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保守記事.393-2 長く続いた大雨

2011-09-07 12:30:47 | 記事保守

和歌山・奈良の1300世帯、なお孤立 台風12号

2011年9月6日23時57分

 台風12号の被害が大きかった和歌山と奈良の両県では6日、外部との行き来ができず孤立した地域が計31地区、約1300世帯に上った。電気や水道、電話などのライフラインのまひが続き、住民は不自由な生活を強いられている。

 和歌山県の同日午後6時半現在のまとめでは、孤立しているのは、新宮市で14地区(508世帯約870人)▽田辺市で4地区(634世帯1308人)▽ 那智勝浦町で1地区(62世帯121人)。奈良県では、十津川村の9地区(102世帯)と五條市の3地区(40世帯60人)。

 人口約4千人の十津川村は、五條市などと結ぶ国道168号をはじめ村外と結ぶ主要道路が寸断され、村全体が孤立した状態が続いている。村は防災無線で県に支援物資を要請し、陸上自衛隊がヘリで食料や生活物資を届けるなどの救援活動を進めている。

 和歌山県新宮市も、市中心部と被害が大きい山間部を結ぶ国道168号が数カ所で通れない状態。水や食料などの救援物資はヘリコプターで調達せざるを得ない地域も多い。自衛隊や自治体は道路の復旧に全力を挙げている。


十津川村に台風の爪痕、川より30m高い家水没

 台風12号による豪雨で、土砂崩れなどにより陸路が閉ざされ、全域が孤立状態の奈良県十津川村に6日、陸上自衛隊の輸送用ヘリコプターに同乗し、入った。

 村内には猛烈な雨を降らせた台風の爪痕が深く残っていた。

 同村では3人が死亡、今も9人が行方不明で、約4000人が取り残されている。ヘリは村内の臨時ヘリポートに到着した。

 国道168号に沿って流れる熊野川は茶色く濁り、大量の流木で水面が見えず、崩れた土砂で川幅が半分近くまで狭まっている場所も。

 国道沿いのガソリンスタンドでは、店員が「1人1000円まで」と申し訳なさそうに言い、飲料水の自動販売機はすべて品切れ。食料品店には水やお茶がわずかに残るだけで食べ物はなかった。

 午後3時半頃、同村長(なが)殿(との)に着いた。土砂崩れで熊野川の流れがせき止められ、一時は水位が約30メートル上がって水力発電所と住宅が水没。住宅にいた1人が死亡、2人が行方不明になっている。

 現場では、同県五條市から徒歩で入った自衛隊や県警の救助隊が地元の消防団員とともにがれきや土砂をかき分けながら、不明者を捜索していた。

 地元消防団分団長の市原光留(みつる)さん(60)は道路に座り込み、タオルで汗を拭きながら、泥だらけの写真を大切そうに持っていた。写っていたのは、母の竹尾(たけお)さん(90)と知人の森段造さん(82)、勝子さん(79)夫妻。

 市原さんは雨が強くなった3日午前、同じ集落にある自宅近くで土砂が流れ始めたため、2人暮らしだった高齢の竹尾さんを高台にある森さん宅に預けた。

 帰宅直前、自宅が土砂に埋まるのを見て、近くの公民館に避難して一夜を過ごし、4日朝、様子を見に来た親族から森さん宅が流されていることを聞かされた。

 自衛隊などが到着したのは5日朝。森さんは遺体が見つかったが、勝子さんと竹尾さんは不明のまま。6日、現場を訪れた市原さんが「もうあきらめよ う」と思いかけた時、自衛隊員から「ご家族ではないですか」と、がれきの中に埋もれていた写真を手渡された。「森さん宅は川より約30メートルも高い場所 にあるのに、まさか、ここまで水があふれ出すとは。テレビで見た東日本大震災の津波の被災地と同じだ。家を失い、母も見つからないが、大切な思い出は残っ た」と気丈に話した。(大阪社会部・池尻太一、奈良支局・守川雄一郎)

(2011年9月7日07時13分  読売新聞)

「息子よ生きろ」流れ込む土砂、窓から小6長男逃がし母は不明

2011.9.6 12:38  
約30メートル流された山本頼路さん宅を捜索する消防隊員ら=和歌山県田辺市伏菟野(沢野貴信撮影)

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約30メートル流された山本頼路さん宅を捜索する消防隊員ら=和歌山県田辺市伏菟野(沢野貴信撮影)

 台風12号による土砂災害で、土砂崩れで住宅5棟が倒壊し、1人が死亡、4人が行方不明と なった和歌山県田辺市伏菟野地区では、6日も自衛隊などが捜索を続けた。不明者の1人、山本郁代さん(38)は、行方が分からなくなる寸前、土砂で埋もれ そうになる自宅で、身を挺して長男(11)を窓から逃がしたという。夫の農業、頼路(よりみち)さん(42)は「生きていてほしい。でも息子を助けてくれ た妻のためにも、下を向いていられない」と思いをかみしめる。

「必死に奥へ」

  頼路さんは土砂崩れが起きた4日未明、メキメキと家がきしむ音で目を覚ました。すぐに近くで寝ていた高校1年の長女(15)を起こし、玄関に向かって逃げ たが、ドアを開けると土砂が流れ込んできた。「いろんな方向から流れ込んできて、隙間を縫うように、必死に奥へ逃げた」。土砂の量が多く、最後は2人とも 天井に突き上げられたが、頼路さんが素手で屋根を壊して長女と一緒に脱出した。

 しかし、避難所に行くと小学6年の長男の姿しかない。郁代さんに窓から逃がしてもらった長男は「お母さんは逃げ遅れた」と泣きながら話した。

 台風が接近した3日夜、頼路さんは就寝前の家族全員に懐中電灯を持たせた。郁代さんには「もしものことがあったらすぐ動けるように、寝ないでほしい」と伝えていた。

 4日昼、母の正江さん(69)の遺体が発見されたが、郁代さんは土砂崩れが起きて2日以上たった今も行方不明のままだ。

 

自宅30メートル東へ

 頼路さんは5日、捜索活動が行われている自宅を被災後初めて訪れた。自宅は元の場所から約30メートルも東に流されていた。

 「怖いし、思い出したくないから、なかなか家まで近づけなかった」と頼路さん。それでも「妻は伝えたことを実行して、息子を守ってくれた。子供たちも生きている。妻のためにも、いつまでもめそめそしていられないね」と話した。

 

保守記事.393 長く続く大雨