改元がお祭りになる、
天皇即位が、悲しみを引きずらない即位であれば、
天皇攘夷は許される、と、
我々の多くが思うことになるのでしょうか。
昭和天皇の崩御した時を知っているものにとっては、
なんとなく複雑。
天皇崩御の時は、店も開かなかった。
多くの人との一体感があったけど、
天皇象徴という実態が薄れなければいいのだけど・・。
ただこれからの若い方たちにとっては、
新しい天皇の姿を見ていくのだから、
余計な心配ごとですね。
あと10分、
改元がお祭りになる、
天皇即位が、悲しみを引きずらない即位であれば、
天皇攘夷は許される、と、
我々の多くが思うことになるのでしょうか。
昭和天皇の崩御した時を知っているものにとっては、
なんとなく複雑。
天皇崩御の時は、店も開かなかった。
多くの人との一体感があったけど、
天皇象徴という実態が薄れなければいいのだけど・・。
ただこれからの若い方たちにとっては、
新しい天皇の姿を見ていくのだから、
余計な心配ごとですね。
あと10分、
昨晩、ブログに投稿した後、
左の耳に触ると吐き気と天井が回る、
症状に藁をもすがる素人が施したのは、
茶碗一杯の茶漬けと、
両耳を引っ張ったり耳たぶを揉んだり周りを、
トントン抑えたりした2時間です。
それで効果が出たのかはわかりませんが、
今朝からは眩暈のふらつきもなく、
天井も回りませんでした。
ご心配をおかけいたしました。
耳たぶを揉む効果は、
薬を飲まない治癒、
健康本の見出しで呼んだことはありました。
今回・・耳鳴りの音が小さくなったのは確かです。
今も天井が回った昨日に比べたら、
あんずの大きさと、小玉のスイカほど、
ただ、思考の集中時間が長いと、
少しずつ高くなってきます・・・。
視力からのストレスも大きいですね。
それは仕方のないことで、
ウィークポイント、長い付き合いです。
これからは、程よく、眼を休ませ、
気分転換も図るようにしなければ、と、
反省をしております。
明日からはまた違う文面で、
お会い出来るここと存じます。
近所のお宅の庭に咲いていた花から・・。
調べても判らない花もあり、名前は後日、書き足します。
ひんやりとして、富士山がくっきり見えた八王子でした。
いつもは、午後2時ごろまでは、
陽の目を見ないかもしれない、資料作り、
それから15分ばかり午睡します。
その今日の午睡で、これからのルーティーンを、
変えようかと思ってしまった、体の変化です。
3月の定期健康診断では、全く正常な診断、
若干血糖が基準値から出そうなので気を付けろ、と、
問診で言われたのに、
午睡で訳の分からない夢が変わって、
カクンと意識が落ちたような気分。
吐き気に目を覚ましたら、天井がクルクル回っていた。
動くと、吐き気。気分転換外に出たら、
街中の看板がよく見える気分が、ふらふらさせて、
意識が遠くなりそう。
とうとう、胃の中を空っぽにしてしまいました。
左耳を揉むと吐き気がする、
三半規管の障害?、耳鳴り。
埃のように小さいストレス・睡眠不足、
精神もタフだと思っていましたが、
老化への日々に、突然現れた症状でしょうか!
さっき16時頃から21時頃までは爆睡でした。
ぼやけて見ずらかったテレビの画面が、
くっきり、本箱の書生の文字もくっきり見えました。
ピントの合う文字・画像を見るのは久しぶりです。
しのびよる恋には、不安も恐怖も、絶望もあるけど、
倖せのひと時もあり、人を成長させる力がある...、
のに・・しのんできた疲労のスロープには倖せ感がない、と、
のど元過ぎない連休明け、
もう少し、世の中の一人でいたい!
医師を頼って、快適な状態に戻ればと。
今宵は花を見ながら‥です!
写真 2019.4.22 箱根湿地園の花たち
蛙の目借時どころか、八王子の雨は、
仕舞い忘れた どてら に感謝した10連休前でした。
明日から4〜5日の仕事に精を出し、
後は、花ラッキョウつまんで、英気を養うことに・・。
木瓜の花、
記憶」を失っていく父に困惑した娘が、
道端で、泰山木を見入っている姿を見て、
記憶は、美しさは忘れていない、と、
以後、父の看病に精を出す娘の姿を描いた、
有吉佐和子さんの「恍惚の人」
木瓜の花では、
花柳を引退した、二人の女性、
壮年の学者に乙女のような心で憧れる正子
豪華な料亭を経営しながらも、男無しでいられない蔦子、
幾度の衝突を入り返し、とだえた二人に、
恍惚の人となった、蔦子の母が訪れ、
再び、二人の愛憎が始まる・・。
ロバート・キャパ。報道写真家が、
一躍戦場のカメラマンとして脚光を浴びたが、
ピントが合わない写真があった。
覗いたファインダーの光景に、
震えた指で押した、シャッターに、
仕上がった画は、ぼけていた。
1996年代、欧米のカメラ誌で
❛ bokeh ❜ (ボケ) という写真用語が生まれ、
「ピンボケ」の言葉は、世界共通語でもあり、
輪郭の境がぼけるのも、貴重な一葉だと・・。
日常の常識をひょうひょうと逸脱して語る、
私のことを、
陰で、ボケと噂する輩もいる・・が、それが楽な時もある!!
