神社に献塔していた。
前橋市大前田町、栄五郎のお墓から車で10分ばかり。



👇夜明け前、宿を出て着いたときは、日が登り始めた時刻。
大前田町の住民が1600年代、寄進したという、
杉の木に囲まれて、まるっきり黒い景色。

やめた・・ひとまず不動大滝へ移動です。
写真は、陽が当たる午後3時ごろ。
👇それでも暗い。


👇十六葉一重菊が施されている。



👇八本の鰹木







平安時代から歴史があると知るのですが、
赤城神社として成立したのは13、14世紀と、
あるのですが、
ほとんどの記録は・・らしい・・の表現です。
ながら、400年以上の杉の木の杜、
シンプルな建物の周りを散策は、気がしまります。





👇本殿前の四脚門。




👇本殿。


👇写真では見ずらいのですが、
小さい祠が、あちらこちらに。



👇この日2月12日は、防寒服が要らないくらいの陽気で、
参拝者が沢山いました。







階段途中で、参拝の人たちがペットボトルを抱えて来る
私はこの後、数年前の冬
赤城山の黒檜山の尾根を歩き
山頂で暗くなり、ライトの灯りに気づき
2時間ばかり道路に車を止め

私の下山を待っていてくれた
赤城バイブルキャンプの
カナダ人の女性に会うのに、大沼へ
けど1100メートル辺りの道から
夜になればアイスバーン
Uターン禁止の道でしたが、
やむなく、途中で引き返しました。

亦、いつかです。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙見寺に春の花、長谷川源太郎の胴羽目。高崎市。

2023-02-13 21:55:54 | 社寺

熊本大学大学院自然科学研究科(工学系)
人間環境計画学 教授の伊藤龍一氏が、
1982年から1989年までの論文の中に、
『北関東の社寺建築の造営修理に関与した彫物大工』が
あってその一文に、長谷川(小林)源太郎は、
高崎市の妙見寺に彫刻を施し、
刻印が認められたと記録している。

3日間の休暇を利用して、
見学に行きました。
道の端、染谷川の土手に、春👆踊子草が、









👇小雨の日です。



平安時代から、土地の人々から崇拝され、
1656年、1807年2度の類焼し
再建を始めたのは1839年。




小林源太郎が胴羽目に彫り、
刻印を入れたは1843年、
妙見寺が再建されたのも、同時期となります。

彫物師。小林源太郎、1799年熊谷宿に生まれ、
親父は、小林源八、
源八は、花輪彫刻集団の礎を作った、石原吟八郎の子、
2代目吟八明義の弟子
(関口文治郎の兄弟弟子)

源太郎は、1821年(22歳)中之条の吾妻神社本殿を、
父親と、2代目吟八明義、清水儀兵衛と共に彫り上げ、
翌年には、埼玉県都幾川の日枝神社を手掛け、
後、長谷川家に婿入りし、長谷川源太郎となります。


その後、どこかで彫っていたのでしょうが、
刻印で証明する、ここ妙見寺まで記録は無いのが残念。
記録にあるのは、
1835年(36歳)子持村の空恵寺本堂を
1855年(56歳)榛名神社双竜門の龍を彫り、
今は修復工事が終わってるので、
本殿行く途中見ることが出来ます。
1862年(63歳)箕郷の北野天満宮の一部に、

名を残してる。












埼玉県熊谷宿に生まれの長谷川源太郎
彼の晩年の彫刻は、多くの人たちに見られ
名は記憶されていても
まだあるだろう彫刻
彫師の名の
記録が残ってないというのは
口にできない、悔しさがあるものです





コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錫色の日暮れに柳沢寺。北群馬郡市榛東村。

2023-02-10 12:45:21 | 群馬県の社寺仏閣

男やもめに雪が降る、
8時に目覚めた八王子の景色は、雪。
7時ごろから降り始めたという。
出かける先までの高速は、通行止めも有るといいう訳で、
今日は取りやめ、明日のことは状況を見計らって・・。

ちょっと前なら、この位の雪なら、と、
出かけたのに今は、ちょっと臆病になってきた。

👇船尾山・柳沢寺の山門
敷地内の建物は1600年代後期から、
1700年代、中期に建てられ、
上州七福神 毘沙門尊天霊場として、
隅々まで歩くと、いつか宝物に出逢うと教えられた。

船尾山と船尾滝
榛名山の麓、水澤観世音ちかくに
落差72メートルの滝で、
下方には2股に分かれた滝、バリエーションに富んだ,
船尾滝があって、柳沢寺の榛東村は、
滝の真下方に位置してる。







