春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

めんまへの手紙、定林時。秩父。

2021-05-31 20:15:29 | 秩父34札所


👆 スマホで撮りまくってた青年、
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の、
アニメに出てくる絵は、
札所17番、定林時でした。
そう教えられ、彼を待つ恋人の姿も穏やかに、
アニメの思い出に、二人の「思い出物語」を、
創ろうとしていた青年。
美しい時の流れでした。




👇 今宮坊で御詠歌を唱えてた、御夫婦も、
笈摺を手にして、18番に向かうのでしょうか。




『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
~ めんまへの手紙 ~


 
















































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秩父夜祭り、明けて西光寺。秩父。

2021-05-30 21:21:54 | 秩父34札所


 ハ~エ
  秋蚕仕舞うて(コラショ)麦蒔き終えて
  秋蚕仕舞うて(コラショ)麦蒔き終えて
  秩父ナ~エ 秩父夜祭り(アレサ)待つばかり(コラショ)
   ハァ~ソウトモ ソウトモ ソートモネ  秩父音頭

総鎮守秩父神社で執り行われ、
細々と暮らす、山合の人々の養蚕豊穣を祈り、
近隣諸国との絹取引の機会でもあった、秩父夜祭


昔から盛んだった、秩父詣り。
秩父神社・三峰神社・宝登山神社の三社を、
詣りした後、多くの人たちが立ち寄ったのが、
霊場・札所16番、西光寺👇だったといいます。

👇1710年のままの本堂を見据えて・・。









👆👇向拝から欄間の、大きな釈迦の涅槃像が見えた。


👇西光寺には、10年歳月で建てた、
1783年浅間山噴火の世情不安を鎮めるための、
回廊堂があり、



👇入り口には、砂場があり、


👇四国八十八カ所の模像が泰安されている。









👇木立の中に、3軒紙面のお堂が・・。



👇柱に無数の傷跡、ここは最初の観音堂で、
本堂であったといいます。
巡礼が木製の納札を打ち付けた釘跡。
打ち付ける巡礼の姿が映って見えます。









👇30石酒樽、一日3合飲んで・・
30年・・・、小生これから飲み始めても・・
今日は観音巡り、首をぶるぶる、次の17番へ。


👇と、覗いて、因幡の白兎・・大黒様だぁ。







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漆喰、清楚に少林寺(蔵福寺)。秩父。

2021-05-29 23:37:56 | 秩父34札所

寺社巡りをして境内の樹木の名の札が、
下がってるのを見ると、
何となく穏やかな気持ちになる。

札所15番、母巣山・少林寺の植え込みには、
牡丹、さつき、モミジ、モクレン、フジなど、
小さい札がひらひらと舞っている。
住職が、巡礼者の目も楽しませる、心遣いで、
春先の福寿草は5000株もあり、
少林寺本堂を「福寿殿」と呼ぶといいます。

👇駐車場からトイレの横を進むと、






👇千鳥破風に様式形式の本堂に、
お寺さん?かと思わせます。






以前は秩父神社の境内にあった蔵福寺で、
明治の廃仏毀釈で廃寺になり、
信者の巡礼の信仰が薄れると、
民政役所に存続の願い出て、
市内柳島にあった五葉山少林禅寺を、
現在のところへ移し両寺合わせて
秩父札所15番としている

霊場にある観音様は、百観音の中の観世音、
すべての観音信者が礼拝できる観世音。
札所が変わろうと巡礼は、それに左右されない・・。

ものすごいエネルギーです。


土蔵式は真っ白な漆喰で、
明治11年の秩父大火で、焼失してから、
観音様を守るために、
寺社建築様式を捨てた、信者の願いは、
明治の末に建てられたもの、

寺社建築様式を想定した思いは、
見事覆されて・・













👇ここが参道入り口であります。


札所15番 母巣山少林寺




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飛天、雲から今宮坊。秩父。

2021-05-28 19:44:42 | 秩父34札所


昭和の1枚の写真、
10人ばかり、雪融けのわだちを、
菅笠、白衣、金剛杖に鈴を鳴らしてる巡礼の人たち。
車で、ひょいひょいと「巡礼です」と言うのも、
なんか、浅ましいよな気がして・・。



秩父霊場が最も盛んだったのは江戸時代で、
1750年の名主報告では、
正月から3月21日までに、
4万余の参拝者が訪れ、
1日約3000人余りの巡礼、
当時は日帰りもない頃ですから、
秩父領16か村で1万7千人の総人口で、
受け入れは容易ではなかったことでしょう。

👇の御夫婦に、秩父観光の二人と思いましたが、
あれよ、あれよで、聖観世音菩薩様に
きれいな響きの御詠歌、納経所で頂いた、
笈摺をきれいにたたんで・・。









看板👆今宮神社は、この場所から2~3分にあり、
神仏分離令のあおりに、ちと寂しい・・・。


納経所にはこんな👇人形が置かれ、
ほとんどの札所に置いてあります。
秩父の半世紀前は銘仙産業が盛んで、
夜の町もかなりの賑わいだったようで、
御朱印をいただいた後、寄り合いの夜の酒席、
資産家から、しこたま大人への、
語れない手ほどきをいただいたと・・。
宗教家から、なんかほっとした思い出話。
ここの先代の住職が、
さびれていく秩父巡礼を憂い、
民族博物館を作り、版画を集め、霊場の保存や巡礼への、
サービス機関として、奉賀界会を作成して、
今、注目されるようになさった方・・・。













各札所ご本尊の撮影は禁止されていて、
唯一撮ったもの・・・
撮ったのはあくまで飛天像・・で・・す・・ウン!


本来は長岳山正覚院金剛寺といい、
歴史は古く、平安時代・・
秩父札所14番・今宮坊



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ぷっきり飴、頬に慈眼寺。秩父。

2021-05-26 22:17:26 | 秩父34札所

👇「め」の看板を背負った小坊主が迎える、
門型・薬医門は、秩父市内の賑やかな通りにあって、
札所巡りの貴重な資料を見られる、
秩父図書館から徒歩10分程度。

👇秩父札所13番、旗下山・慈眼寺。



👇経堂前の地蔵さんに手を合わせ、
次いで、巡礼目的を外れて・・

サクランボ? いつ赤くなるかなぁ~と!





秩父の札所の多くは、明治11年の秩父大火で類焼し、
再建にはかなりの時間を経ていて、
慈眼寺も24年の歳月がかかったようです。





👇彫り物があるとつい、見入ってしまいます。
やわらかいフォルムに包まれて中国の故事、
疲れた体を癒すような向拝が、
合わせる掌に伝ってきます。










👆地蔵さんの後ろに、👇石造りの経堂があって、
六角の輪蔵に、1630巻の一切経が収められ、
周りには、札所を開拓した13人の権者の像、



👇その下には、
歌川広重(二代),歌川国貞/画 万亭応賀/編 の版画で、




秩父札所34番、二人が描いた版画が、
👇PDFで見られます。ポチっと!













秩父札所13番、慈眼寺。







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