新笠通信 奄美電信版

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安全のための通信

2007-06-20 10:33:24 | B7
こんにちは 今日のテーマの安全を確保するためには通信が不可欠だから通信環境を確保しましょうのお時間がやってまいりました

大航海を始めてしまったら当分安全な場所へは戻れませんね
そういうわけで危険の中における安全確保の観点から通信環境の整備を事前に整えておきましょうということです

海上陸上航空ともに長距離間の移動中は危険な状態ですね
なんらかの事故で移動能力を失ってしまった時にまわりを見渡してみると気づくと思いますが短期間の生活を行なうことさえ不適な環境であることが考えられますね
移動中の事故は即生命維持活動の停止につながりやすいですね

移動中の安全確保は最大の武器であるということです

長距離移動の目的は貨物や旅客の輸送が筆頭にあげられますね

無事目的を果たすためには移動中の安全確保がなによりも優先されるということです

輸送目的でないとしても航海者自身の安全確保が実現されなければならないのです

長距離移動時には国境が関係してくることもあるでしょう

他国領海や領空で移動能力を失い死亡などされたら複数の国家に迷惑がかかるとういことです
自国領で死亡されても複数の機関に迷惑がかかるということです

国内の機関や他国に迷惑をかけないためには事前に十分な安全を確保して長距離を移動しなければならないということです

現代では航海を行なう時にどのような用意を怠っていたら他人に迷惑がかかるかを想像しなければならないのです

寄港できそうもない人が出港することが迷惑なのです

どうすれば出港したっきりの状況になってしまうのでしょうか

移動中に針路を特定できなくなった場合です

現在位置がわからなければ出発地点も到着地点もおよそ検討がつくことはないでしょう

現在位置が示されていても地理がわかっていなければ前進できないでしょう

移動中に大事なことはコミュニケーションです

安全を確保することとコミュニケーションを確保することは同義です

コミュニケーションの相手は的確な情報を提供してくれる者です

人間間のコミュニケーションや機関からの情報提供サービスによって安全を確保するのです

通信の確保が重要なのです

非常時・通常時を問わず交信が途絶える瞬間がないような通信環境をあらかじめ準備しておかなければならないのです

通信手段を持たず長距離移動を行なう者は取り締まる対象であるといえます

通信能力のない者が長距離を移動することは事故の元だということです

移動する時に必要なものはコミュニケーションをとるための通信手段です

通信伝送経路には有線と無線があります

有線に適さない海上などでは無線が欠かせないということです

無線は電波技術を用います

電波をうまく利用しなければならないということです

通信でやりとりされる情報を時間で区分すると過去・現在・未来の内容に分けられます
マスメディアからもたらされる情報は主に予定や結果です
主体から不特定多数に対し情報がもたらされます
このような性質の情報からは主に気象や災害や航路間地域の治安情報などが安全の確保のために役に立ちます

海上のような場所での移動中には電波を通して情報を入手しなければならないでしょう
マスメディアで用いられる電波の欠点は交信用として利用できないことです
安全を確保するには現在状況を受信する相手がいないといけないことはもちろんのことですが交信用の電波利用環境を整えておかなければならないということです
非常時に事態を報告する相手がわかっていなければならないのです
常時から非常事態時の交信先との通信が可能であることを確認しておかなければならないのです

現場においての実況交信は大衆向けの情報提供サービスを経由することが不向きであると考えられます
交信を必要としている者に対して事例ごとにマスメディアが個別対応することが合理的でないことは容易に想像できます
非常時に緊急交信を行なおうとしているものに対してマスメディアが主体として対応するかは機関の意思に委ねられているといえます

緊急交信の相手は非常事態から脱出するために適切な指示を与えられる機関となります
交信の相手は生きるか死ぬかといった生命の危機から救出することができる方法論を兼ね備えた機関でなければなりません

海上といった物理的な位置関係から考えると機関でなくても救助余力を備えた個人でも十分であると考えられます
理想的な交信環境は長距離移動を行なっている運行主体のすべてに救助余力が備わっていることだと考えられます

最終的な司令塔は陸上にある専門機関であることは当然と考えられます

現代では長距離移動の前に移動中の事故や故障の際に救済能力を持つ交信相手を確保できていることが最低限の条件であると考えられます
通信機器に頼らない自力による現状突破は最後の手段でしかないということです
最後の最後に試されるのは自然科学に基く個人の生命力であるけどそれはあくまでも最終手段であるといえます
天文学や物理学などの自然科学の結晶が情報通信技術であるといえます
情報通信科学の重要性を再確認するにはほんの数百年前の世界に戻り航海してみてこういうものがあれば助かるであろうなといろいろ想像してみることが大切だと思われます

