春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

水澤観音堂 ③-③

2021-08-27 20:36:52 | 坂東札所


江戸から36里、日光から36里、善光寺まで36里、
36里の位置にある霊場、水澤観世音。

札所14番横浜の瑞応山 弘明寺から、
15番白岩山 長谷寺までが140キロあり、
現代人には、気が遠くなる巡礼。
16番、水澤寺までは14キロばかり、
坂道、でこぼこ道、うっそうと繁る杉木立、
巡礼も命がけ・・。

33年かけて1787年に、
再建した堂宇にたどり着けば、
次の栃木の出流山 満願寺までは80キロばかり、
ここは風呂で、旅の疲れを流したい、伊香保。
万葉に詠われた伊香保榛名山のことで、
恋歌もある。

伊 香 保 風  吹 く 日 吹 か ぬ 日   
あ り と 言 へ ど  吾 が 恋 のみ し  時 な か り け り
 












👇迦陵頻伽  かりょうびんが
上半身が人で、下半身が鳥で架空の鳥、
殻の中にいるころから美しい声で鳴き、
住んでいるところは極楽浄土だという。
江戸の頃には、きれいな声の花魁をこう呼んだと・・。




伊香保姫、吾妻川で継母に殺された2人の姉、
伊香保姫が身に着けていた、2寸8分の観音様、
姫が川に入水したときに、川の水が、
壁のようになり、姫が河原を渡った後ろは水が流れ、
継母は、伊香保姫を殺害できなかったという。
後、上野の国司になった高光中将公に嫁いだのち、
先だった夫、愛おしいさに伊香保沼に身を投じ・・・

僧侶の夢に伊香保姫が現れ、
寺の鎮守となって衆生を救いたい
姫の守り本尊、十一面千手観世音菩薩は、
伊香保姫とともに、
1300年、夫高村中将公の菩提寺として、
燦燦と・・・・。





👇向拝縦柱に絡む龍、







👇堂宇後ろの小窓から
















コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水澤観音 ② 六角二重塔 & マスク。群馬伊香保町。

2021-08-25 19:19:03 | 坂東札所

榛名山、何年か前、
水仙が湖畔に目一杯咲いてた日暮れ、
坂道のてっぺんからライトをつけたバイクが、
斜めになって目の前を通り過ぎて行きました。
♫ 月光仮面 ♪
そのハンドル操作に見惚れて、つい口走った。

札所巡りでは買い物しない、八王子河童、
つい、廃品を磨いたスチール製👇と、

木製のバイク👆を買ってしまった。



👇ついでにブログのプロフィールに似た、
青いフクロウがいたので、つい、手が伸びて・・。


坂東札所16番は五徳山・水澤寺、

広い駐車場には、縁日張りの出店、
近在の野菜も果物が売りに・・好きな風景、
短い参道には、👇売り子さんがいて、
1500キロを歩き通す江戸の頃の、
坂東霊場巡礼では楽しみだったでしょう!





👇参拝途中で鐘を撞いて、
恥をかいたことがあった。
参拝する前に撞くのだそうで・・・。




👇12支御守本尊の香炉に線香をあげてっと・・。
線香の香りは故人の食べ物というから、
消えないようにして・・






👇六道輪廻し、
祈願は三回まわして・・意外と重かった。


👇六道を守る地蔵尊は、
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界
どれかわからないけど、
1708年と1712年、鋳造の刻印があると・・。



👇六角堂は1688-704年間に建立され、
二階には大日如来が安置されていて、
「六角二重塔」というのだそうです。



👇写しちゃった女性、大日如来様かと・・?
ままよこのまま・・載っけちゃえ・・。





駐車中から仁王門、鐘楼、六角二重塔と・・
ようやく👇水澤寺本堂に向かいます。



鞄には、いつも2~3枚・・
ない人には裾分もい
で、10枚でも、いいっか

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水澤観音 ① 仁王門。渋川市伊香保。

2021-08-23 21:53:11 | 坂東札所

水澤観音堂、群馬県伊香保温泉麓に、
水沢山1194m標高から、
きれいな水が流れ、
飢饉の当時も、水だけは流れ、
灌漑に人力を加えて、田畑を潤したといい、

水の徳、5つ。
●進路を求めて突き進むのは水
●自分で活動して他を動かすのは水
●障害にあってその勢力を倍加するのは水
●清らかで、他の汚濁を洗い流すのは水
●大海を満たし、雲となり雨に変え、
  氷雪になっても、水の性を変得ないのは水

とどまることなく、自分の進路に向かい、
自分から進んで行動し、
障害に遭ったらそれ以上の力をつけ、
怠けないで、いい人も悪い人も、一緒につれいて行き、
長年連れ添った妻を、今となってイヤになったと、
言わないよう、水の5徳とはそんなことです・・・・。


うひゃ~・・・!

