現場の経営指導を回りつつ「実践あきない塾」の専任講師として北九州市に4年程通い詰めた矢先「中小企業大学校直方校(九州校)」からも講師オファーの声が掛かる。受講者は九州各県の経営指導員などで現場実務が担当だった。
『今世はね、神さまからの一回きりのご招待なの。 今、ここでオレたちは、ご招待を受けている。 それは、その神さまが、「楽しみなさいよ」といっているんだよ。これができれば、人生でも、商売でも成功する。』
(実業家;斎藤一人)
北九州の実践塾が終わると待望の地元「博多商人(あきない)塾」から正式な講師要請が届く。立派なテキストも配布され受講者は毎年50人前後で6年間、商人塾最終回まで続けさせてもらった。その後「鹿児島商人(あきんど)塾」始め依頼殺到、「個店繁盛塾」など立て続けにきたものだ。机上理論より現場の力が追い風になって各地で商人塾ブームが盛り上がった頃だった。