新笠通信 奄美電信版

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特攻やめますか?それとも

2007-10-22 03:15:39 | 4F
おはようございます

戦争は終わっていなかったと感じやすい今日この頃です
戦時の背景を描写する試みが続けられてきました
戦場にいたものだけが知っているということがたくさんあります

解釈しようと思ってもできるものではありません
自分で考えろ
という言葉しか遺せません

自分の頭で考えない人にはなにを言っても無駄だということです
手取り足取り1から10まで行動を規定してくれるような集団が自分の頭で考えない人のために身近にいくらでも用意されてきているわけ

です

集団内部の人々が持つ多種多様な思考に対して標準的だと考えられる思考を推進するために集団は存在しているといえます
標準と考えられている思考に対立する考え方を持つ者の比率が増加すると集団の運営がたちゆかなくなります
集団内部を効率よくコントロールするために行動の制限が行なわれます

移民が中心となっている国の集団ではマニュアル化が徹底されています
様々な人種で構成された集団で運営していくためには共通のルールを徹底させる必要があるからです

マニュアルそのものに対して思考することは現実的でないといえる人々がルールに従っています
マニュアルは集団を管理する者が作成します
集団を管理する者は所属集団の利益を優先します
作成されたマニュアルに戦時の玉砕命令のような非人道的な内容が含まれていれば集団管理者に対して制裁を加える検査機関が機能する現

代社会になってきたはずです

単一民族が特徴の日本ではアメリカほどマニュアル化が進んでいません
それぞれの集団内部が持つ独自のルールを周知することが軽視されがちです
どの人も似たような考え方になっているだろうという見方が前提にあるわけです
暗黙の了解が有効に機能する例が多くみられるわけです

集団を管理する者がマニュアルを作成する必要性を実感しにくい国です
集団内部のほとんどの人が必要に応じてマニュアルを閲覧できる環境になければルールが変わってもすぐに気づくことができる者は少ない

といえます
集団管理者の頭の中だけにマニュアルが存在している状況が続いている状態は独裁といえます
集団のマニュアルを閲覧できない人々を思いのままにコントロールすることができます
管理者が規定をマニュアル化しないことを続けると集団内部の人々は盲目的に管理者の決定を受け入れるような人間になってしまいます

地方では特に暗黙の了解事項が多いといえます
その地域でしか通用しない考え方が多いわけです
文書化されてこなかったわけです
空気のようなものになっているわけです

全国的にも空気読めという言葉が多用される傾向にあります
ありとあらゆる状況に標準というものが設定され実際に標準化が有効に機能しているから場違いというような状況が生まれるわけです

集団管理者が良識を疑うような行為を行なったら文書等により記録し公開することによって善良とはいえない集団管理者を今後発生させな

いような空気を作る役割を担う人が多く必要になってきます

shake hands

2007-06-25 01:24:17 | 4F
こんばんは 土☆ほた★です
先日の写真はお月様です
今日の写真もお月様です
先日西の空に見えていたのにあっというまに南のほうによってきていました
うさぎのようにすばしっこいですね
ジュピタは相変わらず南の空さそり座の左というポジションをキープしたままです
土星の輪は迫力がありますね

今日は愛情表現についてのお勉強です
大切な人の前以外でははだかの自分をみせてはいけません

以上です

本当にわかっている人なら大切な人のことほど他人には教えたりしません

インターネットなどで大切にしている人との関係をみせびらかしているような人とはかかわりあいになってはいけません

本当のことなんていうものは当のふたり以外知るよしもないということです

他人がどうであろうとふたりの世界にはなにも影響をおよぼす余地がないからふたりだけの関係というのが達成されるのです

世の中にはふたりだけのひみつを知りたがる人であふれているのでそのふたりのことでありもしない話をでっちあげてわるいうわさを流す人がたくさんいるのです

そういうわけでこれから先も大切な人に不利になるような情報をこのブログで流すことはありえないということです

そうすると世の中になにかをひろめたがっている人の話題しか流せなくなってしまうと言うことです

目立ちたい人を目立たせることが主な役割になってくるのでブログの世界では誰かが大切にしている人の話題が出てくることはないといってもおかしくありません

ブログの中に命の次に大事といえるような情報を流している人はいませんよ

過去に消化して吸収したような情報を流さないと大切な人を守ることはできませんよ

ブログの世界では本来まじわることが考えられなかった人同士がすれちがってしまうようにできています

違う世界の人とたびたび交差してしまうわけですがインターネットがなかったら死ぬまですれ違うこともなかったはずなのです

めぐりあうはずがない人同士がすれちがってしまうけれどもお互いの世界のことを理解するためのじゅうぶんな時間はとれないようにできているから

出逢うはずのなかった人とすれちがうたんびに住む世界がちがう者の世界を身近に感じてしまうようになります

住む世界が違う世界があるという世界が存在する事実をたくさん知ってしまいます

住む世界が違うもの同士がいったりきたりすることはできないのです

インターネットの世界でなおかつ匿名の立場を維持することができた者同士しか違う世界の間をいったりきたりすることはできません

実名や社会的身分・立場というものをインターネットの世界に持ち込んでしまうと匿名の人は絡んでこなくなります

インターネットの世界に社会性を要求することになってしまうのです

現実の社会では社会的におかれている立場からかけ離れた人とめぐりあうことはありません

自分が身を置いている社会環境に類似した世界にいる者までが交際をするうえでの守備範囲になってしまいます

絶対に交わることがおこりえない世界というのが層として幾重にも存在するわけです

自分がいる層からかけはなれた人と交際するとあまり充実した人生を送れなくなる可能性があります

都会では住む世界というものが幾層にも存在し互いの層どうしが明確に分離しているのです

小さい頃から似通った者同士の集団の中に身をおくこととなります

地方では都会では現実に確実に存在している社会背景により自分が身を置いている層というものが意図的に不明瞭にされてしまっているため、本来すれ違うはずのなかったもの同士が小さい頃から日常的にまじわってしまっているのです

都会では親によって子供の住む世界が決定されているといえます
地方では様々な世界に住んでいる親の子供が一同に会すことが決定されているといえます

親の住む世界が幾重にも分離されているのが現実であるとすれば子供の住む世界も幾重にも分離されてくるというの自然であるといえます

不自然な環境が存在してしまうとストレスを受けることがなかったはずの人がストレスを受けるようになり長い時間を経たのちに何らかの社会問題として表面化してくることが考えられます

社会保障制度の恩恵に安住する傾向を示す親が出現してくると社会保障制度の恩恵を受けていない親との差異が明確になります
住む世界が違う親を大きく二通りに分けるとこの2者となります
住む世界が違う親の子供同士を一堂に会してしまうと当然のごとく何らかの化学反応がおこってしまいます
何かが破綻している親の子供がいつまでもおとなしくしているはずがないということです
壊れている親の子供がいつまでもまともでいるという可能性は限りなく低いということです
子供はしばらくはおとなしくしているかもしれませんがいずれ親をさらに破壊するか社会を破壊するような行動をとりやすいといえます