地図があれば便利だとか無線があれば便利だとかいったことです
動力であっても原動機があればどれほど助かるかとか想像してみることです

現代の科学技術をもってすれば長距離移動中の危険をほとんど回避することができます
気象情報が提供されていなければ風を読むしかなくなってしまいます
自然現象をありのまま観察して行動を決めることは現代の世界ではとても危険であると考えられます
現代の技術に頼らずに自然を読んでしまうとどうしても回避することができない危険がふえてしまいます
十分な観察時間がとれない現代人が自然だけを読んで行動することは合理的でないといえます

今日は情報通信技術の中でも電波利用技術が主なテーマでした

身の安全を確保するためにはいつでも交信能力を維持しておかなければならないということです

長距離移動の世界に限らずとも身の安全を確保するためには交信能力を備えていなければならないということです
会社などの組織であれば個々の一員が危険に遭遇したときに本部もしくは代表者が救済を実現できなければならないということです
組織の一員が危険にさらされているにもかかわらず適切な救済を行なえない官制担当者があってはならないということです
家族の一員が危険にさらされているのに適切な救済を行なえない親は無能力者であるということです

安全な所から離れて活動を行っている者は適切な指示を与えてくれる司令塔があってはじめて安心して行動ができるということです
組織の魅力は管制塔の危機管理能力の高さにあるということです

危機管理能力が高い組織は魅力的であるということです

危機管理能力が高い組織は効率的に情報通信技術を活用していることが考えられます

情報通信技術の重要性の認識が低い組織は交信に成功しても身の安全を確保するための有用な情報さえも満足に提供できないことが考えられます
事の重大さの認識が大事であるということです
非常事態が発生しているものに対して適切な指示を出すことは重大なことです
非常事態が発生していることを捕捉するには情報通信技術の活用が有効になされていなければ危機管理の役割すら果たせないということです

そういうことですので、情報通信分野で活躍される若い人の登場が期待されるのです
無線分野の技術が進歩することは移動時の安全の確保につながるということです

planet earth

2007-05-03 21:16:56 | B7
というわけで2夜連続でお送りされたプラネットアースはいかがでしたか?
ペンギンさんはかわいいですね。ペンギンさんのお父さんとお母さんはグッジョブですGoodJobともいいます。一シーズン離れ離れになっているのに夫婦なんてことがわかるのでしょうか?
とても大きなじんべいザメの背後を利用し天敵のかつおやマグロから身を守ろうとしていた鰯の群れはかつおやマグロだけに襲われるかと思いきや利用していたはずのじんべいザメに飲み込まれてしまいました。
大きなものにたよるということの本質が垣間見れた一瞬であったといえます。大きなものに頼った以上人質を要求されるということです。江戸時代においては参勤交代制度であったといえます。現代では悪魔に魂を売るような行為を指します。めちゃめちゃな論理であります。悪魔なんかいません。あなたが時間をかけて育てたものがいつのまにか悪魔っぽいものであったということは起こりうるかもしれません。でも最初から悪魔なんかいなかったのです。みんなさみしくて悪魔と取引したのです。悪魔がいつも持ち歩いているものはお金です。さみしがりやのみんなから大切な時間をすこしずつ盗み出すかわりにお金をわたして本当のことをいつもごまかそうとしているのです。

ですから、地球は美しいということです。2日連続で地球を語らなくてはならなくなってしまいました。2日では青春の日々を語ることなんかできっこないのです。語り尽くせぬ青春の日々という一節まで導き出すことができたのならここでようやく「乾杯」という歌を思い出す方もぽつぽつでてくるでしょう。長淵剛で「乾杯」。それではどうぞ

  硬いきずなに 思いを寄せて
  語りつくせぬ 青春の日々
  時には傷つき 時には喜び
  肩をたたきあった あの日
  あれからどの位 経ったのだろう
  沈む夕陽を いくつ数えただろう
  故郷の友は 今でも君の
  心の中にいますか?

  乾杯! 
  今君は人生の大きな大きな舞台に立ち
  遥か長い道のりを歩き始めた
  君に幸せあれ!

  キャンドルライトの 中の二人を
  今こうして 眼を細めてる
  大きな喜びと 少しの寂しさを
  涙の言葉で 歌いたい
  明日の光を 身体に浴びて
  振り返らずに そのまま行けば良い
  風に吹かれても 雨に打たれても
  信じた愛に 背を向けるな

  乾杯! 今君は人生の
  大きな 大きな舞台に立ち
  遥か長い道のりを
  歩き始めた 君に幸せあれ!
  君に幸せあれ!

