離婚後1年。離婚前年と今年の比較。
<結論>
- 入院危機からの脱出成功
- 希死念慮減少。
- 向精神薬毎日使用からの解放。精神薬の頓服化。
- 多少さみしい。かもしれないが、再会する理由がない。元妻たちとの過ぎし日々の楽しい思い出を回顧しつつ記憶を自信に、次に進む意欲。
- 壊れかけた両親との関係性修復傾向。
- 自分の家が自分の居場所になる。快適な時間と空間の回復。
- 家族を養うために心身に鞭打ち無理して命がけで収益を図る必要がなくなり、障害認定を受けるレベルになった相応の働き・稼ぎでよくなる。
離婚は元妻との、弁護士からのアドバイスも交えた数次の交渉で確立したもの。
乱闘をしたわけではない。
離婚前月まで夫婦関係あり。私的にはお付き合いだったが、元妻的からは「体で払っている」と何度も言われていた。
離婚原因は複合要因。一言では語れない。なんにせよ、大立ち回りしたわけでない。
私の言い分
- 当時の家庭内に居場所なく、希死念慮から自殺企図に至ること数度。
- 元妻側から家を追い出され、実家に避難すること数度。
- 万が一の自殺に備え遺書〈自筆遺言証書〉を書き、元妻に家と財産を贈与〈事実婚だったので「相続」ではなく「贈与」〉と明記したが、元妻は法的効力を信用せず。
- 元妻は私が万が一死なれたとき、両院から家を追い出される不安をしばしば口にし、財産分与してくれるのなら離婚成立させたい旨。何度話し合っても離婚の結論に至る。
- もともと、経済観念や妻の娘の育て方への相違など、関係性はくすぶっていた。元妻が私からの財産分与などで自立を選択。
- 私の病状悪化により一家を支えられるだけの稼ぎが見込めず、家事もできなくなりつつあり、双方にとって苦痛となっていた。離婚してよかった。
私は一度ご破算にしたうえでの再契約を選択肢として提示したが、元妻は財産分与と離婚を希望し、離婚成立。
元妻は結婚前はプロテスタント〈私の信仰する〉への親和性を醸し出していたが、離婚時点からは元妻の出自である法華への帰依を表明。私との結婚のために元妻は自分の信念まで曲げていて、無理していたと思う。
私は元妻の娘への障害年金認定支援〈社労士費用〉を含め、弁護士提示の倍額を元妻側に財産分与。
私は、元妻たちとの離婚後の定期的交流を、当初希望。
元妻娘の障害年金受給決定後、元妻から交流を謝絶された。支援者から「中途半端にやさしくされるのは嫌。大好きになれないのなら一切絶ち切って女手ひとつで生きるという元妻の判断」と解説され理解。
私は元妻たちとは今後合わないことが元妻たちへの愛情と理解。
7年連れ添った元妻との離婚が今年最大の出来事だった。
出会ってから最初のうちは大変良かった。
子育て経験でき、最重度の障害児の家族の立場になれたことは幸いだった。
危機が訪れて離婚になったのは、その程度の関係性だったのだと理解。
離婚して自分の居場所が回復。家族経営の気苦労消失。経済的にも安定。
両親との関係性も回復傾向。
自分らしい人生を、今後模索していく。