建設的な家族運営がなされていない環境にあるものは周囲に存在する建設的な家族運営を実現している者たちの存在が目障りになってきてしまいます
自分の家族が建設的な運営からはほど遠い状況に陥ってしまっていると自然と順調にいっている家族にいるような者の近くから離れていってしまいます
将来性のある家族を経営するという希望とは縁がない場所に自分はいると思ってしまうと人生の上で建設的に階段をのぼることの意義が失われてしまいます
決して手に入れることができない家族の姿というようなものがあることを認めてしまうと人生そのものを完全にあきらめてしまいます
それでも生きていかなければならないので本当に欲しいものが家族であった場合それが絶対に手に入らないものと思っているのであれば身近に親が存在しておれば親を破壊することをエネルギーとしてまたは親近感をもてない家族の環境にある他者を破壊することをエネルギーとして存在し続けていくことが考えられるのです
住む世界が幾層にも分かれているということは小さい頃から現実に格差が存在していると言うことです
家族のような幸せの象徴のようなものからかけ離れてしまっている者は小さい頃からその格差を何倍にも増幅された形で感じているということです

地方などで行なわれている公教育の現場ではあたかも世の中は平等であるかのようなたてまえしか述べることはできないので世の中が平等でないことを肌身に感じている層の子供達はおおやけの立場にある者のことを信用しなくなってしまいます
おおやけの立場にある者は個別の家庭事情などに介入する能力などあるはずもなく当初から介入することを要求されてはいないのです
壊れた家庭の子供達も一元管理しているということが現実なわけです
壊れた親の子供が壊れた場合通常のおおやけのシステムでは十分なフォローなどできるわけがありません
壊れた親から分離して安全な所へ避難させるというようなフローが仕組まれなければならなくなってしまうのです
壊れた子供を安定させるには極端にいうと催眠術のようなものをかけることでしか対処法はないといえます
子供が絶望を感じる要素をすべてとりはらわなければ改善効果があがるわけなどないのです
子供に希望を与えてしまう場合には長期にわたる保証が実現されなければ希望を与えようとしている主体が破壊の対象となってしまいます
希望を与える者の責任はとても重いのです
希望を与える者がいたらその正反対に希望をずたずたに切り裂く者がいるということです
子供が置かれている状況は生活環境の中に希望を与える者がいつでも身近にいるにもかかわらず間髪いれずに希望をずたずたにしてしまう者が身近にいるということです
しかもそれが親である場合が多いということです
こういう状況におかれた子供はおおやけも親も両者やることなすこと無責任であると感じ社会全体に失望を感じてしまう場合があります
おおやけは子供の将来を責任をもってさいごまで見届けてやる機能は要求されていないのです
身近な環境に殺されてしまったような子供達がたくさんいるというわけです
親にもおおやけにも絶望を感じたまま世間に出て行ってしまいそこでは初期のころだけは希望を感じることもあるかもしれませんが小さい頃に育った環境に信頼を持っていなかった者はどこへ行っても理想的な環境という漠然とした希望を持ってしまうので行った先々で勘違いをしてしまうことが考えられます
小さい頃に身近な環境に不信をもってしまった子供達は結局社会の中にも信用できるところを見つけ出すことができないでいつづける事が考えられます
社会の現実は建設的な準備段階を行なえなかった若い人ほど理不尽な仕打ちを受けてしまうような世界になってしまっています
小さい頃から建設的な環境に身をおいていなかった者は社会に出てしまうとさらに建設的な環境とはほど遠い世界の住民になってしまいます
建設的な環境にあったかなかったというのは現実に明確に存在する社会格差そのものです
住む世界が違うというのはまさしくこれまで実際に存在していた社会階層そのものが違うということです

おおやけの教員は社会階層そのものに対してはなんら影響を与えることができないということです
社会格差からくる集団内部のひずみに対応できるようには養成されていないという事です

ひどい親が多いのは真実です
でも子供を親から分離することまではできないのです
親が子供の所有権を主張するからです
子供を所有物だと思っている親が存在するのです
人間は誰の所有物にもなりえることはありません
社会人は合法的な社会契約に基いて集団との関係性を構築しているわけだから集団が個人を所有しているという考え方は誤りです
建設的な環境になかった子供達のほとんどは合法的な社会契約とは無縁の集団と関係性をもってしまう危険性が高いのです

今日は大切な人にむかってみんなには内緒ですきといっちゃおうということを言いたかったのですがうっかりいろんな人のことを考えてしまいました
ですから、大事な人に何を言ったかというのは死ぬまで誰にもおしえないということです
誰かが誰かを大事にしているということは当事者であるふたり以外は誰も知っているわけがないということです
ブログなどにたいせつな人に言ったはずかしいようなセリフは書いちゃだめだよということです
誰かを大切にしているという内容のセリフは死ぬまで当のふたりだけの秘密であるということです
他人に大切な人がゆってくれたセリフをみせびらかしているような人はそのうち大切にされなくなりますよということです
ふたりだけの秘密がどれだけあるかが問題であるということです

いやみなさんは好き勝手にしてよいのだと思います
大切な人の秘密だけは守ったほうが長続きしますよということです
大切な人がたくさんいる人は秘密をかかえすぎていつか誰かを傷つけてしまうでしょう
修復できないほどに大切な人を傷つけてしまうのであれば大切な人は1人にしぼったほうがよいですよ

大切な人に大切だよと言うことさえできていたら死ぬまで後悔しないような気がします
かんじんなことを伝えることができなかったらいつまでも後悔してしまいます

それでは みなさんに残された時間はあまりありません
大事な人にだけはかんじんなことをいっておきましょう

ばいばい

てれさてんものがたり

2007-06-02 10:47:26 | 4F
おはよー

今夜はだからテレサ・テン物語を夜9時からみましょう

みなくてもいいです

テレサ・テンの曲なんか大勢の人は知らなくてもけっこうです

わかる人しかわからなくてけっこうといっています

みなさんは西国との人とのつきあい方をよくわからない人が多いですよね

西国どころか世界中の人とかかわりあいになろうなんて思う人はいませんよね

言葉が違う国の人とのめんどうは避けたいと思うようになりましたよね

それはあなたの身のまわりにはそういうふうに考えていた人が多かったからですよね

価値観がことなる人がちかよってくることほどやっかいなことはないと思うように

そういうふうに身近な人同士でよくせけんばなしをしてきたということですよね

世間話ほど価値の高い交換はありませんね

世間話には過去・現在・未来の要素がすべて含まれています

世間話から共通認識が熟成されます

井戸端会議参加者間で世の中のすべてのことが決まるといって過言ではないほどの合意形成がなされますね

ふだんからせけんばなしを苦手としてコミュニケーションを回避しているような人は・・・

話者間に存在する価値基準がわかりません
話者間での合意形成になんら影響力をもちえません
話者間で形成された価値観による支配を受けはじめます

話者間でも主導的立場を握る者が近隣一帯の支配を始めてしまいます

公園デビューしないでも被害を受けます
公園デビューしても主導者から支配を受けます

いなかでも都会でも世間話ほどおそろしいものはないということになります

質の高い世間話の首謀的立場の人材が求められています

おばさんによる理不尽な支配を誰もが受けたくないと考えているからです

近隣の価値基準を知るのも大変、知らないのも大変というわけです

私が住んでいる地域ではここでしか通用していない価値観が存在していると思います
私は20代の頃関東という異界で生活していたのでここでしか通用していない価値観の存在が共存の障壁となって立ちはだかっているわけです

そういうわけで小料理屋に行ってぐちってきてもよろしいでしょうか?
それともここでいちいち克明に被害状況を公表したほうがよいでしょうか?

地域といってしまうとあまりにも広域すぎますね
価値観が違う最大の人物は親でしょうね近隣の人とも違うでしょうね町内の人とも違うでしょう
私の価値観は少数の者にしかうけいれられることはない質のものであることをよく理解しているので地域全体を支配している価値観などは突破の対象物でしかないのです

それでも地域全体を支配している価値観との共存を実現しなければならないからここでぐちっているのです


みなさんはアジアの人を無差別にこのような者だと決めつけてしまったりしてはいませんか?

日本にきたアジアの人は決定的に経済的弱者です
みなさんは経済的弱者をいじめることが好きですね
日本にきたアジアの人は私たちとは別の種類の価値観をもっています
みなさんは何を考えているかわからない人をなかまはずれにすることが得意ですね
日本にきたアジアの人は私たちと異なる種類の言葉をはなしています
みなさんは何を言っているのかわからない人には近づかない性質がありますね

日本人は人を疎外することが上手なのです
身近な集団の中で変わった人をみつけては仲間はずれにすることが上手なのです
集団の中に異質な人をみつけたらいじめることが上手なのです
こんな国民性の民族がいじめをやめるような時代は訪れないのではないかと思います

集団の中でもなんらかの点で突出しているような者は価値観を共有しているような集団からの攻撃対象でしかなくなるのです

みなさんの身近にテレサ・テンのようなアジア人がやってきてお仕事をはじめたとしても誰も相手にしないでしょう
あたまごなしにアジア人とかかわりあいになったら面倒だと思わせるような価値観をうえつけられてしまっているからでしょう
経済的に弱い立場のアジア人とかかわってもろくなことはないと思っていませんか?
日本人は贅沢だから自分のためにならない人なんかとはおつきあいしないでしょうが
自分のためにならないというのは集団で通用している価値観と異なる価値観を認めてしまうようなことだと思いませんか?
日本人は価値観の奴隷である場合が多いのですよ
一度集団全体の価値観が定まったらてこでも動きそうにない民族ですね
集団全体に共通しているだろうと思われる価値観にのみ支配されているわけです
それが地方へ行くとなおいっそう顕著なものとなるわけです

みなさんがアジア人を疎外すればするほどテレサ・テンのような人物の魅力が倍増するのですよ
価値観の異なるものを疎外すればその場はしのげるでしょう
それでも異質な文化は最終的に認められる場合が多いのですよ

今どきの若者(昭和35年~昭和50年世代)でテレサ・テンの歌がよいと思うような人はあまりいないでしょう
あなたがたにはわからなくてもけっこうです
とつっぱねてしまいたくなるわけですが
惜しむ気持ちがなければテレサ・テンが歌っていた曲をカラオケで選曲するようなことはないのです
スナックのような酒場でお客さんである他者がテレサ・テンの曲を歌ってくれたとするならばあなたは別れを惜しまれている対象である可能性が高いわけです
お客さんはスナックでテレサ・テンの曲を歌っても今どきの若いお姉さん方には伝わらないだろうなというようなことを嘆きながら歌ってみたりもするわけです

一般の日本人のみなさんはテレサ・テンの曲はアジア人の歌であり歌詞の内容からして不純なものではないかというところまでしかインフォメーションをもっていないかもしれません
そういう人は最初からこのような歌とは縁がないのだから今後ともお近づきになられなくてもけっこうであるということです

別れの予感などはよいですね
県立高校の卒業式で退場時のBGMとして使われたりもしていたのですよ
卒業生のみなさんには歌詞の意味など理解する余地もないでしょうが

X-JAPANの曲なども卒業式の退場時のBGMで使用されていたみたいですよ

まあそれはさておきみなさんは思い込みが相当激しい人種なのです
地域性にもよりますが価値観の硬直化が過度に進行しているわけです
順を追った段階的な価値観の柔軟化が期待されています
みなさんそれぞれの地域で共有されている価値観というものが存在しておりあなたたちはその価値観のみにより支配を受けている場合が多いのです
価値観からの支配から卒業できればあなたにはクリエイターとしての未来が待っているのかもしれません
少なくとも発想の幅はひろがるでしょう

雲の上で天体観測をしたいのですがどのようにすればよいでしょうか
今日は朝から雨が降り続いています
月から見た天体の地図とはどのようなものになるのでしょう
水星って気温は何度ぐらいあるんでしょう?
地図を持っていったら萌えてしまうほど高い気温なのかもしれませんね
降り立った人が燃えてしまうでしょう
水星でもえつきることもそう悪いことではないような気がします

雲を突き抜けるような植物をうみだすことはできそうですか?
小型銭湯機をチャーターしたらいくらぐらいになりますかね?
ヘリコプターのほうがよいのでしょうか
それを考えるとどらえもんででてくるタケコプターは優れものですね
雲の上に行く前で眼下にひろがる光景が怖くて失神してしまいそうですね
高いところから落下したらどうなるのだろうというふとした疑問はおこらないほうがおかしいのです
重力加速度から現在地点での落下速度などを考えているまもないうちに地上に激突してしまうのですよ
これから先クリアボディーを適用した航空機が登場したらとてもどきどきしますよね
全面が透明な旅客ジェット機が登場したら搭乗した人はどれぐらい寿命が縮まるのでしょうね
空を飛んでいたカラスがジェットエンジンの呼吸口に巻き込まれてジェット燃料排気ガスとともに大気中のもくずとなっていく姿などとてもみれたものではないですね
航空機内が上層下層の2階に分離されているようであれば下の階の者は上の階の者の動きが気になってしょうがないですね
それこそ空中の景色を眺めていたりするどころではなさそうですね

クリアボディーといったら潜水艦しかないでしょう
一刻も早く透明潜水艦を開発しなければならないでしょう
それはなぜか
乗りたいからです
ウェットスーツを着てもぐれ
なんていわないで
それもいいけどメカニズムはメカニズムでおもしろそうなのだからです
透明潜水艦で龍宮城までいくのですが竜宮城へ着くまでの間艦内でお酒がぶがぶ飲んでそのまま寝込んでしまってほかの者がウエットスーツに着替えボンベを背負って龍宮城を探索して帰ってきて潜水艦で出発地点に帰港したころにいいかげん起きれと揺さぶられて起こされて何がなんだかわからない状態で下船するわけです
私はなにしに行ったんだろうとあとになって後悔することがないように気をつけましょうというお話でした

