新笠通信 奄美電信版

 Copyright (C) 2010 shinkasatsushin All Rights Reserved.

才能がある人を観察して

2007-05-29 19:47:45 | 6F
才能がある人を観察して

病気がなぜなくならないのかわかってしまったので記します
欲がある人が存在する限り永遠に病気が存在します
ですから病気を治す知恵がある人は欲がある人が存在する限り活躍することができます

本当に才能がある人は年がら年じゅう多者の才能を伸ばすようなことしかしていませんね
人の才能を引き出したり伸ばしたりすること以外になんら興味を示さないようです

才能を持つ者は多者の才能に敬意を払っていますね
才能のある者は才能のある者同士による相乗効果をはかることはあっても多者の才能をつぶすようなことは絶対にしていませんね

才能のある人は人々が欲を失うことはないことをよく知っています
人々が欲を持ち続けている限り廃業の可能性はないことを見抜いています

目的を持ち何かを得る過程で人々の心や体は確実に病んでいきます
人々は心や体が病んでいく理由をいつまでも理解することはできません

心や体がむしばまれていったとしてもそのことよりはるかに価値があると思い込んでいる関心事をもっているためです
人々は心や体よりも大切にしているものが常に存在しているということです

失いたくないもののために心や体を犠牲にしてもやむなしととらえているのです
このような人々が病気を治してくれと相談にきたとしても公式に流通している客観的な病名を告げることしか一般の人にはできません

失いたくないものを手放さないようにすることにだけ関心を持っているような人物に対して処方できる有効な特効薬や効果的な治療法はいまだかつて発見されたためしがないからです

欲求の対象物が存在する限り心や体を犠牲にして欲求の対象物に近づこうとするのが人間であるといえます
欲求の対象物に一歩歩みよっただけでもうすでに一点の曇りもないような心や体の健やかさは失われているといえます

人々が集団行動を行なうと人々はどのような傾向を示すかという観点から考察していきます
集団行動の継続には規律が必要なので規律が作られます
規律ができると規律を守り通すことの重圧で心や体の健やかさを失う人物が発生します
規律ができると最初から規律を無視した行動をとる人物が発生します

集団の統治に必要な制度や権限を持つ地位や資格や身分が構築されていった場合、有利な立場から不利な立場までの広範囲のいずれかの地点に人々はおかれる状態になります
人々の流れは一定であると考えられます
流れとは人々がとる行動性向です
あらかじめ人は有利な地点か不利な地点のいずれかより発生しているということです
現在地点にとどまる人、有利な地点への移動を試みる人、有利な地点への移動を試みたが結果として現在地点より不利な地点へ移動してしまった人とすることができるのではないかと思われます
最初から出発点より不利な地点へ移動しようとする人はスタート地点が最初から不利な状況にありさらに不利な状況におかれたとしても大差ないとして堕落を選択した者であると考えられます

現在地点にふみとどまることができる人はめったなことで心身を病むようなことはないと考えられます
不利な地点へ移動するものは多者から心身が病んでいるととらえられるかもしれません
一番心身に害が及びやすいのが現在地点から有利な地点へと移動を試みている過程にある人であるといえます
特に絶対数が少ない有利な立場を取得する途上にある者か自己の能力に過度の負担が生じはじめているほどに責任のある立場を維持している者と考えられます

今日は病気の発生原因でしたね
競争の過程で心身を病む人がいて当然であるということと競争を勝ち残った結果からくる負担に心身に障害が発生する人がいて当然であるということと、欲求の対象物の取得のために金銭的に有利な状況を維持した結果心身が病にむしばまれるであろうということです

欲がないと推進力も生まれないことは事実ですが欲の質に問題があるということです
目標の設定自体は欲そのものであるから欲というものを多種多様に分類しないと一般の方に伝える時に誤解を招きますね

良質の欲と悪質の欲に分類したとして悪質の欲に満ち溢れている人はまともでいられることはないということです
質の悪い欲に支配されている人は心や体に病が発生して当然であるということです

才能のある人は良質な欲というものを十分に理解していて人々に良質な欲の発生を促がし人々がそれぞれの持つ才能によって良質な欲の先にある幸せをつかむことを願っているということです

