障害者雇用の内実、について、体験を通して知っていることを書いてみる。
あらかじめ障害を告知し、起こりうる状況を最初から開示し、強みと弱点をはじめから明らかにし、会社に物理的対策・合理的配慮を講じるよう求める。これが障害者雇用、障害者雇用促進法に基づく就労、なのではないかと思う。
障害開示することで、会社には合理的配慮義務と安全管理義務が生じることになる。その配慮の下で「安全に」働けるようにすることで、他の社員と引けを取らない生産性が期待できる。ということであり、怠けていい。楽をしていい。ということではないと私は思うし、どうせ仕事をするのなら、やりがいを感じられるよう心を込めてやらなきゃいけないことでないと、面白くないな。
トヨタ自動車さんの最近の障害者雇用記事が出回っている。
妥協なき合理化と障害者雇用の融合 トヨタがものづくりで見せた力 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
前向きな記事だと思う。特例子会社の障害者雇用社員たちが生産現場で活躍する。というもの。
元トヨタ系列の社員だった私に言わせてみれば、障害者が生産現場で業務に携わることは、別に特赦なことではない。
特例子会社さんでなくても、製造現場では障害非開示〈クローズ〉で普通に働いている人。精神疾患
などでいったん休職して復帰した精神障害者。労災事故から復帰した身体障碍者が、すでに大勢就労している。
20~10年前の話だが、指が欠損している人、指が動かなくなった人、びっこひいて歩いている人、てんかんの人、うつ病の人、などと私はトヨタ系列の生産現場で働いてきた。
私自身の自閉症は当時の診断基準では該当せず、知る由もなかった。軽度知的障害っぽい人、発達障害的な人なんて、製造現場にはごまんといる。
みんな、それぞれの人の特性を把握して、助け合って普通に仕事していたと、私は認識している。
ただ最近は、そういう助け合いが難しくなっているのかもしれない。とも感じている。
普通に比較的恵まれた給料もらっていたから、その分危険できつい大変な仕事でもあった。
障害配慮、ということではなく、ほとんどの人がナチュラルサポートだった。
その分、厳しい環境だったかもしれないが、働き甲斐のある現場だったのかもしれない。
最近はやりの農園とか、障害者雇用率達成のために「ただ居る」というお仕事にも価値はあると思うけど、私は現場の役にダイレクトに立ちたいと思う人間だから、障害配慮を少しだけでも受けたうえで、力量を発揮して達成感と社会的価値とお金を得られるような仕事。したいですね。