18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

日本沈没

2006-07-22 22:40:24 | 映画
草なぎ剛、柴咲コウ主演の映画日本沈没、2時間ちょっとの時間では映画としてはこれ以上、詰め込むのは難しかったのだろうなぁという出来になっていた。

 地震や火山噴火の科学的なメカニズム解説は足早だった割りには分かりやすかった反面、日本人の海外移住計画の辺りは大幅にカット、前作の日本沈没を知らない人から見ればちょっと唐突なのかもしれない。また柴咲コウと草なぎ剛の間の心の揺れも、本当はきっと、もっと時間をかけたかった筈だろうけども、ぎりぎり限界のところまでカットしているように思えた。

 全体としては、面白い部類に入るから、勝手な採点で、100点満点で78点ぐらい。でも、これはテレビドラマでやった方がきっと良かっただろうなぁと正直思った。2時間ちょっとじゃ無理がありすぎる。せっかくの作品も映画配給会社などの思惑もあってカットしなければならなくなるのは、映画に対してかわいそうである。あと30分~40分長いともっと良かっただろうと思う。草なぎ君も、及川くんも、柴咲コウも好きな俳優だし、なかなか落ち着いた演技ですごくよかったのに残念。

 この映画の冒頭のシーンは、まさに阪神淡路大震災が発生した後のヘリコプターからの空撮映像にすごく似ていた。街の建物の倒壊シーンなどは当時の神戸市内のような感じだった。経験者にはかなりリアルに感じられた。

 この映画は、単に自然災害を描くことで、パニックだとか、自然を守ろうなどというような青臭いことをテーマにしたわけではない。日本列島が沈没することで、日本人が国を失うという事に対して日本人はいったいどんなメンタリティーを持つのだろうか?ということを問うているようにおもう。

 そこから考えられるあらゆる事が、それぞれの登場人物の背景を通じて伝えようとした作品だ。

 新潟の地震、大島の噴火、阪神淡路大震災などそれぞれの災害の被災者達はきっと、それだけのメッセージをこの映画から読み取ることが出来るのではないかと思う。

 TBSがやってるんだから、きっとテレビドラマにするな、これは。いや是非そうしてほしい。



▲映画を観る前に知識として頭にいれておこう(1)出所忘れました(^^ゞ



▲映画を観る前に知識として頭にいれておこう(2)新潟県糸魚川市のHP、フォッサマグナミュージアムのサイトより(2枚とも)


▲2006/5/30-2006/6/29までの日本列島で発生した地震のマップ 高感度地震観測網のサイトより


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進路

2006-07-19 00:11:26 | 
 学歴につづいて進路について。

 日本の中にいると、どうしても周囲のテンポに流されて、自分の進路について真剣に考えることが遅くなる。え?「うちの子は、もう進学校に行って京大とか東大を狙うと決めています」って?

 いや、そういう進路ではなくて。人生の進路のこと。

 なぜかあまりにすべての人たちが近視眼的でかなわないのだけども、殆どの人がどうしても近場の何年かのことで進路を語りすぎである。そんなことだから”なぜ勉強しなければならないのか”という質問に答えられないのだ。

 欧米では、世の中の仕組みをきちんと理解させる授業が盛んだという。世の中の仕組み、つまり平たく言えば経済だ。

 銀行の役割、麦やトウモロコシを作る人、牛や羊を飼う人、海で魚を捕る人、そしてその為の機械を作る人、機械を動かす油を掘る人、家を造る人、車を売る人、テレビ番組を放送する人・・・

 世の中の仕組みが分かることで、いままで全く知らなかった、商売の仕組みや、なぜお父さんやお母さんが働きに行って、お金がもらえているのか、そしてもっとお金をもらうようになるためにはどうすればいいのかなどに対する理解が深まる。

 そういう事から、子供達に職業感や仕事に就くことの大切さ、自分はどんな仕事につくのがもっとも成功するのかを考えさせることで、学習の必要性を理解するのだそうだ。

 結婚してシアトルに住んでいる昔からの友達も、40代半ばだが、アカウンティングのコースと取って勉強しながら仕事をやっている。いまはコースは中断中だそうだが、勉強や講習の位置づけが極めて明確だ。

 翻って、子供の進路を考えてみよう。子供にいきなり、あなたは将来何をやりたいの?と聞いて答えさせるのは、無茶というもの。それで答えたものが必ずしも本当にやりたいことなのかどうかなどわかりはしない。

 そんな話をする前に、世の中がどんな仕組みで成り立っているのかを、少しずつ話したり、見学させたり、体験させたりしながら、理解させて、こどもが目を輝かせて、”将来はこんな職業に就きたい”と言えるようにするのが先決だ。

