《自分が「そこ」に行ったら、いまの「自分」になれただろうか?》
学校の先生や親たちは、「子どもに一番いいところ」と言って、
特別支援教育に子どもを送り込むけれど、
自分が「そこ」に行ったら、いまの「自分」になれただろうかと、
考えたことが一度でもあるだろうか?
私はずっとそのことを、考えてきました。
8歳のときに、「ここ」と「そこ」の境界に立ち、
50年の人生で一番怖かった時間をくぐりぬけてから、
私はずっと、そのことを考えてきました。
もし、私があのとき、その線を越えていたら…。
わたしは、いま、ここに、いるだろうか?
答えは、いつも同じでした。
「いまのわたしは、ここにはいない」
それ以外の答えを感じたことも、見つけたこともありません。
私には、いまの特別支援教育の言葉は、
こんなふうに聞こえます。
「向こうに行って、専門家の指導を受けていれば、
あなたの人生はもっと素晴らしいものになったのに。
あなたにとって一番いい人生は、向こう側にあったんですよ。
残念でしたね。
普通学級で放っておかれて。
もっと、能力が伸びたかもしれないのに。
もっと、社会性がついたかもしれないのに」
その言葉は、もしかしたら間違いではないのかもしれません。
違う環境だったら、私の能力はもっと伸びたかもしれません。
もっと「社会性」がついたかもしれません。
情緒障害児学級に勤めても、施設に勤めても、
そこでの子どもの扱いにがまんできず、
仕事をやめてしまうこともなかったかもしれません。
教育委員会のガラスをたたき割るような
反社会的な行動もしなかったことでしょう。
でも、このまま未熟なままで人生が終わろうと、
わたしは、ここにいたかったのです。
やっぱり、私は「教育」の話なんて
一つもしていないのかもしれません。
明日は、今年3回目の「就学相談会」です。
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