今日もありがとうございました
次回はもう少し権威や地位や資格といったところに重点をおいた考察をしてみたいと思います

新日本言語を求む

2007-05-27 17:09:53 | 6F
東京優駿の冒頭に意味不明な一句がありましたね

目標に向けて努力することは素晴らしいことです
何かを実現するために周りが見えなくなるほどの執念を遺憾なく発揮している姿はすさまじい光景であるということを言いたかったのですね
男性と女性に区別してしまうと同じ執念という言葉を用いるにしてもまったく同様のものとして使用することはとてもできないということです
何かを実現する時に執念を発揮した場合あたかもまわりを血の海にかえてしまうかのような露骨な作為をおこしがちな性向を示す場合があるようにみうけられるのでとても用心深い記述をしているというわけです
直言することがはばかられるということです
馬鹿正直に記述するのもほどほどにせいよということです
今書いている内容はわかりづらくて当然です
少しでも理解したいと思ったら韓国ドラマのチャングムの誓いでも見てみてください
女官を巡るトラブルだけはなにがなんでも避けたいものだと常人であれば誰もが思うはずです
あまり詳細な記述を行なうと身の危険となってかえってくるのが面倒なので新しい言語を用いて表記しなければならなくなるのです
わざわいを回避するために言いたいことも言えないというつらい状況に陥ることが多々あるということです

理想的な組織

2007-05-15 22:54:19 | 6F
理想的な組織というものを定義する作業の必要性

他の集団の模範となる組織が求められています。

組織は人の集まりで構成されているので最も優れた状態であり続けることが困難な生き物のような物であります。

それでもなるべく良好な状態を長期にわたって保つことができた組織だけが他の組織から評価されていくのです。

最大級の組織というのは国家ということになるでしょう。

国が優良な組織運営を継続的に実現しているということは国内に優れた組織が無限に存在している背景があるといえます。

自立している優れた組織の存在が国内のいたるところで見られなければならないということです。

優れた組織の姿を追求していくことは優良な評価を受ける地域へと発展していくための作業になると思います。

優れた組織は存在目的がはっきりしています。目的意識があります。目的を達成するために必要な条件をすべてそろえる行動をとります。目的に最も近い専門分野の人材を確保します。専門分野の人材が組織に貢献していけるよう必要な資産を確保します。人材と資産を確保するために継続的で安定的な資金を確保します。人材や資産や資金を確保し続けるためには優れた情報の取捨選択行動を継続しなければなりません。

現代の世界で情報は収拾がつかないほどに氾濫してしまったのだから、自己の周囲には不要な情報が溢れているとみてまず間違いありません。不要な情報を見分ける判断能力がすべての人に求められています。

生涯を通じてインフォメーションの取捨選択能力を向上してゆかなければならないと考えます。接触した情報の要・不要判断能力を最も試される時期が学校選択期であるといえます。学校の選択は職業の選択とほぼ同じ意義を持ちます。高校やさらにその上の上級学校を選択する時点ですでに職業の選択がなされているべきであるといえます。学業期間中においての情報取捨選択能力というのは職業選択を実現するために最も必要とされる能力であるといえます。
学校選択直前までの関係者の協力がとても期待されている時代であるといえます。ご協力をよろしくお願いします。

優れた組織にはどういう人物が在籍しているかという研究は非常に有意義であるといえます。
客観的に例をあげると人間としての総合力が高い人物が複数存在していることが期待されます。
専門分野能力が非常に高い人間の存在が期待されます。

組織内部を機能別に分類して各部門が期待されている項目を検討することは効果的であるといえます。
メーカーを例にあげると組織はどのような部門で構成されていてそれぞれの部門がどのようなことを期待されているのかといった研究です。

別の切り口から検討すると、他の組織から見てこの組織はいったいどのような社会貢献を実現しているのであろうかという視点で観察できます。
社会貢献を実現している組織というのは、組織外の者に対して優れた財やサービスを提供しているはずです。
地域の雇用を担っているはずです。雇用の中身が他の組織と比較し遜色ないものかという視点も必要です。

