春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

坂東道、しのぶれど、世を忍んで・吉見観音。埼玉県比企郡。

2024-04-30 23:07:47 | 坂東札所

しのぶれど・・・淡い思いの熱い心が顔に出るなら、
冷やかされても、腹も立たないけど、
昭和の日、人恋しさに調布の深大寺で見た薔薇👆・・・
風に揺れてた、藤青色の名は 
♫ しのぶれど ♫

しのぶれど色あせて、世を忍び耐え・・・
源頼朝の異母弟、武将にして英知に長けた、源範頼、
頼朝の信頼関係も、忠誠心を疑われ伊豆に流され、
修善寺で討伐される・・・
のに、確かな記録は無く、範頼はひっそり、
ここ比企郡吉見町で、生きてた伝説・・
平安末期の幼少期、範頼はここに身を隠していたという。
坂東札所十一番。岩殿山・安楽寺。







👇虎の彫刻は、左甚五郎の作と伝えられていますが・・



おばあさんに歩調に合わせる、
背筋が通った青年👇疲れが飛んだ、いいひと時だった。












👇範頼が寄進した三重の塔は、焼失し・・











吉見観音周辺は今
吉見町大字御所という地名
吉見御所と尊称された
範頼にちなむと伝えられ
範頼の妻の祖母で
頼朝の乳母でもある比企尼の嘆願により
子の範圓・源昭は助命され
その子孫が吉見氏として続いたとされる

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イーハトーブのねりさん...part Ⅱ

2024-04-29 06:44:26 | Extra


昨日古河市からの帰り、どんよりした空は黄砂かと・・
今は亡くなった、作家安部公房さんが少年期、

奉天で過ごした空も、
こんなだったろうかと、ふと思った。
赤字は今日、昭和の日、4月29日の追記・・・です。
イーハートーブ👇とは、宮沢賢治さんの心象の理想郷だった・・
2019年7月16日にこんな👇記事を書いていました。

梅雨雲の小窓に、三温糖の香りが、プンと立った。
もっぱらの仕事で、
私のイーハートーブがかすんで見える。
さぼろう、ほんの少しだけ。
週刊天気図に晴れマークが点き始めた。
まもなく野菜に、米に、蝉にも、いい日撚りが来る。
天気図を観ていて、出かけに準備していた、
ゆで卵、殻がカタカタ音をたてて、焦げていた。

さぼろう、ほんの少しだけ。
昭和7年、「児童文学」」に宮沢賢治さんの
「グスコーブドリの伝記」が載った。

作家安部公房さんの子供が昨年亡くなった。
産婦人科医で、北海道に住んでいた。
「ねり」さん。
イーハートーブの森に住む、
木こりの子供の、
グスコーブドリのブドリの妹の名が「ねり」

昭和22年、安部公房さんが、女子美専師範科を出た、
山田眞知さんと結婚して、6年後、
生れた長女の名を、
眞知さんは「ねり」にしたいと譲らなかった。
宮沢賢治さんの「グスコーブドリの伝記」を読んだ、
眞知さんの、こころに響いた名前。

宮沢賢治さんの実生活で、
24歳、病気がもとで、
亡くなった妹の名は「トシさん」
作品には、お洒落な名の「ねり」

宮沢賢治さんの朝、昼、夕、
こころから消えなかった妹さん。

安部公房さんはラジオドラマに、
子供向けの物語をたくさん書いている。
晩年、ポツリと語る。
小説は小学校の子供でも判る、
言葉で書かなければならない、のだよなぁ〜!

まもなく、つめたい雲から陽が射す。
そう思うと、仕事への集中力も、
スイッチがパチン、いい音で入る!