龍宮城にいってもテレサ・テンは歌ってくれないでしょう
永遠の歌姫テレサ・テン物語は今夜9時からです
そのあとにカラオケにでも行ってください
テレサ・テンの曲が似合いそうなお姉さんはまずいないはずですがそれでもがんばって歌ってみましょう
それでは今夜は奇跡的に晴れますように

ありがとうございました


長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安となる判定分岐点と判定基準が有する問題点

2007-05-25 12:58:40 | 4F
みなさんおはようございます

本日の調子はいかがでしょうか こちらは気温が30℃を超えるのではないかというような日差しが朝から降り注いでいます

前回の女性論は男性読者を対象とした内容に感じられましたか?女性読者は女性全体を客観視した講義などを受けられた経験があるのでしょうか?
戦後の女性ほど社会身分が細分化された属性はないと考えられます
女性自身の手による社会身分階層化構築の歴史であったのではないかとも考えられます

究極には自分の居場所構築なわけです
男性社会と共存しながらの居場所を構築してきたわけです

これ以上進めると人間の存在意義にまでいきついてしまいます
一般の女性などが見向きもしないような文章になってしまうわけです

それでは閲覧したことにより何かが得られるのかという疑問が生まれるわけです
細分化されてきた女性の社会身分階層の解説を受けたらためになるのか? ということです

そればかりは読み終えてからでないと誰もなんともいえません 私にもよくわかりません

冠婚葬祭の話をします
私の地域ではお年寄りがなくなると例外なしで集落の住民全員でお葬式をあげます
地域外の人に説明すると集落のお年寄りがなくなるたんびに血縁的に近いわけでもない隣人のためにお葬式の準備から告別式から片付けまでの一通り全てを集落すべての人が参加して運営するわけです

反対に結婚式は集落に若者がほとんど存在しないので数年に1回あるかないかです

私たちの地域では個人個人の特別な思い入れの存在という点では形式的であるが最後だけは亡くなられた方全てが平等であったということになっています

私たちの地域の社会身分は年功序列型といったほうがわかりやすいかと思います
若者は社会的地位が低いということになっているので自分の考えを表現しません
まわりは全て年上の身分が高い人に囲まれているということになっているからです
出生年齢順の社会身分が通用しています

私たちの地区で育つと自己というものの概念をなかなか養うことは難しいのではないかと思います
他者を気にする時間が長すぎるのです
他者を気にして他者の行動を模倣している自分が自己であるのでオリジナルの自己というものが存在しないのではないかと考えられます

地域の生徒がおかれている環境はサービス提供者の先生ではなく師範としての先生と出生が先であるということだけが根拠として身分が高いとされている先輩に囲まれているといえます

偉いとされる人々に囲まれた状態での思考を要求されているのです
まわりが偉い人ばかりであれば生徒はいくら思考してもとるにたりないこととして相手にされなさそうという感想を持つかもしれません

まわりに偉い人ばかりいたら偉い人が説得できそうな言動をとろうとする思考がうまれるでしょう
生徒の時期から偉い人の顔色を気にした発想だけが向上していくかもしれませんね

誰かの目を気にしている生徒ばかりであれば自由な発想を持つ生徒はほとんどいないということです
県内を生涯にわたり生活の拠点とすることが望まれている人であれば自由な発想に若干かけても難儀することはないでしょう

自由な発想にかけた人は県外の人と共存する場合必要以上に苦労する可能性があります
他者の目ばかりを気にしがちないなかの人を見て不自由であるとの印象を受けるでしょう

この人は人の目にかなったとしてどのような恩恵を受けることができるのであろうか
というような漠然とした疑問を抱かせてしまいがちであるといえます

都会では思考が単純です
世の中のしくみはほとんどが形式的なものであると理解されているので結果だけを要求してきます
あまりにも大勢の人達により社会が営まれているので結果や実績だけで他者を評価しないと時間がいくらあっても足りないのです

他者を説得させることが可能な結果や実績は個人差があります
ありとあらゆる年代から実績を残す人物が現れます
結果や実績を重視する社会には出生順に信用を無条件で付与するという基準はありません
先に生まれたからといって結果や実績と同列に先輩後輩の識別による評価を行なっていれば結果や実績の絶対的な価値が低下してしまうのです

結果や実績だけを信条としている世界の人種は上下身分関係社会では共存が不可能であると考えられます
無条件で年上を敬うということの概念を持っていないと考えられるからです

出生別の上下関係を重視するのは学業期間だけにとどめておかないと一般社会での現実にそぐわなくなる可能性があると考えられます

私たちの地域では出生別の上下関係意識が重い比率を維持しています
一般社会で上下関係意識を利用した契約を要求された場合を考えます
金銭消費貸借契約を要求してくることが考えられます
労働契約締結を要求してくることが考えられます

上下関係意識を悪用した上での契約が横行しないともいいきれないわけです
後輩の立場からしてみれば自由意思による契約のつもりではないのかもしれません
上下関係意識の濫用は脅迫行為そのもであるということです
先輩が後輩に絶対やってはいけないことが確実に理解されていなければなりません
女性に乱暴してはいけないということを誰かが教えてやったほうがよい大学のクラブチームなどが存在するかもしれません

昔は後輩が先輩に対してやってはいけないことや先輩が後輩に対してやってはいけないことといったことの伝承がうまくいっていたと考えられます
都会では先輩後輩間の接触がまったくとれません。地域社会そのものが個人志向です。下校後に塾に通い夜遅くまで起きて朝登校して学校で一日中寝るような生活を小学校の時から経験している人だっています

自由な発想を必要とする職業がなかったら自由な発想などは不要なのかもしれませんね
制度的に職業とされている職種へ就けば余計なことを考えなくてもよいという思想が強いのかもしれませんね
公的な職業に就くことが期待された教育体系がとられていると考えられますね
考えられる様々な教育体系から考えてみれば幾分ましであるとも考えられます

今日のタイトル 長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安のとなる判定分岐点と判定基準が有する問題点 でありますが誰が信用を付与してもなかなかうまくいくものではないということが確かであるといえます。
長期間にわたる信用を付与したとたん手のひら返したかのようなふるまいをはじめる集団に豹変してしまうというのが俗世間の実体であるといえます
集団としても個人としても大差はないと思われます
信用を付与したのちの行動を予測したつもりであっても期待通りにはいかないのが人間社会そのものであるということです
信用付与基準の考案にウェイトをかけることは間違ってはいないが信用を付与された人物ののちの行動というのは幼年期からの人生経験の積み重ねが如実ににじみ出てくるものであると考えられます
信用を与えた人物が高い志を維持した状態で行動を継続することが期待されているわけです
信用を与えたのちに志の浅さを露呈しはじめた人物を抽出し公開の対象として次第に分離するような動きが出てくるのかもしれません

個人間の世界では双方円満の婚姻を実現するために信用を与えるのでしょう
組織と個人間では双方円満の社会身分関係を実現するために信用を与えるのでしょう(学校に在籍すること)
組織と個人間では双方円満の労使関係を実現するために信用を与えるのでしょう(雇用関係を結ぶこと)
もうひとつは双方円満の金銭消費貸借契約の実現であるともいえるでしょう(融資を受けること)
個人が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで融資を実現するでしょう(債権債務関係)

信用付与がうまくいっている人のことを人生がうまくいっているとの見方があってもよいのではないかと思います
誰もが実現困難なことが理想的な婚姻であったり理想的な就職であったりすると考えられます
組織の中でみたら理想的な上司や部下に囲まれているかということであったりすると考えられます
組織運営の立場で見たら安くて丈夫で長持ちするタイプを確保したいと考えるでしょう
究極には長期にわたり利子や配当をもたらす組織との関係を望んでいるといえるでしょう

一般には利子や配当の動向に左右された行動をとる人生より婚姻や就職がそこそこうまくいっている人生のほうが後悔もなく有意義な人生であると考えられます

全てを手に入れようとしたら全てが手にはいらないのが人生であるといえるので婚姻でも就職でもなにか1つだけでも信用付与に成功すればよい人生であったといえるのではないかと思います

個人や組織を信頼して関係性を構築していくということはそれほど長くはない時間の間に個人や組織を選択するという究極の行為であると考えられます

究極の選択のことばかり考えていては少しも前進しないことが考えられるのでたまには人を褒める練習をしましょう
私は人を褒めるのが下手です
人を褒めたら責任が発生すると考えられるからです
人を褒め他者に同意を求めたら褒められた人は期待はずれの行動をとれなくなります
褒めた人によっては長期にわたるプレッシャーとなることが考えられるのです
他者に人を推薦するという行為は3者の間で信頼関係が構築されていないとなかなかできるものではないということです
推薦された人が期待はずれの行動をとった場合推薦した人は紹介した人の期待を裏切ったことになってしまいます

褒めるにしても信頼関係に変動が発生しないことが確認された場合でないとなかなか人を褒めるということはできないのです
それでも褒めることはよいことに違いはないのですが地域によっては目上の人ばかりが褒めるという行為をしているのかもしれません

褒めるということはよいことですが評価が発生しています
褒めちぎっている人というのはむやみに高い評価を与えているように見えるのでそのうち信用を落としてしまうような気がします

それでも褒めないと人は喜ばないかもしれないから褒めることはよいことです
かんじんなことは褒められたい人から褒められたかが問題となるのです
褒められたい人から褒められた時が一番嬉しい
というのが自然な感情であると思います

誕生日に弟の嫁からカジュアルシャツをプレゼントでもらいました
嬉しいとはこういうことをいうのですね
少し違うかもしれませんが少なくともよいお嫁さんでよかったということです

青森県出身の一人っ子ですね
まあよく青森―鹿児島間の婚姻を実現してくれたものだと思います
当人達の現役時代の生活拠点は関東であるので青森も鹿児島も事実上関係ありません

弟の話はこれくらいで
うちの弟や妹達は立派であるということですね

現代ほど安易に他者や組織を信用することが難しい時代はないように思えます
しかし昔のほうがもっと難しかったといえるでしょう
現代は各種データの蓄積により統計情報の精度が格段に向上しています
統計的に予測可能な現象が増えてきているということです

突然変異的な珍しいことが発生する可能性が低下している画一的な社会環境が構築されたといえます
予想外や想像外の出来事に対する関心が高まるのも自然なことであると考えられます

あまりにも情報が揃いすぎてしまっているので前もって人間行動が予測されてしまっているのではないかとも思えます
将来が容易に予測されるような社会では生き生きとした住民が減少してしまうのではないかと考えます

予想外のストーリを持つ作品はやはり付加価値をもっていると考えられます
社会の基盤に変化はないが変化がみられないことに起点を発するエネルギーの流れが創造の世界へ移動し細分化された創造世界の中で多くの人の充足感に影響を与え続けることに価値が見出せるのではないかと考えます

男性は積極的に信頼関係の構築を実現したほうがいいですね
どういうことをすれば信用を得またはどういうことをすれば信用を失うのかということです
どうして所属以外の集団からの理解を得られているのかもしくはどうして所属以外の集団から理解を得られていないのかを要点を絞ってまとめておくとどうしたいからどうするという流れをつくることができるのではないかと思います

同様に女性も信頼関係の構築の手続きが向上したほうがよいのかもしれません
あまりにも他者の目を意識していない女性に対してはいつまでおよそ自己中心でいられるのか終了する時から期間を逆算する作業を勧めたいともいえます
現実世界での不確実性事象に対する期待から面白可笑しく遠くから見ている人が多いと言い換えることもできます

ということで漠然と個人を信用してうまくいった人や漠然と組織を信用してうまくいっている人にはかなわないのかもしれないということです
社会通念や各種統計資料に基く確実性を重要視してしまった場合には確実性は実現されたとしても不確実性は実現することができないのかもしれないということです
不確実性が強い機会遭遇のロスが発生してしまうということですが不確実性が持つリスクを許容することが変化への歩み寄りだともいえます
不確実性を楽しむことが冒険であるとも考えられます。しかしリスクの負担に上限を設定しがちなため真の冒険者からの理解を得られることはなかなか難しいともいえます
信用を与えた先の長期にわたる共存の過程で平行線をたどれることが理想なのかもしれません
ひきつけあうのも反発しあうのも当事者同士の勝手ですが長期にわたる安定を実現するために信用を与えたのは双方とも共通しているはずです

信用を与えることとは長期にわたる安定した共存を実現することが目的なのです
長期にわたる安定した共存の実現を双方が希望しているかどうかが問題なのです

長期にわたる安定した共存を実現したいと強く願ってみましょう
そうすれば信用を得られやすくなるなるかもしれませんね

職業選択の自由がもたらす社会身分制度の変化

2007-05-17 17:02:25 | 4F
きゅやうがみしょーらん
を英語発音表記するとぐっどあふたぬーんとなります。

こんにちは。今日のタイトルもこれまたいったいなんなのでありましょうか?
誰かかわりに書いてください。
法のもとに平等ということになっているのだから平等なんでしょう。
それぞれの人間を観察するとして個体差を測定したならば責任分担の程度に極端の開き具合が生じているという事実が認められるということです。
責任者という立場が存在して定められた範囲内での管理権限を認められているんだから個々の人間が責任の重さは等しいとはいえず責任も幅も多種多様であって当然ということでしょう。

責任が重いと認められる人を敬うことに問題はなにもないでしょうと考えられます。
責任を実感することなく生活を継続することができている人物が多い組織ほど責任者への負担が偏っているものだと考えられます。

職業によって生命を扱ったり財産を扱ったり安全を扱ったりと様々な役割分担が実現されているわけだからミスが許されない職務ほど責任が重いといえるでしょう。
身分も制度もあったもんじゃありません。個人がもっとも長期にわたり継続が可能な分野に携わることを実現できているならば身分などという発想は浮かびようがないと思います。
身分を要求してくるような人物が存在しているのだとすれば、そのような人物こそが社会身分制度の真っ只中に存在していると見て間違いないでしょう。
一般市民にとって身分識別などというものは目障りなものであって当然だという気がいたします

