18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

学歴

2006-07-05 23:01:00 | 社会・経済
 もう何週間かすれば梅雨も明け、多くの学生達の就職活動序盤戦が終わる。経済も好調なので採用もそれなりに伸びているのだろう、いわゆる就職氷河期ということばは最近は聞かれないし、いわゆるフリーターも減ってきているそうだ。

 話はそれるが、このフリーターというのは、本当に耳に悪い言葉だ。はっきりと無職とか定職なしとか言えばいいのを敢えてなにかの職業かのような響きで事実を正面から受け入れていない、逃げ口上の賜とでもいおうか。そういう気持ちが働いているようで嫌いだ。世の中で一斉にこの単語を使うのを止めて欲しいと思う。マスコミでさえも使っている、その神経が分からん。

 ・・・・・・

 さて、若かりし頃には、"学歴なんか”というので突っ走っていたが、日本という国やあるいは産業がだんだんと成熟してゆくほどに、この”学歴”が顔をだしてくれるようになってきている。おかしな話だが、仕事の経験をたくさん積んでいるはずの40代50代向けの求人でも、四年制大学卒とあったりする。

 ふーん。

 だからといって別に再就職をするわけではないが、なんかおかしくないですか?と思う。

 でもそれが現実。

 ある時、関西の関関同立のうちの1校の卒業生が自分の勤める会社に入社してきた。入社してしばらく経ったとき、この彼が、関西のこの四つの大学以外の学校のことを、見下した発言をした。本人は悪気は無いのかもしれないし、分かってて言ったのかも知れないが、”どんな大学であろうが、その人の人間性には関係ないでしょ”と。もし人間性には関係ないとおもうなら、紛らわしい発言をしないほうがいいよと彼に言った。

 でも、これが現実

 用事もないのに大学には行かなくていい。目的も無いのに行く必要はない。

それは今でもそう思う。だからこそ親は、小学生や中学生で、仕事だとか、お金を稼ぐということの具体的なイメージを持たせてやらなければならないと思う。

そして目標を見つけて、それに到達するには、何が必要なのかを親はアドバイスするのがいい。

 子供は敏感だ。ただ意味も無く、「とりあえず高校だけは出ておきなさい」「男の子だったら大学は行きなさい」などと押し付けてもいけない。それに素直にしたがって大学に行ってくれる子供を"よい子"と思っていると、陰でどんなストレスを抱えているかわからない。親の期待に応えることで精一杯の子供達のこころのなかはどんなだろうかと、心配してしまう。

 医者という職業のすばらしさに心の底から納得共感していないのに、医者になれと行っても意味はない。ゆえに事件が起きる。

 一方で、「やりたくない」と子供が言うのを鵜呑みにするべきではない。「やりたくない」は「わからない」と同義語だと思えばいい。心が動く年齢になったときに、「自分はこれをやりたい!」と思うまでは、何も言わないことだ。それまでに親がやらなければならないのは、社会の仕組みや人間と人間のつながりの話である。

 大家族だったり、おじいちゃんやおばあちゃんが身近にいると、「ねえ、おじいちゃん、むかしは何をしていたの?」なんて言う会話を孫と、祖父との間で繰り返ししていたのではないか?そして生きること、生活することの大変さや喜びを、祖父から孫に、子守歌がわりに聞かされて育ったのではないかと思う。

 しかし、現実は、両親は忙しくて、、、会話といえば、宿題は?塾は?テストはどうだった?ばっかりだと、職業や労働に対する世界観はまったく培われない。

 学歴は、あってじゃまになることは決してない。じゃまになることなどはまれである。それよりももっと大事なのは、自分が生きてゆくということに対する成熟した世界観ではないかとおもう。

 多くの大人達は、その世界観が欠落している。ゆえに”大人はつまらない”という子供や無職の大人が増えてしまうのだ。だから”良い大学でても、こんな大人になるのかよ?”なんて事まで言われてしまって、”学歴”が歪めてみられてしまったりもする。

 素直に、こういうことをやりたいから、大学に行く。その結果として”学歴”がついた。というのが一番自然だとおもう。

 まわりが行くから私も、やりたいことが見つからないからとりあえず、で大学行くのは自由だが、その大学生活のなかで、本人が働くことの世界観を見つけられるのか大変あやしい。