 







もう、陽は落ちて、
野武士が今夜の寝床にしたかもしれない、本堂へ。








👇人で言えば体を支える足、
寒さでひび割れてきた踵・・
















も、帰ります‼
戦国時代、戦禍で家は焼かれ
飢餓と多くの人を失った人々が
救いを求めて、作られた社寺は
この地区にたくさん

散歩・歴史の重さを肩に
錫色の景色になった
1月31日の日暮れ、榛東村、西明屋町
今日はこれで、 さよならです
八王子、道路も白くなりました




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日暮れの、柳沢寺の散歩。北群馬郡榛東村。

2023-02-07 19:48:09 | 群馬県の社寺仏閣

1月31日、まもなく日が暮れる。
寺門にわずかな西日は、
群馬県北群馬郡榛東村  しんとうむら
柳沢寺 りゅうたくじに。
開基は古く、平安時代と判ったけど、
戦国時代の戦禍で焼失し、
一時は廃寺になってたという。おや、まあっ
きょうは、お寺の歴史に触れるのではなく、
柳沢寺、なぁ~んも、考えず日暮れの散歩・・・。

寺門前の駐車場から👇


























山門はここだった
車が2台、子供たちが走り回って
お母さんは、後を追いかけて

仁王像が4体
次回に








コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山寺に新しい息吹。箕郷町。群馬県高崎市。

2023-02-04 21:08:08 | 魅せられた!


撮って出しのファイルは、先月末に訪れた、
高崎市箕郷町にある
松山寺
シンプルなたたずまい
手入れが行き届いた芝生

通された本堂の外陣の天井には
花が咲いてました
約半世紀、色あせることなく
燦然と
描いたのは、住職のお母さん
妹とお兄さん二人
妹さんの名が
私に箕郷近郊の
社寺の彫刻や自然の、情報を教えてくれた
たかさん

後世の、拝観者にひと時の
安らぎを与えるのでしょう
外陣の格子天井の花たち
👇









ブログにしなければ、聞くことは
無かったのですが、つい
根ほり葉ほり、聞いてしまった

お兄さんの義雄さんが描いた絵
👇





まだ2枚?ばかり、有ったと思いましたが
撮り忘れてた


海外の山、国内の山を登りながら
たかさんは子供たちには
絵を教えていたといいます
描いた年賀状が
👇




描いた絵は
後世に残るのですが
いつか筆を取る日があるなら
描く姿を、そっと写真に撮って後世に残す
そんなイメージが浮かびます


まもなく 春
日差しが柔らかかった
2月4日

健康で日々の出来事を
いつまでもです


コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山寺に春が来る。箕郷町。群馬県高崎市。

2023-02-03 22:20:05 | 心に残った北関東の社寺

群馬県、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心の箕輪城があり、
地元長野氏に、武田氏、織田氏と北条氏、井伊氏に、
戦国の領地争いは、1590年、
前田利家・上杉勝景連合に、
80年の歴史・箕輪城を開城し、
箕郷村から城が無くなった。1598年のこと。
戦続きで、疲弊する領民。
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地、不幸は慶長2年1597年、
境内800坪に建つ、
然室玄廊大和尚が、釈迦牟尼仏を本尊に、
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。



👇寺の入り口では、
1748年の六地蔵と如意観音が迎え、




鐘楼の脇には、山村暮鳥の両親と弟の墓が・・、
朽ちる柱を保護する鐘楼のやぐらに、
箕輪の豪家・下田利左衛門が、
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つも、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1783年の50年近く、
時報を知らせる鐘の音は無く、
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
地元、下田市太郎休理と塚越富左衛門に鋳造を依頼したもの。

太平洋戦争、鉄の不足で供出するためのこもかぶり、
拓本されての梵鐘に、
地元の人たちの浄財での梵鐘、供出を免れた梵鐘。

戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさ・・・。













松山寺を建てたのは、檀家さんと領民の浄財、
戦国の争いが身近に、無くなって、
心に、ぽっと灯りが着いたのでしょうか




まもなく春、
桜の花が咲けば、療養の松山寺の東堂夫人の、
元気な声が聞こえてきそうな・・・
2月3日





👇1600年代かと






ここで
小柄な、山椒のような、めりはりを利かせる
素晴らしい女性と知り合った
松山寺
女性が50年前に描いた格子天井
お兄さんが描いた
年代と共に優しさを帯びた絵が
620年の歴史の本堂と共に
時代を超え、語り継がれて
その画を次回に







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする