自分なりにコツコツと続けてきました。
木を活かしたまちづくり。
その形をみんなで作り上げ、完成したと感じていました。
そのノウハウやシステムづくり、取り組みや手法。あらゆることをチャレンジしてました。
自分なりに納得して終了したとも。
でも、現実は違っていました。
まだまだ、不足していることに痛感したのです。
と言っても、残された時間はそんなにないことも知らされました。
何をどうすれば良いのか?
上手く書けませんが、今まで、行ってきたことの再構築を図りたいと思います。
1987年頃、ザンビアのキトウェで、最初の日本人柔道指導者である海野宏光先生のもとで柔道を習っていた頃です。他の生徒は、将来のザンビアチャンピオンのマイケル・カニエンバ、イギリス出身のメアリー、キプロス出身のバーバラとリアです。背が高くて痩せている白人の男は私です。
イタリアのトリノ工科大学発行の建築雑誌「ARCH ALP」に掲載されました。
このようにpdfでは、いただいていたわけですが。
実物を手に入れたと言うことです。
しかも、表紙です。
このようにpdfでは、いただいていたわけですが。
実物を手に入れたと言うことです。
弥良来杉の実力。
大工さんの本気が伝わる作品ですね。
10年は保証します。
安心、安全、安寧。
屋外専用木材。
史上最強の国産材「弥良来杉」
38年前ですが、
アフリカで楽しんだこと。
サッカーは、世界共通語。
実は、当時、サッカーのさの字も知らない男でした。
でも、サッカーボールを買って、近所の子どもたちに貸してあげる。
それは、それは。毎日、サッカーボールを貸してくれ!とやってく?。
サッカーボールオーナー!気分⁉️
大したことではないけど。
子どもたちには、とても大切なこと。
ある日、サッカーボールが、パンクした。すると、子どもたちは、自分達のお金で修理屋さんに頼んでいた。
手縫いのパキスタン製。白と黒の革の繋ぎ目から、草が刺さったみたいだ。
修理屋さんは自転車屋。パンクはお手のもの。
ただ、つなぎ合わせ目は、下手くそ。
でも、子どもたちは、元気にサッカーボールを追っていました。
先日、女子サッカーワールドカップにザンビアが出場していました。丁度、写真の子どもが、大人になって生まれた娘たちくらいの年齢でしょうか?なんて、想像力を働かせました。笑笑
今から37年前の写真。
先日、当時の調整員の稲見さんと同郷で同じキトウェに住んでいた遠矢さんが遊びに来てくれました。
昔話に花が咲き!
昔のアルバムをひっくり返して見つけた写真です。
サッカーには縁のない私ですが、ザンビアでは、子どもたちのサッカーボールのオーナーでした。
サッカーボールを首都ルサカで購入。
自宅に置いて子どもたちの遊びたいときに借りに来るという形でコミュニケ―ションをとりました。
写真は、私のサッカーボールと近所の子です。
横に見えるのは、指導していた学生の建築模型です。
整理するといろいろなモノが出てきます。
昭和60年頃、父から牧水公園の牧水庵を描けと言われた。下手な私の絵です。
当時、入札制度には、保証人制度があって、落札すると落札以外の指名業者に保証人にならないと受注できないシステムでした。
つまり、工事の途中で落札者が倒産しても保証人が工事を完遂させなければならない制度です。
今考えるとおかしな制度ですね。
この時、海野建設は、牧水庵を、受注していませんでした。
しかし、受注した建設会社は、倒産。
牧水庵は、コンクリート基礎だけで工事が止まってしまいました。
大変だったと思います。
先代は、上物を完成させ、落成させました。
当時の話を先代はしませんが、母は私にはしてくれました。いろいろな人の助けで乗り切れたと。
知っていても、この話は設計事務所の副所長さんくらいでしょうか?
この後の話もありますが、別の機会に。
先日、女子サッカーワールドカップにザンビアが出場していました。丁度、写真の子どもが、大人になって生まれた娘たちくらいの年齢でしょうか?なんて、想像力を働かせました。笑笑
今から37年前の写真。
先日、当時の調整員の稲見さんと同郷で同じキトウェに住んでいた遠矢さんが遊びに来てくれました。
昔話に花が咲き!
昔のアルバムをひっくり返して見つけた写真です。
サッカーには縁のない私ですが、ザンビアでは、子どもたちのサッカーボールのオーナーでした。
サッカーボールを首都ルサカで購入。
自宅に置いて子どもたちの遊びたいときに借りに来るという形でコミュニケ―ションをとりました。
写真は、私のサッカーボールと近所の子です。
横に見えるのは、指導していた学生の建築模型です。