ワニなつノート

自分の「呪い」を解くための100のメモ(55)

自分の「呪い」を解くための100のメモ(55)

《「つながりの声をきく」と「居るをきく」、そして「ここに居てはいけない」とは言わない》

         □

「一人の声」をきこうとして聴こえないもの。

「一人の言葉」をみようとして見えないもの。

そこに「つながりの声」があり、「居るをきく」がある。

「ここに居てはいけない」と言われない場所が、もっとも安全な場所であったのは、そこがつながりの声のあふれる場所であり、「居るを聴き合う」場所であったから。

わたしたちの保育園とふつう学級はそういう世界だった。

そこには「声」にならない思いを聴き、「言葉」にならない思いに耳を傾ける、そんなつながりの領域があった。

言葉のある子と言葉のない子に分けて、言葉のある子の声だけが聞こえるのではなかった。聞こえていたのは、すべての子が安全に守られて「居る」がきこえる、ひとつながりの声だった。

石牟礼道子さんの「花を奉る」の一節。

「花や何。亡き人を忍ぶよすがを探さんとするに、声に出だせぬ胸底の思いあり。そをとりて花となし、見灯りにせんとや願う。灯らんとして消ゆる言の葉と言えども・・・」

きこえない声をきくこと、きこえない言葉をきくことは、自分の中にある、もっとも深い、「亡き人」への思いをきくためにある。ここに「居ない」人への思いを胸底で愛しむためにある。

他者に「ここに居てはいけない」と伝えれば、自分の中の「声にならない思い、声にだそうとしても形にならない言の葉」もまた居られなくなる。

 

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ようこそ就園・就学相談会へ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事