ひたすらバーコードをなぞる仕事を続けています。この今続行中のバーコードをひたすらなぞっていく作業は、単純な作業なのですが、同じ形態のものなら速度がアップして作業も捗りますが、違う形態のものがばらばらに並んでいると速度が落ちます。上の棚に並べているものをなぞるときも手が届かないときがあるので速度が落ちます。この作業も昨日で結構捗り、なんとか来週中に終えることができそうな見通しになってきました。もっとしんどいかなあと思っていただけにやってみるとそれほどしんどくなくて、終える見通しが見えてくるともう少しと思ってさらに頑張っていたりして、何も考えずにできる作業もたまにはいいものだなあと思いながら楽しんでこの作業をしていました。この作業は、今の職場で続けてきた登録してきたものを総点検する作業なのですが、そのひとつひとつを触ってバーコードをなぞっていると、バーコードを貼ってその上にラベルを貼って、ひとつひとつ入力作業をした一連の作業の段階を経て、やり続けてきた4年間を思い出します。廊下で仕事をすることが今年度からなくなり少し楽になりましたが、以前は廊下で仕事をしないといけないときもその作業をひたすら続けていたなあとか前の職場でも同じようなことをひたすらやってきたなあとか定年まで後数えるほどしかない今となっては昔の仕事をしていたときのことなどいろいろなことを思い出しながらその時間が愛おしくもあり、後もう少しになった仕事ができる時間を大切に過ごしていきたいなあと思いました。
NHKのラジオを聞いていたら一般の視聴者さんのハガキを読まれていて、「何を見ても感じなくなってきました。どうすれば、感受性がもっと豊かになるのでしょうか。」という内容が書かれていたのを読まれていました。そのハガキには、「花を見るのが大好きなので花を見ているときはとても幸せな気持ちになる。」とも記載されていたので、「花を見られてそのような気持ちになられているのならそれで十分なのではないのでしょうか。」とコメントされていました。「年を重ねるにつれて経験値が多くなり、新しく見たものでないと感動しなくなったりすることも多くなってくるので新しいものを見て新鮮な気持ちになると感じるもの多いのでは・・・・・・。」ともコメントされていました。このラジオを聴いていたら、茨木のり子さんの詩、「自分の感受性くらい」の詩を思い出しました。
7年ほど前に買った軽量のニコンのコンパクトデジタルカメラを先日床に落としてしまい、その衝撃で液晶と本体の上部の接着部が少々外れてしまって隙間ができた状態になってしまいました。昨年の12月初旬に液晶に黒い線が入ってしまう症状が出ていましたが、そのまま利用していました。今回の落下で、またとんでもないことに。しかし、撮影してみたら、ちゃんと写真は撮れていたのでその頑丈さは素晴らしいかもと驚きます。今のところ外観以外の目に見えた故障はない状況ですが、今後使い続けていても徐々に壊れていくかもしれないと思うとショック甚だしかったです。このカメラはポケットにも入りますし、小さめのカバンにも入りますので、使い安かったので、気に入っていました。液晶の破損時よりも相当落ち込みました。このカメラを購入した大型電器店に修理依頼するのはどうかと考えてみましたが、以前、パナソニックのカメラを修理していただいたときに結構高い修理代金を支払ったのに修理していただいてからすぐにまた故障してしまっていたので、やめたほうがいいかとか考えて、メーカーのサービスセンターの方に電話でお伺いしました。そしたら、このカメラは、2017年で部品がないのでもう修理不可能との回答をいただきました。溜息が出ました。このままの破損状態でも何日間かは撮影できるかもしれませんが、徐々に壊れていくかもしれないという不安を抱えながら持ち歩いて撮影するのは気分的にしんどいので、新しく軽量のカメラを買おうかどうしようかと考えています。自分の身近にある物がいろいろと壊れまくってきていて、この連鎖反応はとどまることがないのか、今度は何が壊れるのか、心配が尽きないです。