「アララギ」の歌論だった「写生論」。何か古臭いようですが、私は現代に活かすべき歌論だと思います。以前、「文学の条件」という記事を書きましたが、カテゴリー「写生論アラカルト」の一つとして、再録します。 . . . 本文を読む
「異説」とは「思い違い・勘違い・誤解」という意味で、斎藤茂吉が「短歌に於ける写生の説」の中で用いた語です。今でも「写生・写実」に対する「思い違い・誤解」があると思うので、少々挙げてみました。・・・ . . . 本文を読む
「短歌に於ける写生の説」は斎藤茂吉の歌論の核心をなすもの。1920年(大正9年)4月から11月にかけて「アララギ」に掲載されたものですが、1929年(昭和4年)に刊行されるにあたり、「後記」1章を付け加えたものです。 . . . 本文を読む
島木赤彦と斎藤茂吉。ともに伊藤左千夫の弟子でした。大正期の「アララギ」をともに支えるとともに、伊藤左千夫とも二人揃って反発しました。二人の歌論の展開にも共通点が見えます。岡井隆は二人を「友人であるとともにライバル」というのですが。 . . . 本文を読む
島木赤彦の「歌道小見」を齊藤茂吉の写生論の「祖形」とするには、正確さを欠いているかも知れません。しかも同門ですから、どちらが優れているかという比較も意味はないでしょう。茂吉にとって赤彦は「同輩」だからです。しかし茂吉の「短歌に於ける写生の説」執筆のきっかけとなったことは確かなので、その意味で「祖形」と呼びました。 . . . 本文を読む
伊藤左千夫。正岡子規の弟子で斎藤茂吉の師。初期の「根岸短歌会」を支えた重鎮でしたが、正岡子規に議論をいどんで論破された経験を持ちます。斎藤茂吉や島木赤彦との誌上の論争も知られています。とすると正岡子規や斎藤茂吉と決定的に違う何かをもっていたはずです。それは何か。その一端を伊藤左千夫の歌論に見つけました。・・・ . . . 本文を読む
斎藤茂吉の師は伊藤左千夫。ですが斎藤茂吉は、伊藤左千夫を「選歌の師」・長塚節を「本来的意味での師」と呼んでいます。長塚節は斎藤茂吉について語り、斎藤茂吉も長塚節に多くのことを書き残しています。どうやら「本来的な意味での師」とは、「最も影響を受けた」というように理解できるかも知れません。その長塚節の「写生論」です。 . . . 本文を読む
「写生・写実派」の草分け正岡子規。「俳句・短歌といった日本の短詩を革新した中興の祖」などとドラマのナレーションでは言われますが、子規の「写生論・万葉論」はいったい何だったのか。「歌よみに与ふる書」の内容から考えてみたいと思います。 . . . 本文を読む
今年の5月に、「運河・全国集会」が開かれ、シンポジウムがありました。僕はアシスタント兼レポーターとして、その報告を「運河325号」に書きましたが、紙数の関係で掲載できなかったことがいくつかありました。そのなかに「写実短歌」の核心のようなものがあったので、ここに書きだしてみました。・・・ . . . 本文を読む
土屋文明の「写生」はリアリズムです。社会を鋭く見つめ、事実にこだわろうとする。昭和初年の時期にはやくも、島木赤彦・斎藤茂吉と違った作風が見られます。作風が違うということは、とりもなおさず短歌に対する考えかたが違っていたということで。 . . . 本文を読む