春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

補陀落目指して・那古寺。千葉県館山市。

2024-11-23 10:00:34 | 坂東札所


補陀落山ふだらくせん那古寺、坂東33番札所の結願寺。
館山市と南房総市の境界辺り、
鏡ヶ浦町を望んだ、那古山の中腹に位置するお寺さん。
昔は👆那古寺から見える集落も海だったとか・・・

前日は館山市の海岸を散策して、ウン
一人ではめったに外食しないのですが・・・




👇トイレが洒落てた・・




👇朝早い、那古寺の境内は、バスの発着所になっていて、
お寺さんの配慮も、いい感じ・・‼



急な坂道、息切らして山門の瓦。
体力の回復には、カメラのファインダーは好都合。

補陀落山は実在しない山、
観音菩薩が降り立つという伝説上の山、霊場。







江戸中期、建立の多宝塔・・








1758年に再建された堂宇






仏法を守る八大竜王・・
今でも地元の漁師は、安全祈願訪れるという




足柄・箱根あたりから東方面を坂東と呼び
源平の合戦に
駆り出された坂東の兵は、九州にも行った
源頼朝の時代になって
戦の犠牲になった敵も味方の人たちにも
供養に平穏な時代を祈願して、源頼朝は
坂東33カ所の観音霊場を選ばれた

全行程、順番に回れば1300km
車の無い時代、
一日30キロ歩いて、44日の巡礼
偲べば、煙草の灰が、
フレンチトーストに・・ぽとり
難儀な観音菩薩巡りでもあります‥ね ‼



コメント (2)
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音羽山・清水寺の外陣。千葉県いすみ市。

2024-11-20 21:07:41 | 坂東札所

木鼻の迫力ある獅子を見ながら、


堂宇の外陣 げじん で、手を合わせた後は、
至る所に奉納された額を眺めます。
中には、一枚板に巡礼した地図を施したものもあり、
いすみ市の人たちの、密教に心の安らぎを托し、
清水寺への人気ぶりも伺えます。

昭和20年~数年の奉納金1千園は、
今の百万円と想定できるでしょうか。
戦後のいすみ市、親潮と黒潮が相まって、
さざえ、アワビが宝の山になって、
今、貝好きの人たちには、たまらない漁場に・・・













千社札には、なんとも言えない、安堵感があります。












〆は子安地蔵尊さんで






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黒子2つ、最澄さん道に迷って清水寺。 千葉県いすみ市。

2024-11-18 20:09:52 | 坂東札所

滋賀県琵琶湖の南西、
・・今の大津市辺り・・の湖岸で生まれた、
沙弥最澄には、頸の左、左肘を曲げた上に黒子があったという。
のに、この芥子粒ほどの黒子を記録されるのは、
彼が高貴な生まれの僧でなかったからと・・・
昨年97歳で亡くなった、古河市生まれの、
永井路子さんは 
♬ 雲と風と・仏教大師最澄の生涯 ♪で、
歴史に素肌をさらされた18歳の最澄を、
慈愛の眼で見ている。


それは兎も角、
千葉県いすみ市の清水寺・
きよみずてら
厳しい修行から狭き門得度試験に合格した最澄さん、
行脚途中、農夫に連れてこられたいすみ市、
なぜか、ここに草庵を造って、千手観音菩薩像を彫った。
800年ごろのこと。
後、弟子の慈覚大師・円仁が師の後を引き継ぎ、
この地で千手観世音菩薩を安置し開基した・・と・・・

草庵での修行、この時代何を食べていたろうか・・・

👇滑り止めを施した舗装を


👇登りきったところに



仁王門





吽形像               阿形像
            


 👇更に四天門には


👇増長天さん


👇持国天さん


👇風神さん


👇雷神さんが居て、



👇ちょっと歩いて、百体観音堂には



👇子どもたちの幸せを第一に思ってた、ばぁさん・・
閻魔大王の妹さんでっしょ?


👇閻魔さん、そんな赤い顔して、
怒っては血圧が上がるっつ~の・・


👇屋根を支える出組み?と蟇股が施された床下、
1817年に再建した本堂、
1813年に焼失したときもこんな建築様式だったか・・と







内部には、戦後の奉納額がいっぱい‼
次回に


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日本で四方の懸造はここだけ、笹森寺。千葉県長生郡。

2024-11-15 19:36:39 | 坂東札所

👆ローズオブシャロンベリという名の、むくげの八重、
初めて観た花ですが、名前には自信がありません・・
笹森寺の手水屋の傍、一際の鮮やでした。



👇笠森寺周辺の森林は、
800年ごろの笠森寺草創当時から、
禁伐林として保護されてきたと、伝えられる残存林で、
笠森寺自然林として国の天然記念物に指定されている。

高いスダジイやイチイガシ、イズセンリュウなど、
足元にはシダ植物など・・に、
イタチやフクロウが、闊歩するという。











石段を登りきると、倒木の根元から、



子授け観音さんが・・







現在の建物は、防災設備を施し、
全解体復原大修理を実施した、昭和33年から2年の間に、
発見された墨書銘から1579年~1597年の18年かけて、
再建されたと判明したもので、
当時のままの姿に戻されているという。

最初の建物は、1028年、
御一条天皇の勅願で建立したものの、
後年焼失したといいます。

特筆は、日本の懸造で四方にあるのは、
ここ、坂東札所31番・笹森寺だけ、と・・・
台風が来たら、気が気じゃありませんねぇ~



























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高藏寺の床下・・ ❷-❷ 千葉県木更津市。

2024-11-12 19:11:35 | 坂東札所

カメラを肩からぶら下げた男が一人。
山門でお辞儀をし、手水舎で手を禊いで、ゆっくりと拝殿まで。

手を合わせている時間は、結構長い。
そして、シャキッと背を伸ばしてから、
山門へ引き返しそこから、おもむろに建物や景色を撮り始める。

駐車場から順番に写真を撮ればいいのに、
一目散、堂宇に直行してから、回れ右のルーティーンは、
男の名前、八王子の与太郎河童が、
かなり前から肝に銘じて守っている、ものらしい・・・。



紀元前から、アメリカ先住民の食料になってたひまわり、
成長期の太陽を追いかける、鮮やかな色合いの幼少期から、
成長したひまわりは、東を向いたまま。
枯れても東・・・
一芸の無い私に感動を与えるのは、これからが彼らの本領。
華やかさは無いけど、よく見れば美しい  ‼
ウクライナ、ロシアの国花なのに・・・・


千葉県木更津市の坂東札所30番、高藏寺の床下は、
床柱数88本、床の高さ2.45メートルの堂々とした造りで、
観音浄土界・地獄界巡り・極楽界巡り、
西国・坂東・秩父の写し百体観音を遷座していました。





















 











秋の夜長は、柄に無く
塩野七生さんの
ダンテの妻の嘆き 
柿の酢のものを摘みながら
ウン‼
ちびッと読んで

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