どうでもいいです、の話

「どうでもいい」トピックスを載っけていたり、公記事の保守をしたしするページです。

保守記事.392-2 ジャスコであいましょう

2011-09-03 11:52:53 | 記事保守

野田流組閣の舞台裏、岡田氏はなぜ固辞したのか

 2日に発足した野田内閣は、閣僚人事でポスト調整に手間取るなど、多難なスタートとなった。「野田流」の組閣の舞台裏を検証した。(敬称略)

 組閣作業が難航した最大の要因は、野田首相が、最も信頼を寄せる岡田克也民主党前幹事長の意向を読み違えたことだった。

 「重要な役割をお願いするかもしれません」

 8月29日。代表選で当選した直後、野田は岡田にこう告げた。内閣の要である官房長官への就任を求めるつもりだった。

 岡田は「幹事長退任後は、しばらく休みたい」と公言していた。

 しかし、野田は、岡田が大きな期待を自分に寄せていることを自覚していた。その自分が心から説得すれば最後は受けてもらえる、と踏んでいた。

 野田はまず、岡田に近い安住淳前国会対策委員長を通じて意向を探った。1日午前には自ら電話で頼み込んだが、岡田は「僕ではまとまらない」と答えた。

 野田は諦めなかった。岡田が日ごろ信頼する藤井裕久元財務相にも説得を求めた。しかし、藤井が1日午前に電話すると、岡田は午後の早い時間にはもう、「やはりお断りします」と電話を返してきた。

 「あのムードでは無理だ」

 藤井が報告すると、野田は「残念です」と肩を落とした。

 なぜ、岡田はそこまでかたくなだったのか。

 最大の理由は、首相と肩を並べるような「大官房長官」はうまくいかないと岡田が考えていたことだ。

 過去には、菅首相に「実力長官」として迎えられた仙谷由人前官房副長官が結局、首相と反りが合わなくなり、わずか7か月で退任した。

 野田以上に経験豊富な自分が官房長官に就けば、野田の求心力にとってマイナスになる――。

 岡田は憂慮した。

 岡田側は財務相ポストの打診はなかったとしている。だが、野田周辺は「1日夕にお願いしたが、了解を得られなかった」と話す。

 岡田に近い議員の間には「増税を担当する財務相をやれば、また敵を増やす。来年秋の代表選を考えれば、絶対に受けてはダメだ」と、岡田の政治生命へのダメージを危惧する声があった。岡田が“体力温存”を優先させた、という見方も党内では消えない。
(2011年9月3日08時41分  読売新聞)

 

野田内閣:発足 「一体改革シフト」背後に岡田・仙谷氏 海江田氏「財務省内閣だ」

今回の閣僚人事で、野田佳彦首相の意思が鮮明に表れたのが安住淳財務相と古川元久経済財政担当相の起用だ。2人とも初入閣で行政手腕は未知数だが、後ろに民主党の岡田克也前幹事長と仙谷由人元官房長官が控える。「野田-岡田-仙谷ライン」がにらむのは消費税率を10年代半ばまでに10%に引き上げる税と社会保障の一体改革。抜てき人事は、その実現へ向けた「一体改革シフト」(内閣官房幹部)の意味を持つ。

 「せっかくのお話ですが、今回はお受けできません。1年間は休ませてください」

 岡田氏は1日、財務相就任を勧める藤井裕久元財務相に伝えた。藤井氏は財務相時代、野田首相を副財務相に重用、昨年9月には幹事長就任を固辞する岡田氏を説得した。野田、岡田両氏にとっては「師匠格」の長老だ。

 藤井氏は野田首相に託した消費税引き上げの道筋が途絶えるのを懸念し、人事構想を練る首相に「財務相を任せられるのは岡田君しかいない」と助言。賛同した首相は、藤井氏への固辞電話の後もギリギリまで就任要請を試みた。

 それでも岡田氏は首を縦に振らなかった。幹事長として小沢一郎元代表の処分を主導したことで小沢グループの反感を買ったことを重視し、すでに党側との調整窓口となる官房長官の打診も固辞していた。周辺は「岡田氏が財務相をやったら党内が反発してまとめられない」と説明する。

 そこで白羽の矢が立ったのが、国対委員長として岡田氏を支えた安住氏。予期せぬ大役に戸惑いを隠さず、昼食の席で記者団に「口を慎んで頑張ります。味の感覚がない」と神妙に語った。古川氏は仙谷氏の側近で、税と社会保障一体改革を藤井、仙谷両氏と連携してまとめた。仙谷氏は首相に「今回は自分より古川君を優先してほしい」と伝えていた。

 「影の財務相が岡田さん、影の経済財政担当相が仙谷さん」(民主党中堅議員)という指摘が出ている。

 挙党態勢を狙った閣僚・党役員人事には歓迎ムードも広がっている。だが、そうした中で閣外に去った海江田万里前経済産業相は周辺に不満を漏らした。「『財務省内閣』ですよ。私は増税反対と言ったから入閣はないと思っていました」

毎日新聞 2011年9月3日 東京朝刊

保守記事.392 総理!総理!