今日もネタがないため、今日は何の日で検索すると「歌舞伎の日」とのこと。
1607年(慶長12年)のこの日、出雲阿国(いずもの おくに)が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて「かぶき踊り」を披露したようです。
香川県琴平町には日本最古の歌舞伎小屋である金丸座があります。
コロナから3年ほど琴平歌舞伎が中止となっており、今年も開催されません。
残念ですね。
このような場所で何かが出来れば面白いと前々から考えてます。
今日も前向きに行きましょう!
今日のキワニスクラブ例会の講演会は、三本松高校の校長先生で同校が食堂プロジェクトなどを通して主体性の生徒を育てる取組についての講演でした。
最初に驚いたのが、生徒数の減少により学校の食堂が委託していた民間事業者が維持できなくなってきたため閉鎖している学校もあるそうで、生徒数が半分に減った同校も存続の危機だった時に今の校長先生が赴任された時から始まりました。
学校は夏休みなど休日も多く、昼食時間も限られているため元々儲かる商売ではない上に生徒数の減少で危機的状況時に民間事業者から地元の農業生産者に引き継ぎ生徒が活動できる学びの場として存続できるようにしました。
生徒は、新メニューを調理室で考案し、校長先生や食堂のおばちゃんに試食していただき合格であればメニューになったり、そのメニュー表示を手作りしたり、校庭の片隅で野菜をつくりそれを活用したり、学校内の食堂を開放し登録しているお年寄りに来ていただき一緒に食事をしたりとかすごい取組です。
このような現状を生徒が理解して自分たちがまさに主体性を持って取組む活動は、今後の人生においてきっと役立つと思いますし校長先生は学校内から地域へと盛り上がる場を広げていきたいと語ってました。
学校の校長先生は、2~3年で異動しますので今の取組を是非引継いで続けていただきたいと思います。
このような取組がさらに盛り上がり全国区になってくると、全国の子供たちが三本松高校に入りたいということになってきます!
当方は、10年ほど前に小学校のPTA会長をさせていただいた時があり、先生方の忙しさはそばで見て知ってます。
当社も、何らかの形で地域貢献しながらそれが商売になればと思っております。
今日も前向きに行きましょう!
新聞に食事の時間の都道府県ランキングが載ってました。
総務省の社会生活基本調査によると、平日食事に使った時間は全国平均1日96分でした。
1日3食とすると1回あたり30分強です。
一番長いのは、長野県で103分でこれは、野菜の摂取量が多くよく噛まなければならないのと、3世代同居も多く食事で話す時間が長いのではないかという事でした。
一番短いのは、山口県、香川県、沖縄県で91分です。
うどん県である香川県の昼食はほぼうどんを食べる方が多く、セルフサービス店では料理の提供時間も短く食べるのも早いためこの順位は納得でしょう。
コロナから全国的に食事の時間が短くなってきており、個食や黙食の影響もあるのでしょう。
しかし、懇親会等で酒類を飲みながらの食事はかなり長くなり、そのランキングをするとどの都道府県が一番大酒飲みなのか、酔っ払いとなかなか帰らないなどわかるので面白いのではないかと思います。
コロナで酒類を提供する飲食店は大打撃を受けましたので、これを調査して大いに盛り上げる方が良いのではないかと思った次第です。
今日も前向きに行きましょう!
新聞に聴けなくてもレコード購入という面白い記事がありました。
レコードやカセットテープは、若者に受けている事は何年も前から言われてました。
その記事では、レコード売上げの勢いが止まらず、最大市場のアメリカではレコード売上高が10億ドル(約1300億円)を超えたとのこと。
全米のレコード売上のピークは78年の27億ドルですから半分までいかないものの、レコードの関心が非常に高まっているのでしょう。
ここ数年でCDの売上を抜いたのですから凄いですね!
新たな買い手は、スマホなどで音楽を聴いている10代から20代の若者だそうです。
今やスマホの画面をタッチするだけで音楽が流れますが、所有している感覚がない事から、だからこそ形のあるものが音楽を奏でる希少な体験を求めてレコードを買うそうです。
ある若者は、一日の疲れをレコードに針を落として音楽を聴きながら至福のひと時を満喫していたり、レコードプレーヤーが無いし普段はスマホで音楽を楽しむが、好きな音楽はレコードを買って形として持つのが良いようです。
56歳の私の場合、40年近く前はレコードが主流でたまにレコードを買って楽しんでましたが、少ない小遣いから何枚もレコードが買えないため友人のレコードを借りてカセットテープにダビングしたりそれが出来る専用の店もありました。
このころから、大きなオーディオが次第にコンパクトになって、ラジカセが流行りダブルカセットデッキなどありました。
次第にCDが普及しだし、20代の頃はCDを買って楽しみ、自動車にはCDチェンジャーというCDが何枚も収納できそれが全て楽しめるというものもありました。
時代は繰り返すと言いますが、それも一連の現象でしょうか?
オーディオマニアから言わせると、CDなどデジタルの音は滑らかなアナログの波形をカットしてますし人間には聞こえない高音などもカットしています。
レコードは、アナログの滑らかな波形をそのまま刻んでますのでレコードの方が音が良いそうです。
レコードの他にも、日本では昭和の自動車が人気で1000万円を超す中古車も存在しています。
この昭和の自動車もエンジン音、振動、排気ガスの匂いなど洗練されすぎた今の自動車にない味わいを求めている方もいるようです。
ちなみに当方の車もレトロまでいかないものの、平成12年(2000年)式です。
同じ車を2代目として乗ってますし、社業から引退するまで乗り続けようと思ってます!
