観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

負ける戦争は止めるのが国益

2011-02-27 09:12:36 | 政治システム・理論
参議院問題に関しては、そもそも終始一貫、野党の暴れに反対しているのだが、それは何故か?それは参議院の暴走を許す政治文化が定着すれば定着するほど、国益を損ねるのが明白だからだ。6年任期3年ごと半数改選の参議院の結論に従わなければ、政府与党は政権運営できないなんてシステムが上手く機能するはずがないのだ。そして実際に上手くいっている様子は微塵もない。自分が間違っていたら良かったのだが。

負ける戦争は止めるのが国益を考えた行動だと思う。例え、大きな流れに逆らうとしても、何もやらないというわけにはいかない。日本は敗戦必至の対米戦争に突入するのを止められなかったし、それだけでなく、敗戦が明白になっても中々止められなかった。それは国民の強い意志の表れではあるが、自身でコントロールできないのでは意味が無い

参議院問題も同じで、参議院の暴走を許してその先に何があるのか。少なくとも自分は傾聴に値する意見を聞いたことがない。残念ながら自分たちの都合以外考えられなくなり、しかも後に退けなくなっているというだけのことで、何か良いアイディアはあるが黙っているのではないのだと思う。流れは止まらないかもしれないが、結局のところ、参議院をそのままにしておくわけにはいかないのであり、参議院の問題を訴え続けることそのものが国益にかなうことは明白であるだろう。

改めて問いたい。強すぎる参議院に屈して言いなりになるのが、政府運営のあるべき姿なのか?言いなりになるとしても、参議院が意志統一できなかったら、どうなるのか(今、野党は足を引っ張ることに専念して、強い権力を持ちながら、国益を考えず、肝心の事を黙ったままでいないだろうか)?参議院選を事実上の政権選択選挙にするならば、始めから、政権選択選挙とする共通認識がなければ、国民に対する裏切りになるのではないか?

参議院選挙は実際問題、政権選択選挙として行なわれないのである。衆議院選挙が政権選択選挙であることは明らかだ。後になって(衆議院選挙と違って必ず後になる。それが政権選択選挙との合意がない上、それをやらせる手段がないからだ。)、参議院選の結果に従い、衆議院選をやり直す(しかもねじれを解消することが目的なら結論は決まっている)のは、政権選択選挙として行なわれなかった参議院選がある種の嘘だったということに他ならない。しかも、その嘘で仮に合意して速やかに参議院の結論に従うとしても(政権が簡単に合意するとは思えないが)、6年任期解散なし3年半数改選の参議院選が来るたびに政権交代を意識しなければならないと考えると、衆議院選も含め、選挙ばかりで落ち着いて仕事ができなくなることは、当然の理であるだろう。職を失う危険を省みない人間というのは、そうそういるものではない。だから、実際今政治家が選挙ばかりで政策を考えなくなっているのではないか?その先にはいい事は何もないのだ。

更に言えば、反政府勢力(野党)に強い権力を与えるのが保守のやり方なのかという疑問がある。そういう場合があるとしても、それをいつも必死で考えているのはリベラルだろう。参議院の結論に従うべしなんて考えは、反政府勢力(野党)に力を与えるという意味で、リベラルの考え方だと思う。ねじれていない時でも、政府与党が与党参議院団に配慮すべしというのも同じくリベラルっぽい。何も常にリベラルが間違っているとまでは言わないが。

結局のところ、大きな流れに逆らうのはキツイものだ。それでもなお、必要と思えばやらなければならない。そうした精神も大切なことではないだろうか。

政権交代可能なシステムは理解している

2011-02-27 00:42:02 | 政治システム・理論
原点に戻って、自分の立場を再確認しておくと、2009年政権交代には反対したが、政権交代可能なシステムという概念は理解するという考えで、何度もそれに関しては書いた覚えがある。麻生政権存続の方が、政権交代のメリットを考えても、ここで民主党政権に代わるよりもいいだろうと思ったのだ。

それはさておき、何故筆者が菅政権を支持しない(尖閣の対応は最悪だったと思う)にも関わらず、参議院絡みで菅政権を助けるようなことを書くのか。勿論、ひとつには参議院に関して持論があるということが大きい。参議院の権力が強すぎることが、日本政治を悪くしていると考えているのだ。事実、これまで自分は常に一貫して参議院が衆議院に優越するかのような言論に反対の立場をとってきた。根本的な解決策は難しいところなのだが憲法改正で、衆参で3分の2を支配して、参議院の立場を変えることに参議院の同意を得なければならない。それが簡単ではないから、とりあえず野党が因縁をつけて政府を解散に追い込むという手法を批判することが重要になってくる。追い込むといったところで、解散の権限は首相にあるのだから、野党が頑張れば頑張るほどマイナスになるのは目に見えている。ゆえに現行の政治文化を否定していくという結論に辿りついたということだ。参議院に関わる政治文化を否定する考えである以上、現行の政治文化を前提とした、ねじれがおきると不味いという考えをも、あまり考慮しなくていいということで、自分としては矛盾はない。

大分回り道をしたが、本題に入る。菅政権に批判的なところは今でも変らないから、積極的に支持することは考えられないし、何時も通り、持論と違うところは普通に批判するつもりなのだが、少し政権運営に関して意見を言ってもいいかもしれないと最近は思っている(メモには既にその種のことを書いている)(どれほど役に立つかは知らないが)。理由はそもそも政権交代可能なシステムに反対していないからだ。政権運営が下手(としか思えない)な民主党がしっかりしないと、政権交代可能という状態にはならないし、仮に民主党が上手くいかなくても、自民党に対する対抗馬はあっていいと思っている。やはり政権運営のノウハウみたいなものはある程度共通認識があっていいのではないか。憲法改正で多数派形成も視野に入れた意見にしていきたいというのもあるし、ねじれ状態をどう乗り切るかということを(引き続き)真面目に検討していきたいというのもある。

結局のところ、保守で国益を主張したいのだと思う。自分の考えからにはなるが、国益と思ったことは主張し、ならないと思ったら反対しているに過ぎない。