 でも学歴は就職の条件に関わってくる、それが現実

 どうせ学歴を積むなら、きちんと目標を見据えて、必要だからこそ積み上げることになったと言えるようにしたいものだ。

 「ねえ、なんで勉強するの?」という子供の問いに「良い学校に入る為だよ」と答えてしまっている親は、要注意である。働くこと、生きることに対する世界観が無い可能性が高い。しかもそういう人のほうが”学歴”に拘るものだ。



中田英寿現役引退(1) 

2006-07-04 21:21:57 | 
 このニュースは日本のみならず、ワールドカップ中のヨーロッパ各地でも話題になっている様だ。

 また、マスコミやスポーツ紙、タブロイド紙はいろいろ書いているが、まずは、彼の引退の言葉をそのままここに掲載しようと思う。

以下nakata.netより(転載許可済)

“人生とは旅であり、旅とは人生である”
2006.07.03

~1985年12月1日 - 2006年6月22日~

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

---(2)へつづく---


中田英寿現役引退(2) 

2006-07-04 21:19:16 | 
---(1)のつづき ---

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。



---(3)へつづく ---

中田英寿現役引退(3)

2006-07-04 20:48:53 | 
---(2)のつづき ---

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”

ひで 

以上全文。

彼の苦悩、希望、喜び、限界が書かれていた

これだけの量の文章を自分の本当の心を隠しながら書ききれるとはあまり思えないから、きっとこの日付の時点での中田英寿という人間のありのままの姿なのだろう。

また、これだけの文章を書くような、サッカーに対する強い思いが彼にはあったのだということも分かる。

そして自らその思いを断ち切るように自身のホームページ上での公開。そうすることで自分自身の心の揺らぎをなくそうとしたのではないかとさえ思える突然の発表。

これらのことから考えると、今回のワールドカップで本当にもっと上のステージに上がりたかったという気持ちは他のどの日本人選手よりも中田選手が一番強かったはずだ。それ故、今回のグループ予選での敗退は残念でならない。今更ながらに彼の苛立ちが理解できる。




ルーブル美術館展

2006-07-03 02:28:16 | 文化・芸術
 ちょうど東京芸術大学の学内の美術館で、ルーブル美術館展が開催されている。今回の展示は、ギリシャ時代の彫刻と陶器などで、ダ・ヴィンチコードに関連した絵画などは一切ない。

 ギリシャ時代の彫刻、およびそのローマ時代の再生ということもあって背景には、キリスト教ではなく、ギリシャ神話が存在している。ギリシャ神話は多神教、教というぐらいだから宗教だったのだろうが、詳しくはどんな宗教だったのかは解説されていなかった。ギリシャ神話には、系統図というのがあり、それには諸説があるのだが、わかりやすく言えば、日本の神道のような、神様の兄弟や親、親戚関係が決められているということだ。

 ギリシャ神話でいう、アフロディーテが、ローマ神話ではヴィーナスになるといった変遷もあって、なかなか全体をとらえるのが難しいようだ。

 さて、この展覧会で、は大小多くの彫像が展示されているが、どの彫像もしっかりとした肉体を表現している。男性の神の彫像は、筋肉隆々といった訳ではなく、適度に脂肪もついているような表現が成されているし、女性の神の彫像では、現代の美的感覚よりもはるかにふくよかに表現されている。男神、女神とも極端な肉体表現がなされているわけではない、どちらかといえば全体に肉付きがよい体格表現となっている。

 神話の登場人物を、大理石でこのような彫刻をし彫像を作るということは、それなりの尊敬、あこがれを表現しているはずだから、察するにギリシャ人はおおかたの人たちはやせ細っていたのではないかと考える。

 いつでも本物の作品にはそれなりの迫力があるといっているが、今回も彫像をいろんな確度から眺めてその重厚さに関心されられた。個人的には、やっぱり絵画のほうが好きなのだが・・・。

 この展覧会で、出品されていた彫刻の中でも大きさ15センチぐらいのものが幾つかあった。そのなかで、個人的に好きなのが、ニケである。大きな彫像は、頭部のないサモトラケのニケが有名だが、この展覧会では、ちいさなニケが2点ほどだったか出品されていた。ほぼ全身像のニケを観られるとは思わなかった。

 余談だが、このニケは、勝利の女神でNIKEと書く。あのナイキ社の社名の元となった女神だ。ナイキ社の有名なあのマークは、NIKEの翼の図案化したものだ。

6月17日から8月20日まで東京芸術大学大学美術館(上野公園)にて開催