優れた組織を研究することは社会全体の利益となるはずでありますからみなさんの参加が求められているはずです。
組織の中で好ましくない事実が発生しているならば、より多くの人へ客観的な事実を伝えることにより優れた組織への転換が図られていくものだと考えます。
組織内部で発生している好ましくない事件や組織の人物の好ましくないふるまいは常に監視されるべきで第三者機関による公表そして一般の人々の評価を受け続けていくことで組織の健全性が保たれなければならないでしょう。

奄美だけの局地的な問題点としては小規模事業者の経営行動に対する監視がゆき届いていないことがあげられます。長期にわたり客観的な評価を受けることから遠ざかる行動をとります。第三者機関の評価を長期にわたり退け続けることは不正の温床となるでしょう。透明性のある経営活動を行えないということは企業の健全な成長を目指していないということであります。健全でない企業の成長がもたらすものは不幸な市民の発生であるとみて間違いないでしょう。今後日本の産業を支えていくのは大量に流入してくる外国人である可能性が高いわけで、日本人は産業指導者としての役割を求められているのだから指導者となりえない従業員を大量発生させるようなことは外国人の利益となります。従業員の知的文化の向上が図られ続けなければ流入してきた外国人が国内従業員を指揮管理することになり日本人は外国人の指導に甘んじることになるでしょう。
社内教育は重要だということです。
単純労働者の増加に歯止めをかけなければならないということです。

理想的な組織の研究をあらゆる方面の人に行なってほしいわけです。国内外の優れた組織と自分の所属している組織の相違点を明白にする作業をしてほしいわけです。組織は生き物のようなものですから組織の中の生きている人間の行動に組織の将来がかかっているわけです。

今日は5・15事件の日です。1932年犬養毅第29代内閣総理大臣が暗殺されました。軍事テロです。この事件により政党政治が衰退し軍事内閣が誕生したんですね。暴力によって言論の自由が封じ込められてゆくことになってしまった象徴的な事件です。

1974年沖縄が返還されました。日本の無条件降伏という事実の意味はいつまでも研究されるべきテーマであると思います。土地と土地を実質的に管理する市民の存在が法的に無効となったわけです。そこの土地は誰のもの?そこの市民はいったい誰であるのか?という根源的な疑問と対面してしまうのです。無条件降伏直後はあなたもあなたの土地も誰のものでもないということです。改めて土地や市民に権利を設定するのは占領者です。早い者勝ちの世界です。返還するのなら所有者と取引がなされるでしょう。アメリカという国が土地と市民の所有権、管理権を主張していた事実があったということでしょう。
沖縄は自立の道を選択しなかったのでしょうか?日本の行動とはまったく独立した行動をとれなかったのでしょうか?沖縄単独でアメリカと交渉することはできなかったのでしょうか?日本復帰という発想は長期間にわたって日本の1地域としての自覚があったためであるのかもしれません。
主権国家の意識がわずかでもあったのならばアメリカも日本も台湾も中国も周辺国の1国にすぎなかったはずでそれらの国は琉球との交易対象国でしかなかったはずです。日本もアメリカも台湾も1取引先国にすぎないということです。
琉球市民の手で世界の少人数国家についての研究がなされるべき時期があったのではないかとも思います。
日本復帰という言葉からは日本への強い依存に向かう未来という暗い影が見え隠れしてくるものだと感じます。
当時の意思決定者が少なからず保有していたであろうと予想される依存が可能でありそうという期待や思惑を周辺国は監視しているものだと考えます。

沖縄を日本だと認めない国があります。台湾を独立国だと認めない国があります。認めた場合の国家的損失というものが何なのであるのかということを具体的にしていく作業と、主張国が意識している損失というものを正確に測定してみることも有意義であると思います。

長くなりました。本日もどうもありがとうございました。
それでは本日のテーマ特定社会背景において生活している者の交流相手である人種の選択に移りたいと思います。
それではみなさんごきげんよう。

フランチャイズ産業の功罪

2007-05-13 20:23:52 | 6F
みなさんこんばんは
フランチャイズのお話がなんで面白いのか私にはよくわからないから最短距離で終了させたいと思います。