政令指定都市クラスの人口の集団の中で意思表示を行なう必要性が生じた場合の理論的な手続きを研究することは非常に有意義なことであると考えます。
人口が30万人ほどいる場合の代表者の選定作業手続きというものはあらゆる規模の集団の意思決定手続きに応用されるのではないかと考えます。
30万人も人口が存在していれば個人の意思を代表者に伝えることは並大抵の努力を重ねても実現困難であると考えられます。
30万人の株主が存在している会社の株主総会決議のようなものです。会社の場合は保有株式数によって個人の発言権の重みが異なってくるわけだから創業者は過半数の株式の保有を維持することができていたのなら創業者主導の意思決定が実現できるでしょう。
人口が30万人である地域の場合は1人1人が持つ権利がまったく平等になっているわけだから、意思決定機関の階層化が求められると考えます。ピラミッド型の意思決定システムです。最下層の位置から全体の意思決定を行なう最高層位置の議決機関に対しダイレクトに意思表示を行なうことは非効率であるでしょう。30万人が一斉にアクセスしたらパンクして当然です。ということは中間階層の意思決定機関の充実と意思の橋渡しを行なう引継ぎのルートが確保されていなければならないでしょう。政令指定都市クラスの住民が意思決定機関に対し無関心に陥ってしまう理由は意思の引継ぎが非常に煩雑であると感じ手続き自体を放棄してしまうからでしょう。
中間階層の意思決定機関に携わるメンバーの工夫が求められているのだと考えます。最終的な意思決定を行なう決議機関へ案件を引き継ぐ中間階層組織のメンバーの人選が最も重要であると考えられます。
中間階層の機能が充実されていたのならば30万の人全てが問い合わせてくる項目について的確な回答を出すことができるのではないかと考えますし要望が出た場合も適切に項目を類型化して具体的に検討してゆく必要があるのかどうかの判断も行なうであろうと考えられます。
もっとも期待されない状況というのは30万の人全てが問い合わせや要望を出さなくなった社会であると考えます。
一般の人が不感症に陥っている状態であるといえます。中階層以上の決議機関だけが機能している状態は専制の状態であるといえます。一部の人による独裁状態に近いと考えられます。
中間階層へ意思を伝えるのであれば便宜上の最下層である個々の世界で属性が近似した者同士でのグループ活動が活発になされることが効果的であると考えます。グループ活動を通じてグループ内に共通の疑問点などが生じなければ所属している30万人の集団運営はおおむね良好であるということでしょう。不満があったら各グループから似たような声が上がってきて当然でしょう。ということで最初から最高決議機関へのアクセスすることは合理的でないということです。自己の所属している業界で既存の規制などが不当な障壁となっていると感じた時に規制の緩和の要望を上げていく行動を大手企業は行っているでしょう。グループ活動とは生涯学習講座のようなものから大規模な事業者の活動まで様々なものが考えられるでしょう。

今一度私たちはいったい何が不満であるのかということの項目についてまとめてみることが重要なのでしょう。
不満に思っていることを箇条書きにして100項目ぐらい書いてみましょう。それぐらい書いてみたらその項目の中に個人の本音がでてくるものだと思います。いたずらに暇つぶし感覚で組織の権威を汚すことはよくないでしょう。信用失墜行為を発生させてしまってきている人物を特定することは有意義なことかもしれません。信用失墜行為の定義から始めなければならないのかもしれません。不満を持っている人というのは取引成立さえ実現すれば円満になることが可能なのでしょうか?

今日の話題はまとまりがありません。各階層の役割分担が忠実に実行されていれば何も問題はないと思われます。
職業選択の自由というのは一般論にはできません。同一職種を2-30年継続している人だけが職業選択の自由を持つものであるのかもしれません。
一応理想と考えられるのは現役引退後からが腕の見せ所だということかもしれません。最も的確な指示を与えられることが考えられますが指示を与えたら若い人が考えることを苦手としてしまいます。少しでも物事を考える若い人が増えたほうがよいのかもしれません。

それでは今日もありがとうございました。

今週のサブタイトルに手をつけてみようかと思います。

特定社会背景において生活している者の交流相手である人種の選択

2007-05-16 16:59:23 | 4F
みなさんこんにちは
先日のテーマをまだ消化しておりませんでしたから超特急で仕上げたいと思います。

私たちは産まれた時すでに両親が存在しているわけです。
両親が保護者である社会に出るまでの期間においては両親が存在している社会背景の影響を強く受け続けるということです。
父や母が生活の中心として身を寄せている集団の潜在能力が子供が将来実現可能とする潜在能力の幅の初期設定値として影響してくるというわけです。
誰もが誰も平等な被保護時代を送れるというわけではないということです。
最初から赤ちゃんポストを利用する人種が存在するというわけです。
あらゆる選択肢を考慮することなしに児童福祉施設へ一任する人種が存在するというわけです。
社会は強制力を持つ処罰手段を構築することができていないために、女性の受胎後になんら興味関心を示そうとしない責任逃れを実現しようとする性があとを絶たないというわけです。
責任逃れを実現してしまった男性が発生させた生というものは出産直前の段階からもうすでに取り返しのつかないほど根の深いハンデを背負わされているということになります。
受胎させた男性の有する責任遂行意思のレベルが社会的身分そのものであるとします。
受胎させた生に社会的身分を付与するのは男性の役割であると考えます。
男性の社会的身分は固定されていると考えることが妥当であるため、父親の社会的な属性が子供の社会的身分の初期値として反映されることが考えられます。
各種学校の選択とは遠まわしに表現すると社会的身分の選択行為であるといえます。
人口が集中している都市部においては両親がもつ社会的身分の総合値において児童の生活環境が設定されているといえます。
都市部ではあからさまに児童が所属している社会的階層がはっきりしているのです。
都市部と比較した地方の特色はありとあらゆる社会的属性を有する両親の子供が公教育という場において一元管理されていることが特徴としてあげられます。
都市部と異なり極端に思想信条の異なる両親の子供が時空を共にするわけです。
学生時期の制服着用が象徴するものは上辺だけの平等意識の付与にあると異国の人はみるでしょう。
制服着用時期が終了した時になってはじめて両親が有する社会的身分の意識化が進むことが考えられるため、一見平等を装っている学生時期において関係していた社会の関係者に疑問がよせられるものであると考えます。
両親が有する社会性の枠組みに縛られている世界から離脱することをチャレンジとよんでも構わないものだと思います。
両親が有する社会的身分より高度な次元へステップアップしてゆくことを両親は望んでいるものであると考えます。

自己の有する専門分野もしくは専門分野の周囲に該当すると考えられる者との交流が妥当であるという結論にいたしたいと思います。
専門外の人物との交流は利害関係が発生しない限りにおいては良好な交友関係が保てるものだとも考えます。
圧迫感や威圧感がなければどの分野の人物とでも交流は可能であると思います。
交流にあたって相手のどのような言動が不愉快であるという項目の調査は有意義なものになると考えます。
現時点で継続しているおつきあいを丁寧にしてゆくだけで何も問題はないと考えます。
不特定多数の女性に受胎させて消息を絶つタイプの人種を監視することは有意義であるといえますしつかず離れずの距離を保って責任の所在を気づかせていくべきであるとも考えます。

