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{日光東照宮}{太田家所蔵}
節三・ルーシー夫妻、林田民子さんの記事にアクセスいまだやみません。
掲載当初の記事にまで及んでいることから、「お願い」です。
林田民子さんが原爆投下の指示を下したトルーマン大統領を投げ飛ばした下りの
ページはたくさん見ますが、
「書物」を読んでから投稿したという記事は少なかったです。
ブログを投稿した方は林田民子さん(?)も節三もルーシーも実在の人物だと、
その書物で初めて知ったようで、
当然登場人物の予備知識のない方は、
書物の人物像を実在の人間そのものと思ったようです。
節三を身近に思う私からは、あの書物は3度まで読むパワーはありません。
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多くのブログ記事・・・「林田民子」さん明治37年25歳で渡米とありますが
①節三の渡米は1919年。
節三と船の中で知り合ったとしますと、明治37年生まれが正しければ
林田さん16歳の時の出来事です。
②明治37年25歳となると渡米は、1929年となります。
この年は、ルーシーが亡くなって節三混乱期の年です。
③書物も、船の中で取り合ったと書いてありますので、16歳と書かなければなりません。
が・・書物では25歳と書いています。
そうすれば林田さんの生まれは明治21年生まれとなります。
ただ、書物からは林田さん明治37年生まれの記述は見当たませんでした。
※ブログ投稿された方の、明治37年生まれという記述の根拠は、
著者が来日した時の雑談からの間接情報かと思われます。
※林田民子さんの存在は、著者自身も曖昧な返事をしていますが・・・。
④書物では林田さんと、ルーシーはかなり親しい間柄と書いています。
1929年ルーシーは節三のプロポーズを受け、
林田さんはルーシーと節三達の新婚旅行に「日本行き」を勧め、
いろいろ助言をしています・・・・・
※・・1929年はルーシーが節三との新婚旅行先イタリアのフィレンツェで
亡くなった年です。(死亡届はイタリアで済ませ・小坂町に届けられてます)
お墓にいる人物にプロポーズし婚姻届を済ませ新婚旅行・・可能でしょうか?
※ルーシーと節三は1926年婚前旅行で帝国ホテルのワンフロワーを貸切り
日本の各地を観光し、鎌倉では海浜ホテルに投宿し、
三船久蔵氏らと寺社仏閣めぐりの観光を楽しんでいるのですが・・・。
※ブログに掲載しました栃木・日光東照宮、
鎌倉料亭での三船久蔵氏・芸子さんとの記念写真が時系列を証明します。
⑤著書・・の実在の人物の相関関係、人物像の描写のディフォルメの
うまさは実在の人物の描写でなければピカ一だと思うばかりです。
※実在の人物を登場させた割りには、辻褄の合わない年表作成です。
※書物は出だしからの躓きです。
※書籍にするのであれば!!
肝心なところだけでも、もう少し時間を割いて調べてもらいたかった!!
その思いが消えません!!
ブロガーさんの夢を壊すような解析になりました。
けれどこれはほんの一部です。
沢山のブロガー様からの反感を買うかもしれません・・ね!
というわけで林田民子さん節三・ルーシーの記事関係の解析は、
ここまでとさせて下さい。
書物やブログ記事を解析し続けることは本意ではありません。
今後、私のブログで林田民子さんの名前を見つけることは出来ないかと存じます。
節三関係の記事は投稿しますが、新説と言えるパワーではありませんので、
期待に添える事は出来ないかと思います。
ご理解くだされば、幸いです。
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