雨龍図鍔 (鍔の歴史)


雨龍図鍔 通壽作
水戸金工、谷田部通壽の肉彫地透になる鍔である。通壽もまた奈良派に学び、水戸金工の基礎を成した一人で、また多くの金工を育てている。鍛え強く艶の良い鉄地を巧みに彫りぬき、二重式の耳には雷文を銀象嵌で廻らし、鱗のない、うねるような身体には丁寧な鏨を加え、架空の生き物ながら筋肉質のその様子を巧みに再現している。水戸の初期の金工であり、友善など後の多くの工に影響を与えたであろう作風を示しており、興味も一入。ちょっと珍しい作である。70.3ミリ。


雨龍図鍔 通壽作
水戸金工、谷田部通壽の肉彫地透になる鍔である。通壽もまた奈良派に学び、水戸金工の基礎を成した一人で、また多くの金工を育てている。鍛え強く艶の良い鉄地を巧みに彫りぬき、二重式の耳には雷文を銀象嵌で廻らし、鱗のない、うねるような身体には丁寧な鏨を加え、架空の生き物ながら筋肉質のその様子を巧みに再現している。水戸の初期の金工であり、友善など後の多くの工に影響を与えたであろう作風を示しており、興味も一入。ちょっと珍しい作である。70.3ミリ。