私はこの歌があまり好きではありません。歌うのは好きです。かなり上手です。でも好きではありません。でもいい歌です。いっしょうけんめい歌ったらつらくなるからやっぱり嫌いです。でも素晴らしい歌です。

この歌がどれだけ複雑であるかおわかりになりましたでしょうか?お別れはつらいのです。

ここで油うってる場合ではありません。今日はフランス市民革命と土星のどちらもまったく手をつけていません。フランス革命なんかは前置きだけでコミック2冊分ぐらいになりそうです。日付がかわらないうちできるだけがんばってみようかと思います。
ちょっとお風呂入ってきます。土星は明日でもいいかな

earth

2007-05-02 19:57:08 | B7
こんばんは
先日の記事「火野レイ」でお伝えいたしましたようにあーすはあすにでもということでしばらくテレビ放送を見ます。
お風呂にでも入っていてください。

いかがでしたでしょうか。

ご覧になっておわかりのようにどの惑星よりも地区湯が美しいものであるということですね。
たばこは市内で買いましょうという言葉に代表されるように市内の銭湯をたまには利用しましょう。そして市内に存在する地球としてチャームポイントと思われる自然環境のことをちょっとちょっと意識しましょう。


しかし地球上で一番厄介なものは人間でありますね。人間はいったいぜんたいなにをどうすれば満足してくれるのでありますか?
人間らしく生きるということは限りなく不自然に生きるということなのでありますか?
そりゃ人口が増えすぎてしまったのなら、隣人を人と思わなくなったり自然をしもべと勘違いしてしまう人がでてきてしまうでしょう。
衣食住に事足りたら今度は不足した生活にでも陥ってみましょう。何事も循環が大事ですよ。

また不本意な批判になってしまいましたね。言う人がいたほうがよいのかいないほうがよいのか。私は自然発生的にこうしてみなさんと触合う機会をもつことができました。ごくたまたまであります。いつかはおかわりの日がやってくるのです。お腹いっぱいごはんを食べたら、いっぱい睡眠をとって、いっぱい遊んでみてください。きっと誰かの役にたちます。それではまもなく木星のお時間がせまってきましたのでここでお別れさせていただきます。

私は今日もヴィーナス

2007-05-02 05:36:58 | B7
おはようございます

朝早くから愛と美であります。
我々日本人が愛と美の獲得に失敗したのはいったい何故なんでしょうか?

両親や先生が美しい世界というものを推奨することができず愛し愛されることのよろこびを教えてこなかったのではないでしょうか?

なぜこういったあまりにも単純な人類社会普遍原理を説いてこれなかったのでしょうか?

なにかに民族全体が敗れたのであります。何かに敗れたため、他国が愛や美といったものの優先獲得権を取得してしまったのです。他国の人民が愛や美の恵みにひととおりあずかるまではお宅らちょっとまったいという状況においこまれてしまったのであります。
戦争に負けるということはありとあらゆる受益を戦勝国の人民がそこそこに享受するのを今しばらく待ってからこちらもそろそろとりかかってよろしいでしょうか?という順番待ちを強いられます。

私たちの経済社会の回復には必要以上の無理を国民生活に強いてきました。
愛や美の獲得の目処もたたないのにただひたすらお金の獲得に突っ走ってしまいました。

お金の獲得の原動力となるものはすなわち愛や美の獲得にある。美しい家族、愛に満ちた家族を実現するためにお金の獲得行為は付随してくるのである。

敗戦したばかりに他国の人民の家族の充実に事実上永久に寄与しなければならなくなっている兄弟の姿が目に入りませんか?

児童・生徒の心をつかんでやまないアニメ作品には敗戦とともに日本人が獲得することを好ましくないとされてきている愛や美がふんだんにつまっていることを理解できますか?

本来両親が愛を与えてさえいればアニメを通じ刺激を与えることもしなくてすんだのです。愛と美がその辺に転がっていないからこそいつまでも児童や生徒の信望を集めているのです。

愛や美を伝える刺激物から隔離することで児童を育てようとしていることにすでに無理が生じているのです。

愛や美を継承することが事実上不成功に終わっている両親を持つ子供たちには優れた指導者が必要です。

個々の家族が愛や美の追求に目覚めなければ私たちに明るい未来は訪れないことになります。

いつまでも戦勝国の家族のための奉仕者であってはいけません。