宝巌寺唐門から、ちょっと右を覗くと、
薄暗い廊下で、
豊臣秀吉さんが朝鮮出兵の時に、
作った船の底をひっくり返しての、
天井 ‼ ‼ 😲 ‼ になる👇
舟廊下の足場は、
竹生島の崖を利用して、
懸造りで、楔で堅牢に締めてた。
接続しているのは、
秀吉公が寄贈した言う、
都久夫須磨神社の建物には、接続していなくて、
舟廊下の途中で段差があって登り、
都久夫須磨神社へは、
数段の石段を下りてから、
敷地にでるようになっている。
この段差は、崖に合わせたのではなく、
もともとこのような設計で、
この舟廊下も、移築したのかもしれもせんね。
👇都久夫須磨神社というより、
竹生島神社本殿と呼ばれて、親しまれてる。
湖側から見ると、鳥居の向こうに拝殿、
一段高い屋根が竹生島神社で、
船が岸に着くまであと、ちょいッ、
その間に、鳥居さん越しに手を合わせてみる。
汽船が何便も出る時期に来れたらと、思います ‼
👇敷地内の別の建物にふくよかな、
弁才天さんがいた。
本坊を見ながら、石段まで戻って、
手水屋の近くに、
琵琶湖130メートルから汲みあげる、
端祥水、
👇2人のお嬢さんは、数珠ブレスレットを洗い、
私は、ペットボトルを満タンにした。
本堂・弁才天堂まで、石段はまだ、半分
もう巡り終えたという人たちと、すれ違う・・・