👇1754年から長い年月は33年間、
1787年の再建された仁王門の金剛像は、
力強さがあり


  







👇均整の取れた仁王門、
山岳霊場の張り詰めた空気が流れてるようです。







👇門の天井には、幕府絵所に勤め・・、
1725年、群馬県甘楽郡野上村に生まれ、 
晩年は群馬(上野)に戻りって描いた、
狩野探雲の龍。




仁王像の後ろには、
五風十雨を願う、風雷神が・・・。
👇風神さん
雷神さんは金網ばかりで・・ゴミ箱に・・ポイ!


仁王門の石段を登って境内に、


👇戦国・180体の仏像を祀る巨刹は、
戦いで焼失しその都度、再建し改築を加え、
水沢山山麓、彩度を落とした、朱塗りの堂。
仁王門の完成と同じ年、1787年に完成。

五徳山・水澤寺、坂東札所16番。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白岩山・長谷寺ちょうこくじ。高崎市

2021-08-21 21:35:20 | 坂東札所

桑畑の、安中・箕輪街道、
赤城山、榛名山、妙義山、上毛三山を望みながら、
見落としやすい場所に、長谷寺ちょうこくじ。白岩観音。
歴史は古く、650年代、
越後の修験僧が、白山に帰る途中、
神や悪魔の様な本来観念的で形が無い存在を
土人形にして、祈願することを勧めたという。


源義家や頼朝らが、堂宇の修理をしたのち、
武田信玄が箕輪城の長野信濃守業政を責めた時の、
兵火で焼失したのは、今新築👆している前の堂宇。
朱塗りの向拝が美しかったといい、
新築では、屋根の形、蟇股の曲線がだいぶ変えたという。














落成が楽しみです。
この堂宇の奥に11面観世音像が、正面に・・・。


私の所属する会社で、
2人のコロナ感染者が出て、
4名で乗り合わせた助手席、運転席の2人。
後部座席の2人は陰性で、
仕事には昨日から復帰してますが、
陽性になった顛末は、運転中のかなりの会話時間、
どちらが先に菌を持ってたかはわかりませんが、
ハンドルも影響でしょうか・・。
40代後半、と50代、
1人はホテルに隔離され、症状は判りませんが、
自宅療養になった彼は、
窓越しの様子見では、
日焼けとは違う、どす黒いさに赤い顔、
言葉は息切れして潤いがなく・・・。
葉陽性反応は今月10日ですが、
保健所からの連絡は不定期で、
体力はなくなり、気落ちが気になります。

マスク・手洗い・会話には十分距離を・・と。
ウィルスが付着した膜は、
ステンレス、アクリル板など硬いものほど、
菌の生存率が高いとも知りました。
消毒は、
こまめに、こまめに、こまめにですね。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田美術館・図書館 ②-② 群馬太田市。

2021-08-19 21:25:28 | 散歩

群馬県太田市駅前、
太田美術館・図書館、白い建物、
広い回廊は、煩雑な時間を過ごすことに慣れては、
次の一歩の方向さえ判らず、
じっと周りを見てしまうほど。
書籍はあっても図書館とは思えず・・・。

2階から俯瞰すれば「創造の道」
書籍に囲まれた美術館。


ギャラリーは外から丸見え、






G1は、1階のギャラリー






2階の小部屋には👇



3階には、回廊と螺旋階段を利用し、






まさかこの狭い隙間がG3ギャラリーとは思わず、
係員に尋ねもしました。






3階からは屋上に出られるのですが、
雨・・なので・・・。
























👆 本を見てる人たち 👇
ここは
図書館でした。
う~ん!