まずファミリーレストランに代表される外食産業ですね。それからコンビニエンスストアやスーパーや雑貨屋さんやブランド洋品店といった流通小売業ですね。自動車代理店なども近いものがありますね。レンタル屋さんもそうですね。ガソリンスタンドも近いかもしれませんね。クリーニング屋さんもそうでしょう。代理店と名がつくものはほとんどそうなのかもしれませんね。
いずれの業態とも経営指導(運営指導)を行なう本部が存在するということですね。
支店を有する業態すべてを範囲に含めてしまうと誰もが混乱してしまうでしょうからファミリーレストランや焼肉屋やイタリアンや中華や和食やコンビにやレンタル屋だけに限定したほうがよいでしょうね。スーパーを含めるとややこしくてしょうがなくなるでしょう。別に強いてあげるとダイエーのように国内有数の売上高を誇る1法人に絞って産業論を展開してもよろしいんですけどなかなかポジティブなコメントは出せませんので複数法人をごっちゃにして一般論を展開したほうがよいのでしょう。
ちなみにダイエーの平成18年度の決算はどうだったかというと、売上高が8269億円です。前年度が1兆1268億だったので、3000億ほど売上高が落ちていますね。実に25%も売上高が落ちました。平成17年度の純利益が3698億円です。平成18年度は391億円です。17年度と比較すると10分の1しか利益はでていません。
あなたが責任者であったら株主に対していったいどういった説明ができますか?ということですね。まず株主からの理解は得られないでしょう。とりあえず誰かが責任をとらないといけないでしょう。これは極めて客観的な評価です。投資判断評価なので誹謗中傷にはまずなりません。

利益は落ちているが17年度18年度を比較し何が変わったかというと返済が1年先以上から始まる借金の額が大幅に減少しているのです。6269億円から878億円へとなりました。実に5400億円もの借金をどうにか減らすことができたということですね。借金が減ったということは素晴らしいことです。
売上高や純利益がいくらあろうが借金を減らせなければいつかは潰れてしまいます。

というわけで1法人の経営分析を貸借対照表と損益計算書からいたしました。財務諸表といいます。しかも連結でなく個別財務諸表であるからより正確な分析が行なえます。

今日は外食産業と流通産業でなおかつ規模が1人の店長に対しパートが10人から30人くらいで運営可能な全国各地に店舗を有するフランチャイズ産業の功罪を語ります。

しばらくお待ちください。ごはん食べてから書きます。
{フランチャイズ産業がよいわるいということではありません。世の中にチェーン店しかなくなってしまったという状況はとても恐ろしいことであると思います。
いったいどうしてチェーン店の進出がここまで進んでしまったのでしょうね。
投資家は確実に利益を回収したいから投資資金を直接管理する実務担当者は事業による損失がでないようにすることを考えるでしょう。そうすると最少公約数的な発想に至ってしまいます。どういう意味かといえば、誰が店舗の運営管理を行なったとしても財務データの上ではほとんど同様の数字内におさまるパッケージをあらかじめ用意するということです。一度店舗運営に最低限必要とする条件さえ設定してしまえば、あとは複数の店舗を同時に運営していくうちにデータが揃ってくるので改善可能な点はその都度改良してゆくという作業を行なえばよいことになります。
チェーン店展開前にパッケージの土台さえセッティングを行なえたら間違いなく本部は利潤を確保できるというしくみです。
ありとあらゆる市場調査に基いてパッケージを設定しているため、損失の発生可能性が極端に低い事業プランとなっているはずです。
確実に利潤を獲得できたのなら株主配当として投資家に還元できますし、株価上昇の要因にもなります。株式売却益も期待できるというわけです。

この一見完成されたパッケージそのものが極端に完璧すぎるため社会のしくみそのものを極端にかえていく恐れがあるということを今日は力説いたします。
商店街に大型店が参入してきました。大型店が参入してきた特定地域には複数の競合個人商店が存在します。特定地域内における全市民の総所得はこれから数年先もさしあたって変動がないものとします。さて、大型店の進出はこの地域にどのような変化をもたらすのでしょうか?ということです。