さてと・・・・。

医者にならないことを条件に、東大医学部を卒業した、
彼の複眼思考は、私の同年代の男性には大きな影響を与え、
スタジオ創設には、
仲代達矢、新克利、井川比佐志、田中邦衛、山口果林らが・・・
演劇界にも大きな足跡を残してた。
イーハートーブの『ねり】さんの名を娘に付けた眞知さんも
医師だった『ねり』さんも今はいない・・・



庄内砂丘「砂の女」の取材地を歩く

 

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坂東道 正法寺 ❷-❷ 観音堂ぶらり。埼玉県東松山市。

2024-04-27 19:44:17 | 坂東札所



720年からの正法寺、頼朝の庇護のもと、
頼朝の没後の1200年、亡き頼朝の志を継いだ、
妻政子が堂宇を再建したけど、それも、
1600年代、1700年後半には、建て替えられ、
更に、明治11年(1871)の火災により観音堂が焼失して
現飯能市の長念寺から移築され、
その当時の堂宇を見たかった、
坂東札所十番、巌殿観音堂。

国家神道を国教とする、廃仏毀釈は寺院を弱体化させ、
寺領であり、修験山岳修行の場であった、

山内社寺、山林も召し上げる。
明治以降、
この影響は観音巡礼にもおよび、参拝者は減少し、
門前町も急激にに衰退の途をたどっていき、
巌殿観音も、その煽りを受けていく・・・

文明開化がもたらした、
凝り固まった観念の、イデオロギーに翻弄されての煽り・・
硬い木材の耐用は1000年、
建築文化がことごとく壊されて・・・

👇彫刻は、明治に入ってから・・


裏に、彫刻名👇が有った・・



👇大正時代に描かれた




👇斗栱の数が、観音堂の重みを感じました・・
ちょっと、胸がときめいた・・・







岸壁に、西国33霊場観音像が彫られていて、
手を合わせれば、西国を巡ったことになりますが、
この辺りで、西国33カ所も、巡るだろうなと・・・





👆👇樹齢700年の銀杏の根っこ


👇2021年はコロナがまん延、
特別厄病除けに開帳してました、薬師如来堂・










悠々自適の一日 ? 
ヘマこいて昼寝をこいた・・夢を見ていた
大工工具機を大量に仕入れ
レジで、財布の中を覗く、ところで眼が覚めた
・・大工道具機・・
案外、正夢になるかも


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坂東道『けつあぶり』に正法寺 ❷‐❶ 埼玉県東松山市。

2024-04-26 20:50:52 | 坂東札所


晴れた日は6月、人間の忍者の姿をした龍が、
胡坐をかいて、チチンプイと唱えると、
空に雪雲が湧いて、ここ比企地方物見山に、
有れよあれよと・・・雪が舞い始めた。
里人をいじめる性質の悪い龍。
と、蝦夷東征に向かう、鬼退治で有名な坂上田村麻呂が、
龍の成敗こそ、我の使命とばかり雪の中、
家来達に龍を探させた。

物見山に住む、龍の住処は99カ所もあって、
里人もどこで寝起きしているのか知らないという。


家来たち、灼熱の天候から雪の世界、
薄着の肌に凍えてつい、農家の納戸に有った麦を焚いて、
尻を温め、将軍は観音様に祈って、矢を放ったところ、

林の中にいた龍に刺ささり、比企の里に平穏な日が来た。

悪ガキ龍の伝説は、今でも残っていて、
6月朔日には、小麦ピーを焚いて、尻をあぶり無病息災、
灰を撒けば蛇除け、虫よけと農耕の行事として・・・

岩殿丘陵の最東端 物見山、
源頼朝の乳母、比企の代官、掃部允の妻、比企尼 の土地。
北条政子が帰依し、守り本尊だった巌殿観音を祀ってる、
埼玉県東松山市、坂東札所10番・岩殿山・正法寺。





戦国時代の後期には岩殿観音の本坊の他、
六十六の僧坊を、大伽藍を構え、
七堂あった伽藍はことごとく瓦葺きであったと・・記録















👇1322年鋳造の鐘・・


豊臣秀吉による関東征伐の際の、
度重なる戦で引きずられた傷跡👇が・・・













720年代の創建と伝える
寛永、天明、明治と3度
再建された観音堂境内風景・・は
込み合う道路を避け
悠々自適の、明日に・・・‼

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建具の町、ときがわ町の慈光寺 ❷-❷ 埼玉県比企郡。

2024-04-24 18:43:53 | 坂東札所

1300年の名刹、国宝の経を持つ慈光寺、
山門👇をくぐれば、観音堂は左方向に・・





巡礼観音信仰者でも、
詣りの後の宿では、道中の景色や観音堂での話に盛り上がり、
格子天井の絵や、欄間の彫刻に感心したり・・・
信仰半分、観光半分でも、
たぶん同じような会話・・・なのでしょう・・
それは今でも変わらず・・・