それでは本日のテーマに移ります。

教会にきました

2007-05-08 23:12:11 | 4F
こんばんは いい湯に憧れるどこにでもいる一般市民のほたちゃんです お風呂上りです
毎度お騒がせしてごめんなさい 何のことだかわからないけれども とりあえず誤っておいて正解でしょう。

先日養護教諭についたセーラープルートについてまでお話したので本日はうさぎちゃんです。
まだ懲りずにセーラーうんぬんと言っているのかと思われている閲覧者の割合が増加していると思われるので本日は休校いたします。

今日私はほたちゃんの実の親でありますので、この子の親として私が以前からとても悩んでいることについての相談をみなさんとしていきたいと思います。
画面に物を投げつけないでください。これでも本気で悩んでいるんですから。
私が親としてできることはもうありません。ご迷惑をおかけいたしますがみさなんどうか優しく見守ってやってください。

とこれじゃまるで学校生活を円滑に営めていない子供の親ではありませんか。

私は中学校と高校の頃は国語の先生とあまり仲がよくありませんでした。それはいったいなぜでしょう。子供だったからです。先生がフレンドリーじゃなかったからこっちも先生のまねをしてみただけです。

フレンドリーではなかったというのはそれなりに理由があることも理解できます。27人を超える生徒がクラスにいれば思春期の彼らのことです。教科書どおりの理想的なクラス運営が行なわれることの確率は低くて当然なのです。1人1人の生徒がクラス全体の空気に影響を与えようとすれば先生だって忙しいんだし気象予報士ではないんだから気圧の配置状況なんかをいちいち把握することなどは困難なわけであります。
みんながみんな先生に愛されようと思ってもそれは最初から無理な話なのです。先生の愛を感じなかったからといってつらくあたることはやめましょう。先生は誰1人として過剰な愛を生徒に与えることができない立場にいるのです。

みなさん。ここまではまだ大丈夫そうですか?


カテゴリーの一部変更を行ないました

2007-05-04 06:41:47 | 4F
おはようございます 本日はみどりの日であります
以下はLOVELOGでの出来事です

太平洋戦争後初のカテゴリー見直しを行ないました
画面右に自己紹介の下にカテゴリー(分類)とありますね。ご覧になってお気づきになられるかと存じます。ほたちゃんの周囲を渦巻く世界環境であります。ほたちゃんは常に集落内での1世帯の1員という立場に始まり、校区内の1集落の1員、町内の1校区の1員、市内の1町の1員、県内の1市の1員、国内の1県の1員、全世界の1国の1員といったように、行政区画単位で分類された立場を持つ1人の市民であるということです。行政区画単位分類された上でさらに所属法人による分類がなされます。倶楽部活動等も含みます。1個人としての分類には至りません。個人の最少構成単位は家族であるからです。いつまでたっても1個人という分類に踏み切ることは不可能なのです。誰にだって両親はいたはずです。
個人を取巻く組織別に分類できたのであればほたちゃんは無意識のうちに集落や校区や町のことを意識した上での行動をとっているということの説明を始めることができます。
奄美から上京した学生の皆さんが糸の切れた凧のように大空で気流の波に呑まれているのは、言い換えると伸び伸びふるまっているのは、1時的に行政区画単位の1員としてのプレッシャーから開放されるためです。集落や町の1員として責任のあるふるまいをしなければならないという心理的拘束から解かれた状態にあるのです。
話を次に進めます。個人の所属する組織単位に分類することができたのなら、日々の出来事を綴った記事は集団ごとのカテゴリーに分類することができるようになりました。記事といっても1組織内のお話で完結してしまうような内容になることは滅多にないので、組織内の機能別の分類(職能別分類)も行いました。さらにほたちゃんの個人的な嗜好が反映される記事の発生も考慮し組織別や職能別以外の分類も行ないました。法人の固有名義の出現につきましては羅列してあるだけです。ただ単に1個人の履歴にすぎません。個人の昔の思い出話をより深い理解と供に提供するにあたり、個人を取巻く社会背景の説明が多分に用いられることが予測されるからです。農村社会に進出予定の法人の皆様に市町村や私法人といった意思決定機関の下さらに集落や校区や町を単位とした意思決定機関が存在するという概念を持たれて欲しいと思います。私法人責任者が軽率な言動をとられますと、1個人である従業員とその家族が集落や校区や町から信用を失ってしまいます。信用を失った1個人は村八分となるわけです。精神的に進化せざるをえなくなるのです。組織が1個人を社会的に抹殺することを回避するためにも組織がとりうる危険行為情報を示しておかなければならないのです。

今月も月にかわってお祓いよ

2007-05-01 01:40:04 | 4F
月はじめは神社です

あなたの悩みごとを月のはじめにお祓いします。
略して『月払』
もうちょっと延ばして『月にかわってお祓いよ』
となるわけです

というわけで本日は悩み事相談。悩み事といったら神社。神社といったら当社でございます。

多数のコメント、トラックバックお待ちしております。

長い人生いろいろとつまづくことも多いでしょう。
ふと考えさせられるような場面に頻繁にであうかもしれません。
あなたにだけは教えたい。
あなたたちには教えない。
これでその場をしのいでください。
1つの課題に対し割り当てられている時間は限られているのです。
診断を下したらあるいは答えを出したら次の客や生徒の対応を始めてください。
いつまでも特定の客や生徒と戯れている場合ではありませんよ。
あなたはすでに比較的高いとされる社会的な責任の重さを他者に分担することはできないのであるから担当者個人が悩み事を必要以上に背負うようなことから逃れてください。
ある程度世渡りも考えないと定年まで身が持ちませんよということです。
何事もたいしたことないのです。
夜更かししないで早くねましょう。
早く起きてラジオ深夜便を50年後に聴いてみましょう。
今月も無事穏やかに月のはじめを迎えることができました。
それではさようなら20時代
これからもよろしく30時代
心はいつも50代
脳みそはなぜか70代
でここ奄美大島より全国ねとる中お伝えしました。

こころにいーよう

2007-04-30 12:41:09 | 4F
先ほどの薬物こころのえーよう(a-soul)には美しくない単語が出てまいりましたね。

こころのえーようバランス補給が大事ということでこころにいーよう(e-soul)を調合いたしました。

争いごとに敗れた一族からは、超人的な優秀さを誇るスパイ・ゲリラ能力に長けた人材が発生してしまいます。

自爆テロで済んでいるうちはまだかわいいほうでしょう。これらの変人・奇人が組織化した時に1国の1大事が発生するわけです。

私がここで伝えたいことは負の連鎖のストップであります。負の遺産を断ち切らなければならないということです。

戦争を知らない幼い子供たちに他人から受けた過去の怒りや憎しみを伝染させてはならない。

はるか昔のことは今の子供たちにはまったく関係のないこと

時期がきたら余計な修飾など一切しないで事実だけをただ淡々と述べればよい

歴史事実に修飾語を用いてはいけない。
子供たちの判断能力が鈍る

他人や集団に対して怒りや憎しみを吐き出し続けている親を幼い頃から見続けてきた子供は大変気の毒であるといえましょう。

親は子供の前でむやみに他者や集団に対し怒りや憎しみを伝えてはならない。

子供に伝染した怒りや憎しみは子供の親そのものにむけられてしまうであろう。

怒りや憎しみを覚えた子供は他者や集団をいつまでも傷つけていくであろう。

接客・情報流通サービス業のこころえ(H18.11.吉日)