昨晩の雨が稜線を浮かべる、爽やかな八王子でした。
近くの高尾山に登ればいいのに、
残念!頬杖ついてタバコ、ぷかり。
出不精の性格が、幅を利かしてしまった・・・。
雪餅草・世界的に見ても、
日本の三重、奈良、四国の限られた地域に自生するという、
サトイモ科テンナンショウ属
別名を歓喜草とも言い.
これは,ユキモチソウを初めて見た人たちが,
その美しさに仰天し,
歓喜するところからつけられた名前という。
暑い季節に直射光に当てるのは致命傷で,
涼しい環境作りが必要。
雄・雌が年数によって性転換する植物のため
山に還す時期も非常に難しいらしい。
性転換は、発芽して大きく(2~3年)成長するまではオス、
それ以降はメスに転換するようですね~(インターネットより)
雨が降ってきました八王子の宵に、
風の音も聞こえてます。
箱根湿地園では、咲く花も多くなっていました。
昨年も見たヒマラヤの青いケシ、今年も咲いていました。
今年2月初めに亡くなった、
うつろいゆく自然の姿を描いた、
日本画家の堀文子さんが、
このヒマラヤの青いケシの写生の為に、
82歳でヒマラヤに登った。
江戸っ子、切れ味のいい語り、
洗練された画風は、語り口そのまま。
日常は孤高にして、気さくだったと・・。
花柱ある青い花は、ケシ科メコノプシス属で、
花柱が無く、ヒトデ状の柱頭になっている、
黄色い花は、果実から麻薬を取る、
ケシ科ケシ属といい種類が違うと知りました・・。
〜 ヒマラヤ山脈の青い花 〜
八王子のメイン通り、多摩御陵から高尾まで、
ひと、人、人。
観光地での人込みには酔うものの、
今日の人混みが嬉しい。
天皇陛下が武蔵野御陵に着く予定は11時30分。
8時には、御陵への橋はかき分けなければ・・。
こんどいつ来るかわからなければ、
今までの両陛下の思いと行動には、私でも、
一声かけたい。
昭和天皇に退位の報告を済ませた、
美智子妃殿下に、
呪縛であったろう長い軌跡、
玉串捧げて、今日で融けた重責・・・と、
そう思わせた、御陵からのまなざし・・。
昭和47年から5年ごと参拝をしていた、
労働災害で殉職した方々の御霊を慰める、
高尾みころも霊堂、
今後は皇太子殿下が引き継がれるのでしょう、
退位の今年は、3年で玉串しを捧げました。
この目つきにも感謝をしたい!
どこからともなく「お疲れさまでした」
「ありがとうございました」
一声かけるはずの私は、言葉をつまらせ、
沢山の感謝の声に、
美智子妃殿下のまなざしに、
沢山の集まった人たちの眼は潤るんで、
振る手が、見えなくなっても、
まだ動かない。
私もその一人でした。
美智子妃殿下も、
「ありがとう」と、そう、語ってたんだよな!
国道305号、福井県越前街道、
今は漁火街道と呼ばれ親しまれ、若狭湾が眺望でき、
晴れた日には、快適なドライブコースになる。
☝ 北前船のコンクリートのレプリカが、一際引き立つ広場。
自販機の陰から、舞う新聞の折り込み広告が、
舞う先を見つめて、返ってきた言葉は、
『原発は停まらないほうがよかった!』
原発から流れる排水が、海水を温め、
サワラ、鯛も、イカも沢山獲れたのだといいます。
5年、今は海水が冷えて、全く獲れなくなった。
漁だけの生活はもうできない!
唖然として、私は、カメラを背中に回していました。
若狭湾の向こう敦賀半島👇は、
「もんじゅ」「ふげん」が在るところ。
小一時間、去る二人の元漁師の後ろ姿に、
昔、江戸後期から、北前船で莫大な財を築き、
明治の半ばには、通信、汽船、内陸の交通が発達して、
その役割を終えてしまった、
船主たちの軌跡が、くっきりと浮かんできました。
2017年4月、日本遺産に認定され、北前船。
「荒波を越えた、
男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」
南条郡南越前町河野。
廻船全盛の頃はこの道👇がメイン通りだといいます。
👇昔の工法で直すのでしょうか、
楽しみです。
☝ ☝・・👇ここの家々は、船主たちだけが住んでいた、集落で・し・た!
線路沿いにアケビの花が咲いていました☝
鎌倉・扇ヶ谷町。
尼寺・英勝院、
江戸城を築いた太田道灌の血を引く「お梶」さん、
徳川家康が亡くなり落飾して『英勝院』と呼ばれ、
お梶さんを慕っていた、家光に寺を創ってもらい、
1642年まで住んでいたのだそうです。
お梶さんについては専門家の間でも、
正確なことは判らないとのこと・・。
映画や、テレビではお梶さん・
家康と戦場に出れば負けなしと言われ、
一時は『お勝』と言われた。
正確なことは判らないので、
アウトライン、この辺にして、
尼寺の本堂、30センチばかりの格子を開くと、
豪華!
極彩色に彩られたご本尊です。
歴史・・小生疎いものでこのあたりにします、が、
訪ねたのは、前回投稿の寿福寺の隣、
源氏山を背負った場所で、
太田道灌の屋敷であった場所が決めて。
閉門16時。
10分前、頭を下げて見学をさせていただきました。