今日も前向きに行きましょう!
今日は某銀行の担当者が代わりましたと挨拶に来られました。
何と24歳!
若いですね!
当方が24の時は、作業服を着て今の時期であれば年度末工事やタクシー無線の取付など当時の会社の先輩とやってました。
あれから30年!
白髪も増え、50代の免許更新の写真では耳の上が白く老けて写っているし、すぐ酔っぱらうし二日酔いになるし、初老まっしぐら!
作業服も着ることなく、頭の中をクルクル回しながら考える日々。
24の頃は、通信のインフラ整備を行っていた時代で、マイクロ無線やそれに付随する機器の設置工事などインフラ整備の一役を担えたと思うと、年度末に一番寒い時期に山頂の中継所など一番寒い場所でしもやけになりながらも完成すると嬉しいし非常にやりがいがありました。
しかしながら、今日も語りましたが10年来の夢が叶うようになってきました。
この話は、会う機会のある方には伝えようと思います。
いつまで経っても年齢関係なく面白い仕事がしたいですね!
今日も前向きに行きましょう!
金毘羅さんで有名な香川県琴平町で、讃岐うどん店の発祥地であることをPRする団体設立を発表しました。
今や全国的に有名な讃岐うどんは、香川県内に500を超える店があり、人口当たりの店舗数は堂々の全国1位です。
そんなうどん県の琴平町が讃岐うどん発祥地であるとPRを始めました。
根拠は、金刀比羅宮が所蔵する1703年頃に作られた屏風の絵に、参拝者でにぎわう琴平のまちが描かれていて、うどんを作る店が数件確認できるとのことで、新たな文献が見つかるまでは琴平町が発祥地だとのこと。
琴平町長は、琴平町はうどん屋は21軒、信号機は18カ所なので信号機より多いとPRされていました。
歯医者がコンビニより多いと言われてますが、香川県琴平町は信号機よりうどん屋が多いのは讃岐うどんが盛り上がる面白いネタですね!
讃岐うどんが有名になる一昔前は、四国外からのお客様に対し、いくら讃岐うどんがおいしいからと言って、ただのかけうどんやざるうどんではだめで、せめて天ぷらうどんを勧めなさいと言われたことがありました。
有名になってからは、かけやざるうどんでも喜んでいただけます。
今日も前向きに行きましょう!
コロナの規制的なものが次第に緩くなってきており、金融機関の新春講演会が3年ぶりに先日開催されました。
講演いただいたのは、元アイドル歌手の菊池桃子さんです。
当方は特に50代になってから急激に白髪が増えおっさんそのものですが、菊池桃子さんは同世代にもかかわらず相変わらずの美人です。
その講演は、SDGsの視点を人生に取り入れてで環境がらみの何かだと思っていたら全く違う内容でした。
本人の子育てを通して経験した事などから大学院で学び母校の戸板女子短大で客員教授としてご活躍されています。
SDGsは環境だけではなく、他のどの部分に関心があり身の回りで起りえる社会問題などに目を向けてほしいとのことでした。
金融機関の講演会でしたから、経営者がほとんどで、ほぼおっさんばかりでしたから往年のアイドルである菊池桃子さんには関心があったと思いますが内容的には、30代、40代の子育て世代の特にお母さんに刺さる内容だったのではないかと思いました。
講演の最後には、成人式から帰ってきた娘さんが彼を初めて連れてきて、その彼と挨拶した際に「アニメ声受ける!」と言われ菊池桃子さんを知らなかったそうです。
彼の親がビックリするでしょうね!
今日も前向きに行きましょう!
旧香川県立体育館の解体が決まりました。
1964年、世界的に有名な丹下健三氏が設計し船の形のようでかなり目立つ体育館であり代表作の一つです。
2013年に耐震化の入札を3度行ったが全て不調に終わり2014年に老朽化のため閉館しています。
民間事業者にも募集を募ったが耐震化がネックとなり有効策が見つからなかったとのこと。
何とか残してほしいと署名運動等も行ったそうですが、体育館前の道路が災害時の緊急輸送路に指定されているため、震災などで倒壊し道路を塞ぐ恐れもあるため香川県は断腸の思いで解体することになったそうです。
個人的には、高松工芸バレー部時代に県大会等を行った公式戦の体育館で何度も通いました。
日本女子代表とペルーとの試合では、お手伝いでモップ拭きをやったこともあります。
この試合を間近で見ながら、高校男子や俺の方がアタック力など上だと変な自信を持ったこともありました。
当時このような高校の公式戦があったときは、ポカリスエットなどスポーツドリンクがテントを張って試飲品を無料で配ってましたし当時はペットボトルもなかったので、樹脂容器にポカリスエットなど粉末を水で溶かしたドリンクをストローをさして良く飲んでました。
屋根が船の形のため、中央が低くアタックのレシーブをしたら天井に当たったりしたこともあったのではないかと思います。
今はおっさんですが、青春の汗と涙の1ページの体育館が無くなるのは非常に残念ですが仕方ないのかなと思います。
香川には他にもあり、1958年にこれも丹下健三氏が設計した香川県庁も有名な建築物で今では東館だけ残っています。
何年か前の日記に書きましたが、香川県内には美術館も多く、瀬戸内国際芸術祭も3年に一度開催されており、このような体育館は永遠のシンボル的な場所だったのではないかと思ってしまいます。
建物はいつかは壊れるので、時代が流れているし俺も年とったなって思った次第です。
今日も前向きに行きましょう!