2007-04-15 01:25:32 | 4F
お客さんに不快感を与えない
特定の価値観を持たない
お客さんの身分を意識しない
お客さんに特別の感情を持たない
サービスの質が万人に対して平均であるように心がける
全員に平等のサービスを提供する
接客時には心配事や悩み事を瞬時に忘れること
お客さんの不快感を確実に汲み取る
多くのお客さんが不快に思っていることを常に記録し改善・改良の手順を具体化し実行する
従業員間で上下関係意識を持たない
各自が誰の補佐を担っているか自覚する
補佐に向かない人が出現したら、これ以上マイナスの影響が出ないよう該当者を丁寧に扱う
補佐能力の向上が見込める教養を推奨する
業界を問わず、分野にかかわらず長期間にわたり同一業種に従事する男性の補佐を行える能力を養う
当事業はパート従業員の自立を促進するための役割は担っていないことを徹底周知する
パート従業員が現在あるいは将来の扶養者が抱える精神的負担を軽くすることができるような働きや工夫を行えることで扶養者がより一層社会貢献に寄与できるよう補佐能力の向上を期待し支援する

はなしのおわりに(H18.11.1)

2007-04-15 00:22:40 | 4F
自然や物や人を大事にすれば、自然や物や人があなたを大事にしてくれるのではないでしょうか。

物を大事に作っているうちに人を大事にしたり、人を大事に育てているうちに自然を大事にしたり、自然を大事にしているうちに物を大事にしたりといろいろなことに気づいていくことが楽しかったりするのではないでしょうか。

ひとことでいうと、私たちは物を作った人の努力をむだにしてはいけないということです。

ものをつくる時に創意・工夫しようとする気持ちは子供を育てるときに役にたつ(H18.11.1)

2007-04-15 00:20:17 | 4F
ここでようやく本題にはいります。ものづくりの大切さを意識できなければ自分の子供を大切に育てるのはなかなか難しいのではないでしょうか。

ふだんから物を作っている人は、自分が生産を担当している商品の完成品の姿をよく理解していると思います。
完成品をながめてみて、満足できない、納得できないと感じたとすれば、どの生産工程で創意・工夫がたりなかったのか、どの工程でいいかげんな作業があったかをすぐに発見できると思います。

子育ての話に戻ります。子供は商品と違って人間なので完成の状態などはありえないのですが、それでもものをづくりを大切にしている人が育てるとすれば、どの時期に手を抜いたりしてしまうとこの子が将来どのあたりで悩みごとや心配ごとにつまづくだろうというようなことはおおまかに見通せると思います。
なので、いっときも手を抜いたり粗末に扱ったりせず、大切にそして厳しくしつけていくのではないかと思います。

手を抜くといっても要領よく息を抜けばいいだけだとは思いますが・・・。

物を作ることの大切さ(H18.11.1)

2007-04-15 00:18:46 | 4F
この世に生を受けてから死を迎えるまでの間、生活しなければなりません

住むところがなければ、雨の日困ります。寒い日は凍死してしまいます。屋外ではハブやいろんな動物がいます。
なので、住む家をたてなければなりません。
家を建てるのに適した木材を家づくりに適する形に加工して、組み立てることは大切なことです。

住むところがあっても、おなかがすいたら衰弱して餓死してしまいます。
野生で自然に成長したくだものがあったとしても、食べごろになる季節しか食べられません。
なので、栄養のある食物を育てることは大切なことです。
自然界に生息する海の魚も数には限りがあるので、必要なだけ養殖することは大切なことです。
もちろんお肉も必要なだけ生産することは大切なことです。
野菜や魚やお肉は生き物ですから時間がたつと食べられなくなってしまいます。
なので、できるだけ長く食べれる状態に加工することは大切なことです。

人は動物と違って全身を体の熱が逃げないようにする毛でおおわれていません。
雪がふるような寒い日に服がないと体の熱といっしょにたましいも天にのぼってしまいます。
裸で街をあるいたりお仕事をすることはできません。そういうことができる人のことはほおっておけばよいでしょう。
とにかく、服を作って身につけることは大切なことなのです。

現在身近で目にすることができる食材や、衣服、建物は、何千年にもわたり人類が積み重ねて残してきた技術の成果を最も優れたかたちで表現しています。
物を作る人がいなくなったら、あっというまに食べ物をはじめ必要な物資がなくなり、人類は絶滅してしまうでしょう。
だから物を作る人や物を作るお仕事そのものが大事なのです。
ただできれば食物なら新しい品種の改良、衣服ならデザイン、建築なら設計をできるとものづくりの楽しさ、厳しさをよりいっそう実感できるかもしれません。

ものづくりといっても、物質を生産するだけでなく、目で見ることができる書物、絵、映像、耳で聞くことができる音楽、鼻で感じることができるお花やお香の香り、といった人間の感覚を豊かにする作品を作ることもものづくりといえます。

一番豊かに感じるのは自然界に最初から存在する花、鳥、動物その他の生き物を景色として見、さえずりや鳴き声を聞き、香りを味わうことだろうと思います。

ただ人間にはとてつもない想像力がはじめからそなわっていて、つねに新しい映像(テレビ・映画・舞台で上演できる分野)、音、書物を生み出してしまいます。

話題の収集がつかなくなってきましたが、誰かを感動させてしまうような映像や音や書物をつくる文化的な要素が強いお仕事もいちおうはものづくりといえるのではないでしょうか。

ものづくりに必要なことはいつも想像力を最大限にひきだして、工夫を続けていくことではないでしょうか。

食品を売るお仕事について(H18.11.1)

2007-04-15 00:05:43 | 4F
野菜・肉・魚・加工された食品をつくるために数多くの人が努力しています
新鮮で健康によい食品をとり続けたいと願う数多くの人がいます
こうした数多くの人の努力や願いの間に入っているのが私たちが従事している販売という仕事です。
流通業と一般にいわれます

もし流通の仕事がいいかげんになった場合のはなし・・・

流通の仕事がいいかげんになると、商品の新鮮度が落ちます。
商品の衛生面での清潔さも失われます。
商品を必要としているお客さんの買おうという気持ちがなくなります
地域全体の人から信用されなくなります
買ってくれる人がいなくなると商品を仕入れることができなくなります
商品の品質がベストの状態でお客さんの元へ届かなくなり
物を作っている人の苦労がことごとく水の泡になります
物を作っている人からたよりにされなくなります
こうして生産者と消費者から相手にされなくなります

ふだんから自覚しておかないといけないことは
流通の仕事をしている人は生産者と消費者の間にたつ大切な愛の
キューピットであるということです