持ち寄った千羽鶴の束に、折る姿が浮かんでくる・・
折るときの無数にあるだろう心の動きも・・・
ビルの谷間に住んでると、時として救われる・・・





格子天井の絵を見るのは、楽しい・・
消えかけていると尚、どんな模様だったかと、
想像し、見える形にはどんな色だったろう・・

なんて勝手に浮かべては・・・
想像力の無さを知らされる・・・














ときがわ町の建具職人技は
慈光寺が、町・村の振興ために
尽くした賜物

連休、5月3日は " 火渡り" の祭事
採燈護摩供が11時から
執り行われるという



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河童、慈光寺の記憶袋に踊らされる。今日は花。

2024-04-20 10:18:04 | Extra


👇坂東札所9番、慈光寺の観音堂


と・・・ここでピタリ、
パソコンキー打つ指が
止まっちた
坂東札所8番、埼玉県都幾川の慈光寺さん。
記憶袋の紐が突然、ほどけ、
ここの札所は、この近在、小川町の紙すきや、
都幾川の建具...金に糸目をつけなければ、和式障子の骨組みな
保存したい工芸の礎を作ったのが、慈光寺という記憶。
慈光寺をクローズアップするには、観音様だけではない、
うん‥‼
今日20日、明日にかけて、この近在の散策と決めてた。
のに・・・いきなりの腰痛が再発、今朝のこと。

で、散策を諦め、札所・慈光寺の投稿もあきらめ・・・‼

腰痛、ここ何十年も経験しなかった・・のに、年取ったか・・
若かった頃の経験が今役立つ、いい塩梅も、
翁草👇も実になれば、優艶なロマンスグレーになると、

慰め・・・腰痛気にせず、朝からごろごろ・・









👇山女の花


👇爪楊枝も日本のどこかでは、パイナップルから生えるらしい・・


👇花韮




👇紫陽花



👇山吹フェチ・・うん ‼  八重は特に・・
味噌なら、信州小諸の昔ながらの山吹
、これは私には絶品・







👇 う~ん ?



👇渓流、湿地辺り、水がなければ困る河童に似て、
陽差しが苦手の九輪草👇
河童と違うのは暗所でも存在感、際だち・・ ‼



腰が治りますようにと
半紙で絵馬
壁に貼り付け

よっこらしょっと
空になった鮭茶漬けの茶碗でも
片付けましょうか

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鐘撞けば、星降る降る、星谷寺。神奈川県座間市。

2024-04-17 07:40:31 | 坂東札所

厨子は午年の10月18日にしか開けてはならない
きっちりと御開帳日を守る。
座間市坂東札所8番、星谷寺..
しょうこくじ..
星影が見面に映り、暗い夜道も、白昼の様だと、

里の人たちが言った。

古木の根洞にいる観音様の声の様だ、
里山の人が聞いてた声は、法華経読誦する行基さんだった・・






きっちり、白く、幾何学模様の寺域は、現代的。
黒ずむ白木の建物が好みの私には、ちと、
寺院巡りの気勢をそがれてしまった。




けど・・・堂宇の中に入って、
すっかり気に入ってしまった。

















👇1227年の東日本では最古の鐘、
撞木で打つ撞座が一カ所..ほとんどの鐘は2ヶ所..と、
云うのも、珍しいという。
鎌倉期には、鐘の音が響いていて、繁栄ぶりが伺えます。






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消えた梵鐘。長谷寺 ❷-❷ 坂東道・神奈川県厚木市。

2024-04-15 06:39:04 | 坂東札所


源 頼朝公が秋田城介義景に命じて造営された観音堂
再建された年代は18世紀中期と推定されます




内部の、内陣と外陣は格子戸によって結界されています 




密教本堂式の本堂に存在を示す、
軒の重さを支える斗栱..ときょう...
必要以上に長い格調高い、デザインは宮大工の粋さ・・
長いのは、ここ長谷寺だけではありませんが、
坂東札所では ここだけだったと記憶してます。






