愛のない小学校遊具
赤木名小学校には30年ぐらい前シーソーがあった。いつまであったか、今でもあるのかはわからない。
地域にはほかにもいくつも小学校はあった。いずれも小規模校でシーソーを見たことのない他校の児童は多い。地域対抗・学校対抗の行事に偶然赤木名小学校の校庭を使用することがあった。
はじめてシーソーを見た未就学児や他校の児童は、めずらしがってすべりだいをすべり降りるほうからからよじ登ろうとするような勢いでかけのぼって、支点をすぎたあたりで目を覆わんばかりの落下をみせたり、シーソーの高さが逆転し一瞬で低くなった方向へ落とし穴に落下していくときのように体勢を崩しながら転がり落ちていたりしていた。
支点の地上からの高さはけっこうあった。ここではそんな事故があったということがなかなかカウントされない、公認されないことに注意されたし。今もそうであるかは知らない。
話はかわりまして、
先日の件、この先生で大丈夫かなあ これを日本語訳いたしますと、
「この先生の名前で申請したかったらわいろよこしな」
「この病院のこの先生にしてくれたらまけといてやる」
でございます。
発展途上国の役人のかがみみたいな醜態をさらすのはよくないことでございます。
病院事務局の人間が考えそうなことであります。
市町村行政保健福祉部局担当者を買収するということは。
消防に対してもまず真っ先にこの病院に搬送するようにと圧力をかける工作が日常的に行われていたものとみています。
島の住民に対し医療行政について偏った見方を抱くようになる印象を与え続けてきているわけでして、自らの行いは正当化されるべき疑いの余地のないものとして確信を持つように誘導し続けてきている効果が表れているものであるといえます。
洗脳をとかなければ、みずからを客観視できるまでには至らないでありましょう。
オオカミに育てられたと思って辛抱強く。
集落などにみられる村八分はどの児童・生徒誰の父親が攻撃の起点として殴り込みをはじめているかそこをよく観察していく必要がございます。
それからもう一件、
横浜市緑区で起きたJR横浜線の踏切事故でございますが、
遮断機の下りた踏切内に救助に向かった女性をほめたたえるのに躍起になっていて、こういうときどうすればよいかをまったく解説していない。
突撃万歳 あっぱれ で終わらせようとするからいやらしいとののしられるのでございます。
なぜあのときわざわざ注目が集まったその機会を逃さずに、ひとりでも多く見習ってほしいではなく、ひとりでも犠牲がでてほしくないという思いを伝えようとしなかったのでしょうか、心にもないことはそう口にでてこないということでありましょう。
市町村合併よりかなり前のかつての社会福祉協議会の窓口では悪質な門前払いの対応が見られたことについても触れたいのですが、もう少し注目が集まるのちのちの機会に譲りたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。
赤木名小学校には30年ぐらい前シーソーがあった。いつまであったか、今でもあるのかはわからない。
地域にはほかにもいくつも小学校はあった。いずれも小規模校でシーソーを見たことのない他校の児童は多い。地域対抗・学校対抗の行事に偶然赤木名小学校の校庭を使用することがあった。
はじめてシーソーを見た未就学児や他校の児童は、めずらしがってすべりだいをすべり降りるほうからからよじ登ろうとするような勢いでかけのぼって、支点をすぎたあたりで目を覆わんばかりの落下をみせたり、シーソーの高さが逆転し一瞬で低くなった方向へ落とし穴に落下していくときのように体勢を崩しながら転がり落ちていたりしていた。
支点の地上からの高さはけっこうあった。ここではそんな事故があったということがなかなかカウントされない、公認されないことに注意されたし。今もそうであるかは知らない。
話はかわりまして、
先日の件、この先生で大丈夫かなあ これを日本語訳いたしますと、
「この先生の名前で申請したかったらわいろよこしな」
「この病院のこの先生にしてくれたらまけといてやる」
でございます。
発展途上国の役人のかがみみたいな醜態をさらすのはよくないことでございます。
病院事務局の人間が考えそうなことであります。
市町村行政保健福祉部局担当者を買収するということは。
消防に対してもまず真っ先にこの病院に搬送するようにと圧力をかける工作が日常的に行われていたものとみています。
島の住民に対し医療行政について偏った見方を抱くようになる印象を与え続けてきているわけでして、自らの行いは正当化されるべき疑いの余地のないものとして確信を持つように誘導し続けてきている効果が表れているものであるといえます。
洗脳をとかなければ、みずからを客観視できるまでには至らないでありましょう。
オオカミに育てられたと思って辛抱強く。
集落などにみられる村八分はどの児童・生徒誰の父親が攻撃の起点として殴り込みをはじめているかそこをよく観察していく必要がございます。
それからもう一件、
横浜市緑区で起きたJR横浜線の踏切事故でございますが、
遮断機の下りた踏切内に救助に向かった女性をほめたたえるのに躍起になっていて、こういうときどうすればよいかをまったく解説していない。
突撃万歳 あっぱれ で終わらせようとするからいやらしいとののしられるのでございます。
なぜあのときわざわざ注目が集まったその機会を逃さずに、ひとりでも多く見習ってほしいではなく、ひとりでも犠牲がでてほしくないという思いを伝えようとしなかったのでしょうか、心にもないことはそう口にでてこないということでありましょう。
市町村合併よりかなり前のかつての社会福祉協議会の窓口では悪質な門前払いの対応が見られたことについても触れたいのですが、もう少し注目が集まるのちのちの機会に譲りたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。