芦雁図鍔 (鍔の歴史)
芦雁図鍔 光興鼎印
芦雁図鍔の例として桃山時代の伏見住金家を紹介したことがある。芦原に舞い降りる雁とそれを見上げる雁の巧みな構成であった。この鍔は月を見上げる芦原の雁。大徳寺塔頭養徳院に伝えられた宗湛・宗継筆の襖絵にも通じる、古画を想わせる構成であるが、大胆に月を採り入れたのは光興の感性。鍔の造り込みは変り形で、拳のような変形を遺している金家にも通じるところがある。そう、光興は金家の作を下地として新たな作品を生み出したのである。
光興は禅に通じた意識の持ち主であったと想像されている。禅味を帯びた作例が多いことが理由である。江戸時代中期の円山応挙以降の絵画の基礎となる写生と正確に再現するという美意識とは、かなりかけ離れた世界観があるだろう。琳派という流行もあった。そう考えると、むしろ絵画的には時代を逆行しているのかも知れない。87ミリ。
芦雁図鍔 光興鼎印
芦雁図鍔の例として桃山時代の伏見住金家を紹介したことがある。芦原に舞い降りる雁とそれを見上げる雁の巧みな構成であった。この鍔は月を見上げる芦原の雁。大徳寺塔頭養徳院に伝えられた宗湛・宗継筆の襖絵にも通じる、古画を想わせる構成であるが、大胆に月を採り入れたのは光興の感性。鍔の造り込みは変り形で、拳のような変形を遺している金家にも通じるところがある。そう、光興は金家の作を下地として新たな作品を生み出したのである。
光興は禅に通じた意識の持ち主であったと想像されている。禅味を帯びた作例が多いことが理由である。江戸時代中期の円山応挙以降の絵画の基礎となる写生と正確に再現するという美意識とは、かなりかけ離れた世界観があるだろう。琳派という流行もあった。そう考えると、むしろ絵画的には時代を逆行しているのかも知れない。87ミリ。