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田美術館・図書館 ① 群馬。

2021-08-17 20:42:22 | 散歩

👆 3階までの回廊

江戸時代後期、寺社建築に流行った、
回廊で、秩父、坂東・西国の、
観音様を拝観する、
その様式は、海のさざえの貝殻に似てと、
太田市には江戸時代の、

栄螺堂・曹源寺があって。

現代の、さざえ回廊は観音様に代わり、
書籍で、絵画で、彫刻で・・
どちらも感性を豊かに、人を育てる建物ならば、
一度は訪れて、見ようか!・・・と。
ただウイークポイント・・・読書・・・にがて!

図書に、美術に疎くても、

一階ラウンジで、待ち合わせは好都合、
群馬県太田市駅の真ん前。
ミストは、心地よかったけど、

雨が降り始めた、
8月12日の日暮れ。
























設計・平田晃久氏
ここのデザインは

太田市民と、専門家が話し合って、
完成させた建物で

既成概念にとらわれない美があって・・。









館内撮影は、申請が必要です。
2時間限定、書籍の接写・人物のアップは禁止を、

守って・・














一度では、
このモダンな建物を、
案内できません・・・
ので、また!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安楽寺。埼玉・吉見町。

2021-08-15 21:01:02 | 坂東札所

出張から12日、帰って迎え火、
魂も大雨にコロナに、来るなとも言えないならわし。
幼いころ境内を踏み荒らした遊び場の寺までの、
日暮れの盂蘭盆の揺れる提灯、
声かけあう町の人たちの風情が、
今は無性に懐かしい。

坂東札所11番。岩殿山・安楽寺。
👇仁王門の前の石段に、
坂東11番、蒲冠者源範頼旧蹟の石碑、




👇1790年の露座の阿弥陀如来像が、



広い境内で巡礼者を慰めてくれる。



👇開基した、坂上田村麻呂によって806年に建てられ、
吉見領の鎮守になった吉見観音堂。





向拝の右には、👇
源頼朝の異母弟、合戦好き、
御家人との喧嘩もしょっちゅうの、
源範頼は吉見領主になった報恩に、
所領の半分を寄進し、
48mの見上げるを造り、
45m真角の大講堂を建立するも、
1500年代初め、松山城の戦いで、
すべてを焼失してしまった。
写真の24mの塔は今から、
380年ばかり前、朱塗りの塔に再建しての存在感は、
十分に楽しませてくれる。



👇観音堂内陣に、思いがけない彫刻、
前掲、東松山市の正法寺で探した、




👇左甚五郎の欄間。
「野あらしの虎」
おっちょこちょい!
正法寺と、ここ安楽寺を間違えて2年ばかり、
記憶袋で、彷徨ってた。
吉見観音堂1661年の再建・・、
日光東照宮の「眠り猫」から30年ばかり・・

・・・左甚五郎作かと・・・う~ん!






👇納経所へ。








源範頼の奥さんのおばあちゃんは、
頼朝の乳母・比企尼で・・。
頼朝の猜疑心から、
修善寺に幽閉され範頼、子らは
比企尼の助命嘆願で、
成長し後々、
吉見氏としてこの地に住み・・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正法寺・東松山市。

2021-08-13 23:42:52 | 坂東札所


埼玉県東松山市、
比企丘陵の物見山の中腹に、


源頼朝の幼少・乳母になったのが比企尼。
伊豆に流罪となった頼朝に、
物資、衣類や米を1180年までの、
20年に渡って仕送りしたのは、この地から。
比企尼はよくこの寺にお参りしたといいます。

比企氏は東松山、比企郡で権威を誇り、
源氏とは鎌倉時代をともにした御家人・・らしい。



江戸後期の建造と推測される、
観音堂には、
千手観音さまが祀られてて・・。



👇削られた石灰岩の下方には、
百観音(西国、坂東、秩父札所)、
四国八十八ヶ所の写本尊が、



👇茅葺屋根の鐘楼は1702年、



👇組み物、中備、天井の装飾はシンプルの中に、
雄健な吹放ちに、1322年が刻まれた銅鐘が、
1590年豊臣秀吉の関東征伐の時、
軍政の指揮を鼓舞いするのに、
引きずりまわし、打ち続けた時の傷のまま、
門前を見渡す高台に・・・。






👇看板では運慶とありましたが、
運慶作は、戦火で焼け江戸1800年ごろの、
仁王像とのことで・・。

 




👇樹齢700年余の銀杏、
この根に絡まれたら・・ウ~ン!





