鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

牟礼高松図小柄 後藤 Goto Kozuka

2011-04-07 | 小柄
牟礼高松図小柄 後藤


牟礼高松図小柄 無銘後藤

 屋島に逃れた平家は、屋島をより堅固なものとした。力の衰えぬ水軍を頼りに瀬戸内を支配し、京奪還を狙っており、度々の小競り合いは平家に分があった。一ノ谷から一年、頼朝は平家を追い詰める最後の時がきたことを確信し、義経と梶原景時に屋島攻撃を命じた。
 義経は速やかなる攻撃を主張し、嵐を突いて阿波へと渡り、夜を通して馬を走らせると、屋島の裏手に当たる牟礼高松に陣を敷いた。松の下に佇む馬上の義経がその場面を意味している。
写真の小柄は横長の画面を活かした後藤の作。赤銅魚子地高彫金銀色絵。裏板を金削継に華やかに装っている。
 実はここに至るまでに、義経と景時に対立があった。直線的に攻撃することを良しとする義経に対し、作戦を練って戦うことを主張する景時の、まさに両雄の思考の喰い違いである。いずれにも理がある。伝説として有名なのが、逆櫓。景時は、海戦に弱い源氏勢は、舟の前と後ろに櫓を付けて動きを自在にすることを主張する。対して義経は、最初から逃げることを考えていては勝てない、我武者羅に突き進むことを主張。これを意味しているのが、写真の鐔であろう。
 受け入れられないと判断した義経は、わずかの五十ほどの騎馬勢のみで急襲作戦を実行したのである。


逆櫓図鐔 無銘