 例えば、銀行業に興味をもった子供がいたら、お金のことを仕事にしたいのなら、こういう勉強をするのがいいんだよ。ときちんと説明して、学業の大切さを理解させればいい。

 ワタミフードサービスの社長として有名な、渡辺美樹氏は、1つ1つの目標を明確にして、期限を決めて、それまでにやらなければならないことを挙げてゆきながら、目標に向かうことを進めている。

 彼のことを特殊というのは簡単だ。確かに、佐川急便でのセールスドライバーとしての働きっぷりは、大変なものがある。よくまあ居眠り運転しなかったものだと感心してしまう。でも、自ら決めた目標に向けての目の前の階段を上っているにすぎないから、彼はそれをなんなくこなしてしまった。

 やりたいこと、達成したいこと、獲たいことという目標とそれに対するプロセスのバリエーション。 

 進路というのは、こういうものだとは言えまいか?

 もういちど、「将来何になりたいの?どんな仕事がしたいの?」と問う前に、まずは世の中の仕組みの話をおもしろおかしくして、関心を持たせよう。それから、そんな世界の中を生きてゆく為にどんな仕事につきたい、どんな仕事に関心がありそうなのかを聞いてみる。そして親子でできれば目標を共有して進めばいい。

 けっして、親が誘導してはいけない。「いい会社に入るとお給料が高くて良いよ」というのは子供に取っては全く余計なお世話だ。



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愛情

2006-07-17 12:17:17 | 
 秋田男児殺害の容疑者である畠山鈴香(2006年7月17日現在)。娘である彩香ちゃんに対して「愛情はなかった」という。ところで愛情とはなんだ?

 ”母性本能”というものが子供を産み、育てる事に対する理屈を超えた存在であると思っているのだが、どうもこの”母性本能”が最近では何者かに押しつぶされているのではないかと思う。

 人は、基本的に”自己愛”が存在するが、これが屈折すると、”自己嫌悪”になる。”こうありたい”という希望や願望と、その時の自分自身の差を埋めようとする気持ちがあり、人はいろいろな努力をするのだが、それがなかなか成果に結びつかない時や、到底無茶なこととあきらめてしまうときに、人は”自己嫌悪”を感じるものらしい。

 そういう意味では、”自己嫌悪”できるひとは、理想を追い求める、本来的には前向きなタイプといえる。

 しかし、この自己嫌悪も、今の社会ではもっともっと複雑な絡み合い、コンプレックスによって生まれる。隣の家よりも狭いだとか、子供が成績が悪いとか、乗っている車が古いだとか、あるいは、旦那が全然出世しないとか、妻が年々太っていくとか・・・そういう外的なことでさえ、自己嫌悪につながり、”リセット”したくなる。

 奈良の中学生による放火事件も、明らかに”リセット”文化が産んだ事件だ。そんなことしても、リセットできないんだよ、という事や、リセットして何をやりたかったのか?と言うことを問うてみたい。

 さて、この畠山鈴香容疑者だが、娘への愛情が無いという前に、自分自身への愛情も無かったのではないだろうか?理想としたものと現実の自分との間で生まれた”自己嫌悪”。どこかで自分の人生に絶望していたのかもしれない。しかし人は”自己愛”だけは消えない。結果として”リセット”したとは言えないか。

 この日記で常に書いていることだが、”こうあらねばならない”というのが何しろ蔓延しすぎである。”標準値”でないとあたかも幸せになれないかのような風潮には疑問を感じる。

 あれが欲しい、これが欲しいと思いがちになるのは仕方がない事だし悪いことではない。だからといって、モノがなければ不幸、持っていなければ不幸というのはおかしい。

 ”標準”でないことに悲観しすぎること、”あるがままの自分”を認めてもらえないことから来る自己嫌悪とリセット。

 最近の児童虐待や、家庭内で起こっているおかしな事件はここに問題があるのではないだろうか?

 愛情の定義はそれこそ複雑だろうが、まずは、きちんと”自分自身を自分自身で認める”という愛情の第一歩目を踏み出すことから初めてはどうだろうか?そうでなければ、いくら母性本能があっても、愛情を持って子供を育て続けることはできない。


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パロマ湯沸かし器事故

2006-07-16 16:01:55 | 風景
 ガスの不完全燃焼による一酸化炭素中毒事故。30年ぐらいまえは良く耳にしたようにおもうが、安全装置が防いでいていまではもう大丈夫だと思っていた。

 この手の事件では、まずメーカーの姿勢が問われるし、マスコミもそこを集中的に攻撃する。確かにパロマ社の姿勢や対応はちょっと疑問である。また、先般話題になったトヨタのロッド切断事故も同じである。

 本来ならば事件や事故が発生する前に、”可能性”の段階でリコールなり、徹底周知し調査する責任がメーカーにはある。

 パロマ社の姿勢は、だれが売ったのかわかりません。売ったあと改造されたから自分たちの責任ではありませんと言ってるように聞こえる。これは言い過ぎか?