👇薬師如来と守護12神将が特別開帳で。






👇弘法大師が彫ったという百地蔵尊が中に。








👇納経所は、100畳の広間に、
2023年は空海誕生1250年
丑年疫病退散、祈願巡礼のポスター。








👇1200年、頼朝の没後2年、
頼朝の志を継ぎ、妻政子が堂宇を再建し、f薬
北条雅子を守り本尊とした、

線状降水帯の被害、大きくならないよう願って!
坂東札所10番・巌殿山正法寺・・でした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女子衆に福徳の翮を と・慈光寺。埼玉。 

2021-08-11 21:31:50 | 坂東札所

埼玉県比企郡ときがわ、
人口1万人ばかり、300メートルの都幾山に登れば、
👇750年の風雪に耐えた、板碑が9基。
1262年の刻んだ文字に、
確実な歴史に触れ、
江戸の頃にはこのあたりに仁王門があり、
女人禁制の結界があり、
女性は、結界を避けて、観音堂にお参りしたという。





狭い石段を登れば、



雨上がり、さらに鬱蒼とした観音堂が・・
役ノ行者の修験の道場のいわれ、
山岳寺院が、真実味を帯びてくる風情。
「4月、秩父山峰を苦行し、
6月富士山に登り、7カ日日夜苦行をし、慈光に帰る」

                         慈光寺実録。
天台修験の高い格式を誇る・・・と。



















1189年、源頼朝は、
奥州・藤原討伐のために、
愛染明王像を、寺領1200町歩を、
住職に贈り、日々祈願せよの実録も見逃せない。


👇 如意輪観音
台座に、一七九六年とあり、
都幾川から産出した石で地名から名付けた、
「小戸々石」に彫刻したもの、
宝珠と蓮華の代わりに、赤子を抱いた悲母観音。
女人信仰が盛んになった江戸中ごろ、
月の22日の夜、
この観音の前に女衆が供物や、食べ物を持ち寄り、
喜びや悲しみを語り尽くす・・
娯楽のなかった時代の、唯一女性の楽しみで・・・。


👇慈光寺は、文化財の宝庫でもあって、


👇国宝・慈光寺経・・・
「法華経 授気品 第六」など、









👇1245年の梵鐘。
物部重光、物部鋳造集団の重鎮、
彼らの鋳造は国宝級だらけ・・。







👇多羅葉樹・今でもはがきに使える、
葉に文字を書けば黒く浮き、
戦国時代は敵にばれないように、よく使用したという。
1000年の樹齢だとか・・・
慈光寺本堂には無数の逸品があり、
本堂に入って、出るまで90分、
その時間も考慮してと・・老婆心。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

咲き分けの散り椿・星谷寺。座間市。

2021-08-09 21:04:06 | 坂東札所

神奈川県座間市、古墳時代の遺跡が、
多く見られ、文化の開けた地。
清泉豊かにして、星影が池の水中に映じて、
暗夜も白昼のようだ・・古代人は、
この地を星谷と呼んだ。
池水の神秘に寄せる素朴な伝承。

👇咲き分けの散り椿、
なんと美しい言葉。
花弁丸ごと散らない椿の花弁、一枚一枚散り、
赤に白、桃色の花が咲く咲き分け・・・


訪ねた時期は、遅かったか、早かったのか・・・。
見たことのない椿に、胸が早鐘になる。

坂東札所8番、妙法山・星谷寺 しょうこくじ







👇勧進鋳造された梵鐘、
相州星谷寺、大檀那源朝臣信綱、大工源吉国とあって、
・・・源朝臣信綱・・主君、源実朝の姓
東日本で二番目に古い梵鐘・・・、
撞木で鐘を着く、撞座が一カ所しかないのは、
鎌倉時代の特徴と言われ、

保存されてた、この寺の繁栄が偲ばれる。






丹沢山系、大山講巡りは江戸から18里、
江戸人は、観音様の加護で、旅ができると、
思って出かけた人の数は、20万人。
戦前の農村が、戦中は軍事施設のまちに、
戦後は米軍キャンプ地にされて、
星谷寺は、座間市の代表する寺といえ、
ひっそりと、歴史を刻んだまま・・。
































コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする