八王子の丘陵は、膨らんだ梢で、
樹木の姿が隠れ始めました。
仕事は少しばかりの合間が、見え、
生きてきた時間より、これからは短い時間でも、
生きてきた時間より、これからの時間は、
はるかに、優れた生き方が、できればと・・。
心身、リニュアルには十分な時間が、まもなく。
一部カットし、再投稿いたしましたので、
ご了承ください
八王子の丘陵は、膨らんだ梢で、
樹木の姿が隠れ始めました。
仕事は少しばかりの合間が、見え、
生きてきた時間より、これからは短い時間でも、
生きてきた時間より、これからの時間は、
はるかに、優れた生き方が、できればと・・。
心身、リニュアルには十分な時間が、まもなく。
一部カットし、再投稿いたしましたので、
ご了承ください
秋田の小さい町では、
白いモクレンを「田植え桜」と呼んでいた。
民家の狭い通りを抜けると、
田んぼの中にマリア園という名の、
格好の遊び場があって、夜は、
牧師さんに算数を教えてもらい、
ついでに、アルファベットも教えてもらい、
庭の街灯に浮かぶ、田植え桜をゆすり、
同級生の女の子の手を引いて帰る、
楽しい日々を過ごしたのですが、
勉強後、十字を切ってお祈りをさせられるのが、
苦痛になって、行かなくなってしまった。
田植え桜の本名が、モクレンだと知ったのは、
大人になって、まだまだ先のこと・・・。
小学4年、がき大将にあどけない記憶が・・・。
☝ 1917.8.22 生まれ故郷
モクレンが散ると、
一気に6夜続くお祭りが始まるまで、
静かな町でもありました。
☝ 1917.8.22 生まれ故郷
ワサビ。
昔から在ったと思ってはいましたけど、
平安時代の貴族が珍重した香辛料とは、
知らなかった。
江戸時代 ❛ 1745年 ❜ 静岡から、
苗木をもって湯ヶ島で栽培したのが、
湯ヶ島ワサビの始まりで、
1940年ごろ、ダルマというわさびの新種が、
神奈川県で発見されて生産量は増えたのに、
1958年の台風で、天城のわさび沢が流され、
今は、和歌山県のワサビ苗を品種改良をし、
今は日本一の産地になったという、天城のワサビ。
富士山の噴火のシュミレーションを見たら、
少し 怖くなりました。
天城のワサビ棚田、
一瞬のうちに灰の下になってしまうので、
今のうちに、今のうちに
投稿を、と。
茶漬けに、山葵海苔、
刺身の、友を偲んで目に留めた女性の涙、
気づいて流れた涙は、山葵涙として・・・。
♬寝乱れて、隠れ宿、
九十九折、👇浄蓮の滝、
舞い上がり・・・・♫
♫ ・・・
嘘でもだかれりゃあ 暖かい
わさび沢 隠れ道
小夜時雨 👇寒天橋
恨んでも 恨んでも・・ ♫
♫ 走り水 迷い恋
風の群れ 👇天城隧道
恨んでも 恨んでも 躯うらはら
・・・ ♫
♫ あなたと越えたい 天城越え・・・♬
1765年、駿河の国の町奉行所に努める、
同心に子が生まれ、市九と名付けられ、
19歳で江戸の武家奉公するも、
持って生まれた才能が邪魔をし、
ついには
香道に通じ、浄瑠璃の作家になってしまった、
重田貞一。
文才に、挿絵に、落語に、川柳にと、
才能は果てしないところ、
浮世絵も書けば春画も書いて、
1802年、37歳、
流行作家になった。
主人公に選んだのは、
駿河の裕福な家に育った息子が、
放蕩が過ぎて借金をし、
なじみの陰間と駆け落ちをして、
江戸八丁堀へ夜逃げをした。
陰間の相手が喜多八30歳で、
放蕩息子が弥次郎兵衛50歳。
妻と死別し、不運な人生を悲嘆し、
身の上に飽きた弥次郎兵衛が、
厄払いと、お伊勢参りを案じ、
江戸を離れて、13日間。
居候の喜多八が、伴をする。
東海道中膝栗毛。
コミカルに描いたのは
私生活では気難しい、
ペンネーム・十返舎 一九、
本名・重田貞一。
弥次喜多さんが、箱根の山を越え、
三島宿に着いたとき、
お詣りしたのは三嶋大社。
ケヤキも杖は無かったのでしょう。
まだ、200年ほど前の小説。
どむみりと あふちや雨の 花曇 ❛ 芭蕉 ❜
どんよりと あふち(センダンの古名)の樹の梢を見上げて・・・
息子・二郎兵衛と神池で江戸に残した妻・すての病気を気遣う、芭蕉、
写真 2019.2.24 三島市
神話・伊豆諸島を創った、大山祇命。
伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬され、
伊豆に流された、源頼朝が、北条政子が崇敬した、
三島神社、
東海道の宿場、庶民からも愛された三島神社。
神話・白浜神社の伊古奈比咩命は、
大山祇命の最後の皇后で、
こよなく大山祇命に愛されたという。
現在の社殿は1866年に再建されたもので、
社殿の向拝に彫り物を施したのが、
白浜神社の彫刻を手掛けた、
西伊豆松崎町の吞兵衛にして孤高を貫いた、
石田半兵衛。
まえぇ〜・・ならえッ!
可憐な花をつけて、9月には、
8キロ先まで美しい香りが、
ただよったという、
根廻り3m、1200年の樹齢は、
キンモクセイ。
舞殿・豆まきはここで・・。
👇 ❛ 白浜伊古奈 ❜ の名の桜
写真 2019..2.24 三島大社
👇ミヤマオダマキ
👇ナニワズ
👇将来、ウイスキーの樽になれるか、
ミズナラのどんぐりの、
発芽状態で、新鮮だったけど、
この周りは、これから咲く花が沢山あるので、
いずれは、係の人が摘む運命に・・。
ある場所を、しきりに聞かれ、拾われると知っていれば、
とぼけた場所を云ったのに・・・。
👇 これは、ミズナラのどんぐりとは関係なく・・。
パンダのように、食べては寝て、
寝ては食べる、明日はいつ来るか、と、
くくりが無い日が続いています。
早めの3月1日にオープンした湿地園、
訪れた8日は、12種類の花が咲いていました。
明日はもっと咲いているのかもしれません。
ミツバノバイカオーレンも、
ミスミソウも
セリバオーレンも
花たちが、
可憐に咲いていました。
福寿草、幸せを呼ぶというなら、
私の今は不幸ではないから、
私の傍ではなく、
福島、浪江の町一杯に、
咲けばいいのに・。
写真 2019.23.8 箱根湿地園
伊豆白浜海岸。
女性としての美しさを備え、穏やかで優しい神様。
伊古奈比咩命(いこなひめのみことじんじゃ)を
祀っている神社、通称白濱神社。
ここの向拝に絡みついている龍を彫ったのが、
駿河湾に面した松崎町の石田半兵衛、一仙親子で、
半兵衛は、書簡を読めば、思いやりのある、
几帳面な性格が伺え、
気が向かなければ仕事はしない、
1ケ月も二ヶ月も吞兵衛となり、
いざ仕事に夢中になると、一心不乱になるという。
長男の一仙は、彫刻大工ではあるけど、
幕末、志士の活動に身を置き、
舟造作に卓越した、見解を持っていたのに、
我を通し、船を造ったものの、
進水、意気揚々、沖へ出る間もなく沈没し、
ずぶぬれになって助けられたと・・・。
なんとも、好感の笑いがこみあげてくる、
エピソードを持っている。
39歳、1868年刑を受け短い生涯を閉じてしまった。
二人が彫った白濱神社、
1860年造営された、拝殿の向拝に施した彫刻です。
☝ 花は 2019.3.8 箱根湿地園
☝ オオシマサクラ
西伊豆半島松崎町、風の少ない穏やかな気候に、
オオシマサクラの葉は、擦れ合わず、
塩漬けで芳香が、あんこと餅に絡み合って、
これから、至福の面持ちにさせてくれる桜餅👇
国内で消費する70パーセントの、
塩漬けを松崎町が生産している。
初めて知りました!
昭和33年の文化勲章を胸にかけたのは、
薬学の帝王と言われる、
近藤平三郎氏の生まれが、
やはり松崎町。その生家が👇
そして、松崎町なまこ壁町通り。
欄干も海鼠の模様で・・、
昔、松崎町は伊豆国那賀郡江奈村と呼ばれ、
1801年江奈村に生まれ、
伊豆半島に15社寺、
山梨県に5社寺
神奈川県真鶴町に1社に彫刻を施した彫刻大工が、
飛騨高山の彫刻大工、小沢流から学び、
6男1女を育て、1871年(明治4年)亡くなった。
石田半兵衛(邦秀)。
1859年創建した白浜神社(昨日の記事・明日も)
拝殿向拝に絡みついた下り龍を彫ったの時は、
半兵衛、59歳の時。
彫刻大工になった5人の子で、手伝ったのが、
長男、小沢(石田)一仙、29歳の時。
2月26日西伊豆。春隣石田半兵衛148歳。
👇堂ヶ島