ワニなつノート

「かわいそう」文化


「かわいそう」文化

1《ポブレシート文化という言葉》


ある本を読んでいて、「ポブレシート文化」という言葉をはじめて知った。

【「ポブレシート文化」とは、相手を気の毒でかわいそうだとみなす思考様式のこと。
保護者のように相手を心配し、同情する。この思考様式のもとでは、おのずとこんな発想になります。

「この子たちは、ただでさえ数々の逆境にさらされている。たくさんの重荷を背負っている。学業成績の面で高い水準を期待して、これ以上の苦しみを負わせることなんてできない」

「…大きな期待をいだきすぎると、子どもたちは重圧に押しつぶされて成功できない。
子どもたちがかわいそうだし、教師である自分たちも打ちのめされてしまう」

…つまり、子どもたちに高い期待を抱いていない、ということ。

…あるメンバーはこう言った。
「子どもたちに対する期待が低いのは、差別の意識や関心の乏しさが理由ではなく、愛情と気づかいが理由なのかもしれない――この指摘には目から鱗が落ちました。」

…貧しいラテンアメリカ系世帯の子どもたちに高い学業成績を期待すると、本当に失敗と苦しみをかならず味わわせることになるのか?】


(「なぜ人と組織は変われないのか」ロバート・キーガン 英治出版)

      ◇

そう、これは「障害児」の話ではない。
子どもの80%以上はラテンアメリカ系で、過半数は生活保護家庭の子どもで、一方、教師の80%以上は白人という、アメリカの学校で、「英語学習の成績」を高めるために何を改善するべきかを話し合ったときの気づきである。

            ◇

思うことはいろいろある。
はじめに思ったのは、「パターナリズム」とはどう違うのだろう?ということ。

私のパターナリズムの理解は、「勝手な心配」「余計なおせっかい」だから、よく違いがわからない。
これは保留。

          ◇

それよりも、「かわいそう文化」という言葉で思ったのは、それこそが、わたしがこだわってきたものだという思い。

その文化は私の中にもある。

それを、自分の中から少しでも拭い去るために、生きてきた。
そんな気がした。

         ◇

2《森川すいめいさんと石川先生の言葉》


「こころは、病気にならない」
森川すいめいさんの「漂流老人ホームレス」という本で、圧倒されたひとこと。
私が長年、子どもたちとつきあうなかで、思い続けてきた思いを言葉にするには、こう言えばいいんだと思えた。

「障害のあるふつうの子」という言葉を使って表現したかったことにつながる思いの言葉だと感じているのだが、まだよくは分かっていない。


次の瞬間、石川先生の言葉が聴こえる。
「障害があることは、人として恥ずかしいことではない」

言葉にして考えてみれば、当たり前のことだが、はじめてその言葉を耳にした時は衝撃だった。

「障害があることは、人として恥ずかしいことではない」
その言葉を聞いて衝撃を感じるということ。
それは私が、「障害は人として恥ずかしいこと」だと信じて、生きてきたからに他ならない。

その言葉のおかげで、私がもう一つ気づいたことは、そう信じて生きてきたから、私自身も不自由で生きづらかったのだということ。

(つづく)



《おまけ》

今日は病院の日でした。
「再発の兆候はなし」
手術から3年半、3カ月ごとに検査して一度もなんともないんだから、もうおしまいにしてもいいんじゃねェ…と思うのだが…( ̄0 ̄)/

13日の集会まであと二日。
大きな声では言えないが、いまの時点でまだ資料が1ページもできあがっていない( ̄0 ̄;)
明日中に印刷しないと間に合わない。
さて…。
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