・まかかよふ真夏なぎさに寄る波の遠白波の走るたまゆら「あらたま」所収。この作品には「佐藤佐太郎の『茂吉秀歌』」、「塚本邦男の『茂吉秀歌・あらたま』、長澤一作の「斎藤茂吉の秀歌」にも記載はない。 しかし僕には印象的な作品だ。「遠白波」という造語に惹かれるのだ。斎藤茂吉の作品には「造語」がいくつかある。「逆白波」「遠のこがらし」。「造語」を作れるのは、言葉にたいする「感性」が敏感なのだ。「美しい叙景歌 . . . 本文を読む
・赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 「赤光」所収。 「赤茄子」はトマトの旧称。作者は道を歩いている。おそらくは道端に腐ったトマトが転がっていた。潰れていたかも知れぬ。 そこを通り過ぎて、程なく、作者は何らかの感慨を受けた。どのような感慨か。それは作者にも判然としなかったらしい。 斎藤茂吉の「作家40年」のなかでも「何らかの」と述べるにとどめている。 だがこの不思議な . . . 本文を読む
慢性的な不況のもとで、新年が明けました。斎藤茂吉もその生涯は順風万版ではなく、失意の時代を経ています。海外留学より帰った43歳から46歳のかけて。歌集では『ともしび』の時代です。 . . . 本文を読む
斎藤茂吉の第一歌集『赤光』。茂吉の代表歌集ですが、この歌集の作品や、詠風を巡ってしばしば、議論となります。詩人も、この歌集の作品を、評価していますが、歌人の言い様と、詩人の評価が、必ずしも一致しません。これは詩人から、歌人への問いかけ、問題提起と思います。 . . . 本文を読む
斎藤茂吉は戦時中の言動を問われて、敗戦後、歌壇の一線から退きました。戦争を煽ったからです。私はこれを「茂吉の負の遺産」と考えています。このことは、『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』の中で叙述しました。いずれ、評論として纏める積りですが、ここで少し試論を書きたいと思います。 . . . 本文を読む
北海道の観光名所の層雲峡。ダイナミックな景観で知られています。斎藤茂吉も50歳の時に訪れています。かなりの数の連作ですが、佐藤佐太郎の「茂吉秀歌」と塚本邦雄の「茂吉秀歌・つゆじも~石泉」とを世も比べると、興味深いことが浮かび上がります。 . . . 本文を読む
戦後になって、戦争責任を問われた斎藤茂吉。この茂吉の戦前の言動に、一つの疑問が提示されています。「斎藤茂吉は5,15事件は短歌に詠んでいるのに、2,26事件は詠まれていない。」というものです。果たしてそうでしょうか。 . . . 本文を読む
「赤光」は、言わずと知れた、斉藤茂吉の代表歌集です。この歌集に「狂人守」の一連があります。斎藤茂吉が精神科医としてかかわった患者たちを詠んだものです。この「狂人守」という言葉が差別であるというとんでもない事を論じているブログがありました。まるで「言葉狩り」のような論述には賛成できません。 . . . 本文を読む
斎藤茂吉の第12歌集「寒雲」。日中全面戦争が始まった年からの作品が収められていますが、戦争詠以外に叙景歌のすぐれたものや、連作の実験的なものがあり、見るべき作品が多くあります。まだ戦争一色ではなかったのです。いわば茂吉の作品のうち、戦中の良質な部分といえましょう。 . . . 本文を読む
「寒雲」は斎藤茂吉の第12歌集ですが、次男の北杜夫が高校時代いたく感動たと言います。そして、「大学進学にさしさわりがあるから、短歌作りはやめよ」と茂吉から言われるまで作歌を続けたそうです。あまり一般には知られていませんが、「『暁紅』における抒情的色調は・・・次第に安定の状態に到っている」と岩波文庫の解説にあるとおり、見るべきものがある歌集です。戦争詠がなければ、もっと評価が高かったでしょう。そこから春を詠った作品を選びました。・・・ . . . 本文を読む