春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

本庄市栄螺堂、回廊。②-② 埼玉県本庄市。

2021-03-31 21:42:21 | 社寺









環境に合わせて言葉少なく、
いつもブレっぱなし、
一人になれば、あと2~3年、
活力も消えていく・・と。
衆生を摂化してくれる観音様、
本庄栄螺堂では、呻いて、
溺死した、焼死した浅間山の噴火の犠牲になった、
人たちの冥福に、
観音様の前では、何か胸が騒めきます。


































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悶えて、なんかしなきゃ栄螺堂。① 埼玉県本庄市。

2021-03-30 21:24:03 | 社寺

春爛漫昨日、半袖姿の箱根から
今日は、不覚、
2度寝の深い眠りは、どこまでも深く・・
日ごと増える乾燥肌の皺は、
鏡に前に立つ動きを拒んでます。
寝た~・・・。




1層は秩父三十四観音、
2層は坂東三十三観音、
3層は西国三十三観音の右回り、
螺旋で2階建ての堂宇を3層にして、
100観音を参拝するので、栄螺堂といい、
関東から東北にある8堂宇の、
本庄市
成身院百体観音堂。
1783年、浅間山の噴火で我妻川から利根川への、
火砕流、流された30数村、人馬を埋め、
河原ではうめき声に、おびえる人たち、
焼死、溺死の人たちを弔うものもおらず、
成身院住職が、河原で七日七晩、法華経を唱え、
江戸の辻々で、金子を集め仕上げたのが、
百体観音堂、
重なる火災で、写真👇の観音堂は、
明治四十四年再建した堂宇だと・・。



訪れたのは3月7日、こぶしの花が少し、
フキノトウがひとつ。
訪れる方も少なく・・・。







彫刻は、大里郡玉井村(現・熊谷市)の小林榮吉さん。
彼の資料はほとんどなく、
資料の発見に期待しております。













👇明治20年の火災で、66体の観音像と、
残った鰐口。
江戸鍛冶町で11代続いた鋳物師、
西村和泉守に、1779年、
村の百姓の共同体惣村が依頼した、
重さ750キロ、直径180センチ。
叩いたら、腹の底に、ゴンと響いた。







栄螺堂、内部のファイルは明日まで休眠します。





箱根での花 2,021.3.29
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鎌原観音堂、石段登れたら・・。 群馬県吾妻郡。

2021-03-29 08:51:15 | Extra

2週間ばかり、群馬での仕事を終えて、
今日は自宅でのコーヒータイムです。
眼からうろこの収穫もあり、
なんか、落ちたうろこから、また新たな、
楽しみができたりと・・・。
誘いを受けた、群馬の画家さんが主催する、
こどもたちの作品や、創世記を描いた原画作品を、
拝見したのも、大きな収穫でした。

浅間山、50余年ぶりに訪れ、麓の鎌原地区、
1783年8月、90日間のピークの爆発で、



昭和54年の発掘調査で見つかった石段の遺体、
鎌原観音堂に、あと数段昇れたら助かった場所、




今はのどかな鎌原村👇
2百数十年たった、
噴火の実態を感じることはできなくて、



その歴史を語りつなごうと、地元の人たちは、
書籍もつくり、毎年
鎌原原地区和讃会、13人の会員は、
鎮魂歌祈りで披露し、
祈りで先祖の慰霊祭を行うという・・


石段のそばには、福寿草が咲いていて、






👇傍らに、水子地蔵尊の堂宇があって、
ここにも手を合わせ・・。





この後、高台から見える、鎌原神社で、


👇1788年そのままの、
当時の貯蔵庫にしていた郷倉があって、
ちょいと感動!





👇こんな艶やかな獅子は初めてであります。


火砕流で多くの村落を流失した吾妻川。
利根川に流れる我妻川、
昔は酸性が強く魚が住まなかった、
というけど、今は腰までつかった釣り人が、
いっぱい!








