「詩歌と戦争ー白秋と民衆、総力戦への『道』」 中野敏男著
アジア太平洋戦争(15年戦争)は、このブログで度々記事にしてきた。それは近代短歌を考えるうえで必要だったからである。以前の記事に書いたが、ここでもう一度書いておく。
「この激動の32年をつうじて、なによりも痛感させられるのは、救いがたいまでの国家エゴイズムが、対外的にも体内的にも、日本の支配者をとらえており、日本国民をも毒していたという事実である。」
「国民は現人神天皇の君臨する国家のもとに、対外的には狼のように、狂暴な群れとなり、対内的には羊のように従順な群れとなって、尽忠報国と滅私奉公の道を歩み、ついには八紘一宇をめざす聖戦=天皇の戦争に挺身し、海原に、南海のジャングルに、大陸の山野に、あるものははるか北辺の凍土に、粉骨砕身をとげ、玉砕し特攻し自決し果て、本土にあったものも業火に身を焼かれたのである。」
(江口栄一著「二つの大戦」)
「前の戦争が終わったとき、日本人の多くは『だまされていた』『知らなかった』と言った。しかしそれはだまされた方が楽だったからでしょう。だまされたかったからだまされたんです。」
(「加藤周一著「戦後世代の戦争責任」)
この二つの文章は、「日本の国家の戦争責任」と「日本国民の戦争責任」を問うている。
戦争といえば、「軍部の暴走」「上からのファシズム」「天皇制ファシズム」などと言われ、それを担った国民は「だまされた」ということになるのが常だった。
本書の特色は、ファシズムを担った国民の、心情の形成過程を丁寧に叙述している。北原白秋の詩業を例にして。
大正デモクラシーを「相対的安定期」とし、白秋の詩業を文部省のそれと対峙したものと位置付ける。その白秋は「戦意高揚のための詩歌」を大量に生み出し、煽る側にまわった。
その「変化」を次のように描く。「文部省唱歌に対抗する童謡」→その童謡が関東大震災後「『郷愁の念』(=失われたものを懐かしむ)に変化」→「帝都復興を機に新民謡の大流行」(東京音頭など)→「町興しの為の『お国自慢』の歌謡の流行」→「大陸に進出していった移民の望郷の思い」→「歌謡における植民地主義の表れ」→「郷土愛が国家に対する忠誠に変化」→「戦時の国民歌謡の大量生産」。
つまり関東大震災後、(=絆がキーワードになった)には、国民の間で、ファシズムの受容の「芽」があったとする。
中野は次の様にまとめる。
「下からの自発性と上からの統合と制度化が固有の相互連携をなしていたと認められるのです。・・・『ファシズム』と呼べるのは、そこに民衆自身の下からの自発的で組織的な翼賛が実際にあったからだと考えねばならないのです。・・・民衆の自発的な文化経験や社会経験が地層のように積み重ねられて、容易には壊せない地盤になっていたのです。そして総力戦への民衆の心理動員という点から見て重要だと思われるのは、そこでは確かに、白秋や詩人たちに乗せて民衆自身の『本質』に訴える抒情が、形を変えつついつも響いていたということです。」
中野はさらに現代の問題にも言及する。
「戦後の復興も、朝鮮戦争、ベトナム戦争という、『戦争特需』によってなされた。」「これは植民地主義に立脚する拡張路線だった。」「朝鮮人差別、『基地』を沖縄に引き受けさせる、『原発』のリスクを福島に引き受けさせる、というのは現代の差別である。」
そして現代の問題を、次のようにまとめる。
「東日本大震災を経た今日、この日本は確かに一つの大きな曲り角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災でしたが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、『犠牲やリスクの不平等』を生むこんな差別秩序に依存して進められてきた戦後日本の『高度成長』路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの格調路線の手酷い破綻であるに違いありません。」
過去の戦争と現代社会について考えさせられる一冊である。