目に見えない放射能の脅威、それが目に見える形となって、
行き着く先を待ちながら積み上げられている仮置き場の光景は異常です。
「復興」「避難指示解除」そんな言葉を大きく伝える報道、
でも、この現実はどれだけ伝わっているのでしょうか?
旅の2日目は南相馬市から国道6号を南下します、ここは南相馬道の駅。
「帰還困難区域」この文字の看板が目立ち始めます。
この町にも黒い廃棄物の山が続きます。
7月29~31日に繰り広げられる夏の風物詩「相馬野馬追」、
震災後主要行事は実施されてきましたが「騎馬武者行列」は中止でした。
今夏は7年ぶりに小高区での「宵乗行列」「帰り馬行列」が再開されるようです。
少しづつ震災前の状況に近づこうと頑張る福島です。
一部規制されていた国道6号は2014年9月から自由通行となりましたが、
帰還困難区域内の区間ではオートバイや自転車、歩行者の通行は認められず、
車を途中で停車して外に出ることはできません。
ダッシュ村で放映されていた浪江町
あの美しい里山はどうなっているのでしょうか?
国道沿いの大きな建物、駐車場は工事に関わる現場事務所だけが人の気配、
交差する道路や建物は侵入を防ぐフェンスの乱立、その奥は時間の止まった町。
いたるところでフェンスの前に検問の警察官が立つ双葉町、
こんな息苦しい光景を見ながら車は事故現場福島第一原子力発電所に近づいていきます。
何年も放置すれば袋も耐久性から見放されてしまうんでしょうね。
目に見えない脅威
外見だけは震災前のままの住宅
自宅があっても帰れない
被災された方々
やり場のない悲しみと怒りなんでしょうね。
当時、カナダ在住していた息子たち
赤十字を通じ義援金を日本へ送ってくれていました。
今だ解決されない問題が積み上げられているんですね。
あえて写真を載せています。
眼をそむけてはいけないですよね。
ここに私の家があったら・・・、
ある日私の町がこんなことになったら・・・、
想像ですら怖くて、思考が止まってしまいます。
この現実があるのに、原発は止まらない。