《就学相談会という「つながりの安全領域」づくり(その2)》
『「自分がいまの学校にいられるかどうか」の話だと、子どもは分かっている。だから、両親が目を合わせ、うなずきあう度に、子どもの身体もゆるんでいく。』
―――そこに、8歳の私が「ほしかったもの」があった。
「ここに居ていいのか」と親が不安を抱けば、子どもの「いること」は揺らぐ。自分が何かやらかしたり、失敗したことなら、反省も納得もできる。だけど「居ること」が脅かされる怖れは言葉にならない。だからこそ、親の不安がやわらぐだけで、子どもは自己肯定感を取り戻すことができる。「ここにいる」ことがしっかりと守られている感覚。「誰かの正しさ」でなく、「自分の声」を聞いてくれる親がいてくれる幸せ。それが、「居ること」が脅かされない、子どもの自己肯定感を支える。
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そんなことを考えていると、どこからか「ありがとう」という子どもの声が聞こえることがある。その声は「おかあさんをたすけてくれてありがとう」ときこえる。
「わたしはだいじょうぶ、でもおかあさんがしんぱいだったの、だからありがとう」と、そんなふうにきこえる。
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子どもの声を聞いて、親が出した答えなら、そして「自分で自分を取り仕切っている感覚」を子どもがなくさずにいられるなら、子どもがどこで何をしていてもいい。何もしてなくてもいい。そう思う。
【写真:仲村伊織】