こんにちは。筑波大学硬式野球部の阪上祐人です。
今回ブログを書くにあたって、前半では僕の野球人生、後半では日頃伝えることができない感謝を述べたいと思います。
桜美林大学に連敗して悔しい気持ちの中、普段よりも言葉遣いを丁寧にしようと意識しています。
野球を始めたきっかけは覚えてません。
ただ、小学校は11人だけのチームでいろんな大会で優勝して楽しかったということだけ覚えています。
僕は中学時代バケモンでした。上中尾の次くらいにはいい選手だったという自信があります。今の自分よりも中学の
自分のほうがうまいのではないかと思うくらいです。我がキャプテン片岡との出会いも中学でした。当時から彼は
すでに僕の心くらいは奮わせていました。中学時代の心がどんなんやったとか気になってる人いたら僕に聞いてくれたら
言える範囲で教えてあげます。
高校では、中学のチームと比べると、環境が正反対のチームで個人として不完全燃焼で終わってしまいました。
身体の成長も止まり、限界を感じ始めたのも高校の時です。もう野球はええかなとも思っていました。ですが、僕の
学業成績が夏以降伸び悩んだこと、心が筑波に行くということを聞いたことで高3の11月から筑波大学を考え始めました。
そして何とか入学し、筑波では最後にちょっと試合に出て、寮の風呂とか食堂でくだらないことで笑いを誘うような
生産性のない時間を過ごしています。もちろん現状に満足していません、もっと笑わせられるように頑張ります。
といった感じの人間が僕であり、同期からはうざがられ、後輩からは恐れられています。
ラストシーズン悔いのないように取り組んで、必ずみんなでリーグ優勝したいね。
そして、振り返ってきた僕の野球人生ですが、いろんな方々に支えられてここまで続けることができています。
まず、両親は地元から離れた地で野球をしているので金銭的な負担が大きいうえに、帰省したら友達と遊びまくって
家にほぼいないのを、、、、、と、書いてるうちにとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
卒業したら親孝行始めます。
次にチームメイトのみんなにも支えられています。優先的にグラウンドを使わせてもらったり、スタッフ陣は練習に
付き合ってくれたり、チームが勝つためにいろんな形で戦力として活動してくれています。
最後にやるのは選手や、自分含めてチームの代表として責任もって取り組んでいこうと思います。
最後にここが一番大事なところです。僕だけではありません、筑波大学硬式野球部の支えになっているのは、筑波の野球部を応援してくれている存在です。
いつもパワーの源になる食事を作ってくださっている寮母さん、
いつも明るく接してくださる寮の横のセブンイレブンの皆様、
いつもきれいな二等辺三角形にもみあげを整えてくださるフリークス(美容院)の方々、
その他にも人それぞれ支えてくれている人はいるかと思います。
僕はあいさつと感謝を述べることはとても大切であると思っていて、地域の方々にも積極的に挨拶をしています。
「為せば成る=ケセラセラ」
春リーグで俺らの野球を貫いて、みんなで涙のVサインつくってやりましょう。
以上、僕が伝えたいことでした。
引き続き、新型コロナウイルス感染予防の徹底をよろしくお願いいたします。
体育専門学群4年 阪上祐人
兵庫県須磨学園高等学校出身