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浅間山・・・。群馬県吾妻郡

2021-03-25 21:58:00 | Extra


























説明看板、噴火後の鬼押しの風景を見て、
噴火のすごさを見れるけど、
古代は大きな山だったと判ると、
群馬県・長野県は大変な自然環境を経てきたと、
知らされ、言葉をなくしてしまう。
1783年、の噴火から飢饉が始まり、
身内、枯れ木に魚の目がついたような格好で、
喘いでいるのさえ、見捨て、
食料を求めて、彷徨ったという。

たびたびの噴火に地元の人たちは、
山の中に住む鬼が出された、と。
鬼押し出しの名は、
千余名の死者を粉塵の下に、
吾妻川の流れに・・・。

鬼押し出し園、10人ばかりの見学者に交じって、
今は、遠く白根山や大高山、鳥帽子岳の景色は、
美しいけど、歴史を知らされると、言葉が重い。















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竹林の龍源寺、安寧を刻んで筑井孝子さん。群馬県高崎市。

2021-03-23 22:31:54 | Extra

前回投稿した記事の不手際、
筑井さんの、龍源寺の天井画を載せるのに、
その部分、しっかり間が抜けてた。
何事にも、ぬけてるのは毎度のこと・・・。

桜満開に、黄桜河童ちびり呑んで、プファ~・・
ぐいと飲んで手拍子、オ~レヨォ~、
とはいかずの春爛漫、
昨日群馬から都内、区市町村ではコロナ感染者数では、
ダントツの八王子に戻って・・・。

絵はパッション、
見たまま、描く物を見て手が動いて線を引いたら、絵。
見たまま、色を塗ったら、絵。
そんなふうに、思う。
枕元に置いて、
見ていつの間にか安らいで眠ってしまう画集。
ある、在る。
かき集めてみたい。




          


👆👆👆 筑井先生のスケッチBookⅣ~から

筑井孝子さん、敬虔なクリスチャンの父を持ち、
高崎市吉井町の龍源寺の天井画を、
2020.10.24日、拝見しました。
アクリル絵の具を、
幾重にも重ね、重ねは100年後150年後も、
色あせることなく、
訪れる人たちの、眼を釘付けにさせる、
ドローイングを昇華させた・・・一枚一枚。
今度、この天井画を見られるのは、
筑井さんにお会いできるのは、
4月2日~4日まで。























👇この車に乗って、出先で絵を描いては、
プレゼントしてくるそうで・・。










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筑井孝子さん群馬を描く。 群馬県渋川市。

2021-03-20 21:51:41 | 魅せられた!


「記憶袋」の中にのほほんと、のさばっている、
曖昧なままの記憶が、大きな袋の中に・・

大正、昭和にパリで過ごし、パリで亡くなった、
佐伯祐三さんのパリの街を描いた絵、

高校生時代下宿先の居間に、
複製画が飾ってあって、

ただ、私は絵のことはほとんど無知・・むち。
何がいい絵なのか、サッパリ判らない。

佐伯祐三さん、パリで交友のあったブラマンクから、
「君の絵は、アカデミックを描いている」と、
酷評され悩んだという。

絵は見て楽しければいい、がせいぜい私の鑑賞の仕方。
私は絵に、アカデミックな表現している意味が、
これまたわからず、解決しないまま、
「記憶袋」でくすぶっていて・・・。


一気に解けた。
解かしてくださったのが
筑井孝子さん。
群馬では筑井先生とよばれ、
大人に、子供にも絵の教室を持ち、
数冊の画集を出版し、知れば知るほど、
絵の軌跡を追いかけるのは、むつかしい。
けど・・追いかけたくなる・・
追いかけたくなる、
天衣無縫の表現。

絵・・・疲れた時に、す~っと心の襞に・・

筑井孝子
昨年10月訪れた龍源寺で
声をかけてくださった
👇動画の聞こえにくい言葉は
「わからないことばかりです」
とたん
ファインダーから眼が外れ
筑井さんを追い始めた
記憶がありありと浮かんできます























👆👇障子を障子をキャンバスに張り替え、
3時間ばかりで群馬百景・・






















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山伏と、火渡り②--② 東京八王子市 高尾山

2021-03-17 21:35:23 | Extra


断食・滝打ち・火渡り・座禅・懺悔・忍苦の業など、
山の持つ超自然力を吸収
雨ごいや虫送りと呼ばれる呪術的な能力を生かして、
多くの庶民を救ったのも山伏。
法螺貝を吹けなければ、
山の神はその山伏を入山させないと、
心得に、人里離れて修練をする。