 市販薬では、”かかりつけのお医者さんに相談し、用法、容量を守り・・・”とすべてのテレビコマーシャルや製品パッケージに記されているとおり、あきらかに誤用は危険だし、またいままでお医者さんの処方箋がないと出せなかった成分をもつ薬も”規制緩和”で市販薬として出せるようになったこともあって、厚生労働省と製薬メーカーが合意したのだろう。ここまでしっかりとしていても、問題が出たときに、製薬メーカーのメーカーたる責任は追及されてしかるべきなのは間違いない。

 松下電器のファンヒーターの事件も、対応についてはメーカーとして”できるかぎりのこと”をした部類に入るのであって、メーカーの本来の対応からすればやはり失格である。

 毎日のように使う家電製品やガス機器などで事故はあってはならない。メーカーも自社の製品が直接間接含めて関係して人が死んでしまう。特にユーザーが死んでしまうようなことがあって気持ちの良いはずがない。

 どんな無茶なことをしても、発火しない。何十万回使っても安全装置が働くというものを作るのはコストもかかることだし、実現には大変な研究開発が必要だろうが、でもメーカーはそれを追求すべきだ。

 シンドラー社のエレベータ事故にせよ、松下電器のファンヒーターの事件、トヨタハイラックスのロッド切断、そしてパロマの事故。すべて”安全”という言葉が軽く使われている典型的な例である。また保全体制とメーカーとの連携、事故報告を拾う組織と管理する組織、そして製造者との連動などが脆弱すぎるのは許せない。

 作ってあとは知らない、という姿勢が見え隠れする”大手メーカー”の横暴とも言える姿勢。業界を代表する立場として、業界の信頼を守るのも崩すのも自分たちにかかっているということにも目を向けてしかるべき対処をすべきである。

 信頼はお金では買えない。


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ETCと日銀総裁

2006-07-14 22:53:29 | 風景
ETCといっても別に、エトセトラではありません。しばらくは普及しなかった有料道路の電子通行料徴収(Electronic Toll Collection)システム。

 料金所での渋滞解消に大いに効果が期待できると鳴り物入りで開始されたが、ETCの機械が高かった事と、ETCにしたからといって料金が安くなるわけでもないし、という事から普及のスピードはまったくといっていいほど上がらなかった。

 民営化の影響とは言わないが、ETC導入を決めた国土交通省もこのままでは責任を問われかねないこともあってだろう、ETC普及に向けて割り引き制度の導入などの許認可を進めて、いまでは結構の台数の車がETCを通過している。

 しかし、である。

 相次ぐ、ETCに関連する事故が発生している。去年一年間で、阪神高速道路では大小合わせて1万2千件以上の事故が起きている

 この話を聞いたとき、おもわず「1000件じゃなくて?100件でもなくて?」と聴き直したぐらいだ。

 紛れもなく一万件である。

 事故の大半は、ETCカードの誤挿入や未装填、カードの期限切れで、ゲートが開かずに、車とゲートが接触した事故と、ゲートが開かないので急停車した車に後続車が追突した事故だそうだ。 ゲート側の誤作動はETC導入初期を除いてほとんど無いらしい。

 ETCでないレーンに並んでみていると、どう考えても進入制限速度の時速20キロをオーバーしている車ばっかりである。しかも業務上からトラックが多い。4トントラックが荷物を満載していたら7トンぐらいにはなるはずだから、そんな重量の物が時速40キロで走っていたら、慣性の法則が働いて、どう考えても10メートル以内で止まることは無い。

ゲートが開かなくなるという”可能性”を心配すれば、すぐに止まれる速度で進入するべきなのだが、情けない話だが、そういう可能性を考えた「かもしれない運転」が出来ないようである。

 アホとしかいいようがない。

 世の中が便利になっても、それを巧く使う知恵が無いと結局便利なものを自ら放棄してしまうことになりかねない。

 もし、ETCの事故が増加の一途をたどるとしたら、ETCレーンへの進入は一番左レーンのみだとか、進入路をわざとでこぼこさせるとか、時速20キロをオーバーしている場合は、自動的に反則切符を切る仕組みまで登場するかもしれない。もっとも簡単な対処方法は、ETCそのものを止めてしまうことだが、その可能性はゼロではないにしろ、まあ国土交通省はメンツにかけて廃止にはしないだろう。しかし防止策が無いと止めざるを得なくなるだろう。

 便利な物を巧く使えないという顕著な例がこのETCだ。世の中が便利になればなるほど、それを利用する人たちには、その便利さとうまく付合う知恵が求めあられるし、ルールを守るという良識が要求される。

 最近、ちまたで話題になっている話にも通じることだとおもう。日銀総裁には、金融市場に関する鋭い"見識”があったかもしれないが、残念だが世間の”良識”はお持ちでなかったようだ。


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