五丈原(三国志)図鍔 (鍔の歴史)
五丈原(三国志)図鍔 浜野矩随
矩随は、江戸時代中期以降江戸に隆盛した奈良派の流れを汲む金工の一人。浜野初代政随の弟子。
この鍔は、江戸時代に大流行した『三国志演義』に取材したもの。死んだ諸葛孔明の像を戦車に載せ、未だいきているかのように装う蜀軍。これを攻める魏の司馬仲達は、死んだはずの孔明の姿を見て軍を退かせてしまった。「死せる孔明生ける仲達を走らす」の語源である。孔明は、かつて野に伏していたことがあったことから伏龍、臥龍とも呼ばれており、これによって龍に擬えられている。
極上質の朧銀地を高彫にし、金銀赤銅素銅を象嵌し、これに力強い鏨を切り込んで迫力のある画面を生み出している。この鏨の強さが活かされた作品でもある。
五丈原(三国志)図鍔 浜野矩随
矩随は、江戸時代中期以降江戸に隆盛した奈良派の流れを汲む金工の一人。浜野初代政随の弟子。
この鍔は、江戸時代に大流行した『三国志演義』に取材したもの。死んだ諸葛孔明の像を戦車に載せ、未だいきているかのように装う蜀軍。これを攻める魏の司馬仲達は、死んだはずの孔明の姿を見て軍を退かせてしまった。「死せる孔明生ける仲達を走らす」の語源である。孔明は、かつて野に伏していたことがあったことから伏龍、臥龍とも呼ばれており、これによって龍に擬えられている。
極上質の朧銀地を高彫にし、金銀赤銅素銅を象嵌し、これに力強い鏨を切り込んで迫力のある画面を生み出している。この鏨の強さが活かされた作品でもある。