長谷寺の梵鐘、
身体の芯をゆする鐘の音は、
病に伏した人さえ、病が消えていくようだと・・
そんな梵鐘、坊さんが朝夕の鐘突きを忘れてしまった。

雷が轟くその夜、梵鐘が行方知れずになった・・
それ以来、里の人々は、
若葉をゆする峰の松風が、その鐘の音の様だ・・

坊さん、新しい梵鐘を鋳物屋さんに頼んで、仕上がった鐘を、
掛ける準備をしていた夜、梵鐘のあり場所を告げる夢を見た。
お告げの、境内の場所を掘ると・・・
行方知れずの、梵鐘が埋まっていた・・
長谷寺の隠鐘の伝承・・・

隠れた梵鐘の句👇は、今も石碑に刻まれて















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五色の池から観音像、長谷寺...ちょうこくじ❷-❶ 坂東道、神奈川県厚木市

2024-04-14 10:24:01 | 坂東札所


丹沢山系、小振り280mばかりの白山の中腹、
1350年の古文書に.縁結び..のお寺とあ.、
坂東札所6番、厚木市の長谷寺..ちょうこくじ..

数々、縁結びの社寺を巡ったけど、
いまだ、男女の縁は、遠くその気配すら無い‥無い・・です。



丹沢山系、小振280メートルばかり、
ハイキングコース白山の中腹、
先代住職が炭でも焼こうかと植えた、
裏山一杯3000本の桜、紫陽花の咲く6月ごろは、
子どもたちの遠足、親を連れて、

花見で駐車場はいっぱいになるという。





仁王門からの石段振り返れば、遠く厚木市内、
屋根には、飛鳥時代、中国から瓦と共に伝わった、
魚が水面から尻尾を出している最古のフォルム、鴟尾..
しび..
鬼瓦や鯱..
しゃち..などはこの後の造り。



彫刻にはちと、柔らかい赤い実をつける、
樹齢400年のイヌマキの下、



725年突然湧き水が湧いた。
溜まった湧き水が、五色に輝いたので、里の人たちは、
怖がって、誰も近づかなかった。
そこへ、教えを説きながら各地を回っていた坊さんが、
食物を頂くための鉄の鉢で、すくったのは、
五色の輝きを発していた、11面観世音像だった。

すくい上げた坊さんの名前は、行基さん。

行基さんは傍の楠で1メートルばかりの像を彫り、
その胎内に、11面観音像を埋め、
この地のに、長谷寺の礎を作った。








本堂へ参りましょう・・



👇晴れてれば遠く厚木市内が・・・


本堂に着きました

社寺巡りの良い所
石段の昇り降り
体力がついて、
心が洗われて? ♫ 煙草も吸わない
・・・境内の風景は次回に・・・

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坂東道、仏さん重くなって動かず。勝福寺。小田原市。

2024-04-13 08:33:47 | 坂東札所

箱根を超えて、小田原辺りで仏さんが動かなくなった。
753年孝謙天皇が、唐の鑑真和尚から頂いた、
11面観音像を道鏡が栃木県に下るとき下賜した、
観音像が、箱根を超えて、小田原近くで、
急に重くなるや、ピクリとも動かず、持てなくなった
困惑の道鏡を見て、人々は、観音様は、ここで祀ったらと・・
運び泰安して、御堂を建てた。
小田原市内を流れる、酒匂川・巡礼街道の、
坂東札所5番、飯泉山・勝福寺の伝説。












樹齢1000年の銀杏👇
















👇青銅の船の舳先は、鬼気迫る迫力。


👇龍の船に乗った観音さん












勝福寺住職
念願の坂東、西国、秩父の観音の巡礼したけど、
それぞれのお寺さんを印象深く参拝するのは、
一回ではなかなかできないものだと・・・
西から来れば
ここが第一番の札所になるから
坂東の顔として
和顔愛語で巡礼に接したい
👆書籍より拝借です


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