👇高尾山山主の、悠然とした火渡り。















👇写っている人たちは、皆さん火渡りを申し込んで、
順番を待ってます。











外人さんもいっぱいです。




約1000人の火渡り、4時間半の儀式。
来年も3月の第2日曜日、
火渡りきっと、
見るものではなく、心新たな思いに、
渡るものだったかも・・・。












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高尾山 火渡り ①

2021-03-15 21:22:37 | Extra


昨日、日曜日高尾山の火渡り祭りで、
リフレッシュ、出かけました。
式次第を最初から見るつもりでいたので、
早く着いて、ぶらぶら。
そのうち
どこからこんな人たちが現れたのかと思う、
想像外の人出。
後で判ったのは、ほとんどの方が火渡りをする人達。
八王子に住んで約20年、
初めて見る高尾山の火渡り。
その火によって世の中の穢(けがれ)や罪を焼き尽くす、
ウム!・・申し込めばよかったかな、と。
載せたい写真は今日だけでは・・無理なので・・。
次回もです・・。























👇桧葉につける前の儀式。
火打石を打ち、四方を回ってます。

















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宙に足が浮いた、金鑚神社 ②--② 埼玉県本庄市。

2021-03-12 20:07:36 | 社寺


👇高尾山のムカゴネコノメソウ
撮ってから2週間が過ぎて、
今頃、ハナネコノメは、

蛇滝あたり咲いてるでしょうか。






先週、5,6日群馬で一仕事、
日曜日は、てっきり疲れて、

少し不貞寝かと思ったものの、
シャカリキ、何を思ったか、埼玉県本庄市に。

群馬県花輪で、
彫刻集団の礎を築いた彫物師の、
石原銀八郎。
神社も火事にあったり、災害で流されたり、
残っている神社で、彼の鑿裁きを見れた後は、
初恋人の消息が判ったのと同じくらい、
地の足、宙に浮きっぱなし。
1724年完成、本殿その作品が👇




それから28年後、
熊谷市、国宝聖天院歓喜院の彫刻に携わって、
弟子、関口文次郎に彫らせた「猿」
病に罹りながらたぶん、鑿を持つことなく、
20才、文次郎に生涯の技を教えたとしか思えない彫刻。
似てる。

それが文次郎の作 👇


石原銀八郎は、利根川のたびたびの氾濫で、
遅れた歓喜院の落成を、
この地で、祝えず、静かに生まれ故郷花輪で・・。

👇石原銀八郎の作ですと、
教えてくださった、神主さん、
なのに・・・名前を聞きそびれてしまった。
















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鳥肌に意識が消えた、金鑚(かなさな)神社 ① 。埼玉県本庄市。

2021-03-09 20:28:07 | 社寺


上州姫街道、なんと麗しい名の街道。
生糸や麻、楮、煙草、漆を運ぶ道として、
女性の脚絆を軽やかにした道。
江戸から22里、中山道69次、
一番の賑わいを見せた本庄宿。

中山道と上州姫街道の分岐する交差点近くに、
石原銀(吟)八郎の名が刻まれた神社が、
本庄市の鎮守となって、地元の人たちの拠り所に。


👇 右のクスノキが、御神木に、
左のカヤが共に20mばかり、
境内にひと際の存在感で。


















金鑚(かなさな)神社、拝殿。








日光東照宮などの改修を手掛ける、
かつては真田家家臣、群馬県花輪に住む高松又八。
一番弟子に石原銀八郎がいて、共に公儀彫物師。
その弟子に、仏像彫りの天才、関口文次郎がいて、
国宝、熊谷市の聖天堂歓喜院を完成まじかにして、
文次郎に技を託して、病で亡くなってしまった。
その石原銀八郎の出世作と言われた羽目板の彫り物が、
ここ、金鑚神社で見るとは、思いもしませんでした。

華美を抑えた、シンプルなフォルムは、
意図して訪れたわけではない、神主さんとの、
会話で知った、石原銀八郎の作品、1724年。
鳥肌立つ思いでした。
長くなりました・・ここまでが、
今日耐えられる、思考回路です。
次回も金鑚神社、見ていただけますよう!





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