若干はなしがそれましたね。チェーン店のコンビニや飲食店が参入してきました。この地域にはいったいどのような変化が起こるのでしょうか?ということです。
特定地域における市民の総所得額は変わらないわけだから購買力に変化は起きていません。チェーン店の売上高金額がそっくりそのまま既存業界の損失となったわけです。ファミリーレストランの出店は脅威です。コンビニエンスストアの出店は脅威です。既存飲食店や小売店はまず間違いなく淘汰されるでしょう。資金力がある個人商店しか残らなくなってしまうということです。廃業した人々はどうするか?地域内にとどまりなおかつこれまで従事していた産業にとどまるのであればチェーン店の従業員になってしまうでしょう。
廃業しなければならないはチェーン店の従業員にならないといけないはで踏んだり蹴ったりですね。ということです。
このような世界になるのがはたしてよいことなのでしょうか?と思うほうが健全な社会であると思います。
島内で確実に成長しているチェーン店の売上は本土の本部の利潤となっているのです。チェーン店本部が奄美の福祉に対して還元してくれる可能性がいったいどれくらいあるのですか?と常に問いかけていかなければなりません。
個人商店の数を減少させるだけの影響は与えたのだから影響を与えた先の地域にはなんらかの社会奉仕活動を施してゆくものだと考えます。
本部の利潤活用行動を常に監視してゆく必要があると思います。

先ほど大店舗規制法の話をしかけてしまいましたが、同様に地域経済に影響を与えたであろう大型店舗の運営主体である本社は影響を与えたとされる地域に対してなんらかの社会貢献を行なうものだと確信いたします。
地域参入から複数年度を経過したにもかかわらず社会貢献度の実績があげられていない法人は上場企業であっても評価を与えてゆくことは妥当でないと思われます。
利潤追求行為に徹する傾向にある営利法人はどの地域の立場でみても招かざる客であります。共存には最低限度の礼儀というものがあると思われます。ここは日本なのでアングロサクソン流の思考で運営された場合にはなんらかの悪影響がお互いに攪拌してしまうものだと思います。

独立を考えられている方はコンビニやファミリーレストランでいったい何年ほど店長をなさるおつもりなんでしょうか?
他人が口をはさむことではないでしょうが、30年連続で続けようなんて考えているのでしょうかね。
この世界の特徴は30年間店長の報酬は変化なし、店長以外の従業員であるパート1人あたりのコストも30年間変動することがないシステムですよ。
というのはおおざっぱな説明ではありますが、客観的に見ると30人のうち社員は店長1人であとはすべて雇用保険もついていないパートさんですよ。ということです。しかも誰一人厚生年金や健康保険や雇用保険に加入させることなくパートに従事させることがいつまでできるのですか?ということです。
チェーン店とはそういうものです。店長は従業員の各種保険加入をいかに負担しないかにかかっている恐ろしい世界なのです。
チェーン店出店ということで何十名もの雇用を実現と謳っている企画者は信用にたる人物なのでしょうか?ということです。
雇用とは各種保険加入を実現していることが最低限のラインであるとみなして間違いないので事実上社員が1人しか存在しないチェーン店が増加することは国内全体の正規雇用者数の減少となってはねかえってくるわけです。

おつかれさまでした。

今日の要点は国内にチェーン店が増加するということは正規雇用者の絶対数の減少につながるということです。
逆によいことはあまりみあたりません。それでも便利と感じている人が実際存在するのだからその事実がよいことなのでしょう。

全国一律のサービスを受けるあなたはそのお店で何かが得られるのであればこちらは何も口出しいたしません。
ただ全国展開を行なうチェーン店の全国一律のサービスが画一的になればなるほど対峙する立場にある競合店のオリジナルのアイデアというものの輪郭が際立ってくるものだと考えます。資金力では遠く及ばないチェーン店と対峙する立場である個人商店の想像力が今以上に求められる時代になっていると考えます。

お客さんの立場で考えたら間違いがないので店舗運営者視点を極力排除することもテクニックのひとつです。
個人商店では顧客が株主であると考えて間違いありません。最優遇対象者は顧客であります。ゆめゆめオーナ株主色のオーラを感じさせることがないように気をつけるべきでしょう。顧客が株主であると感じられないのであれば客を選ぶ商売の世界へ移動する必要があるでしょう。

お客さんは各方面で要望の声をあげるべきだと思います。でなければ各種店舗のサービス改善が実現されません。
お客さまのお声はなによりものアドバイスとなります。成長して欲しくない店舗には利用者の無関心という名の制裁が下されるのでしょう。
よくなってほしくない店は必要な時だけ利用すればよいのですから。それなりの未来が待っているでしょう。

また長くなりました。どうもありがとうございました。いずれ研究テーマを絞って論文としておかなければならないと思います。
それでは今後ともよろしくお願いします。
/apple_up/}

こころにえーよう

2007-04-30 11:36:55 | 6F
みなさんこんにちは 本日も心に栄養を略してこころにえーようのお時間がやってまいりました

ここ奄美大島はあいにくのどんよりとした曇り空ですが
紫外線というものは雲を突き抜け地上へ降り注いでますのでおかまいなく

お昼前に燃料補給しましょう。お昼ごはんはお昼になってからにして。

今朝はやや強い地震がおきましたね。
やや激しい戦闘でなくてよかったということですよ。
なにゆえ昔の人は戦闘をくりかえしたのでしょうかね。

地球上に人類が出現しはじめた紀元前のはるか太古より現在そしてこの先何百年もの未来に至ってまでもずっと食糧不足と資源不足が続いていくということがはっきりと確定しているからです。

子孫を残していくためには男の人は女の人をげっちゅしなければなりません。女の人は子供と自分を養っていける見込みのある男の人を選択しなければなりません。男の人は女の人をげっちゅするためには世界全体の集団と比較してみても女の人に安心を与えることができる女の人の目からみてもあきらかに強い集団に所属している1員でなければなりません。そうすると、集団間で食糧と資源の奪い合いがここにはじまったというわけです。
集団と集団の争いで勝ちました。手に入るのは相手の集団に属していた女の人をはじめ、食糧、資源、領地が手に入ります。
集団と集団の争いで負けました。失うものは自分の集団に属していた女の人をはじめ、食糧、資源、領地を失います。
負けてしまった集団の男の人は悲惨ですね。日々の食べ物ですら争いに勝った集団からのおこぼれにすがらないといけないんですね。それが嫌なら領地外へ行ってくれというのが争いごとに勝った集団の論理ですね。
私が集団同士で争ってはいけないとなぜうるさく言っているのかといえば、勝った集団の人々は負けた集団の人々の気持ちを理解することはできないからです。理解できるのだとすればはじめから争いごとなどをしません。負けた集団の人々は女の人と食糧と資源と領地を失います。負けた集団の家族や子孫がまともに成長するはずはありません。常に争いごとに敗れた先代に対し深い憎しみを根に持ち続け、その憎悪は現在の勝利国へと刃が向けられるためです。

次年度採用計画策定

2007-04-30 00:06:36 | 6F
今日は前回に引き続きまして、学生を対象としたリクルート戦術を検討したいと思います。
従来どおり企業説明会の開催、筆記試験、グループディスカッション、面接、役員面接でよろしいでしょうか?
効率的に有用な人材を確保することが目的です。既存の選考過程に見直すべき点はないかもう一度確認してみたいと思います。

昨今の企業社会を取り巻く環境は景気の上昇などの影響から有力な人材が体力のある企業を優先的に選択する傾向にあります。
国内の若年者人口が減少傾向にある中でも日本を代表するような有力な企業は常に安定・継続的に優れた人材の確保が実現されているものであると考えられます。
人は城と例えられるように土地や資金があるだけでは長期にわたる社会的信用の向上は困難であるとされます。
我が社の設立から間もない歴史的背景から推察すると優れた人材の確保という面において相当のハンデを背負っているものだと考えられます。
体力のある企業と肩を並べ採用活動を行うとなると小手先のアイデアでは到底太刀打ちできないであろうと考えられます。

年の経過に応じて徐々に優れた人材の確保を継続し理想的な配置が可能となるよう年ごとにポイントを絞った採用活動を行っていきたいと考えています。
次年度の採用計画にあたり見直された過程は以下のとおりです。