ワニなつノート

朝日新聞社説に関する要望書

朝日新聞社説に関する要望書


個人での問い合わせやメールには、答えていただけないようなので、
いくつかの会の連名で要望書を出しました。
以下が、その内容です。



    □     □     □     □


朝日新聞社代表取締役社長 秋山耿太郎様


2010年2月18日付朝日新聞社説に関する
要望書



生活と教育を考える会(代表・)
千葉「障害児・者」の高校進学を実現させる会(代表・)
共に育つ教育を進める千葉県連絡会(代表・)
公立高校の定員内不合格をなくす会・千葉(代表・)
なくそう!高校定員内不合格・全国ネットワーク(代表・)



 私たちは、千葉県で、障害のある子もない子も共に育つ社会・学校を求めて活動している市民グループです。

 2010年2月18日付朝日新聞社説について、複数の会員が個人名で質問、意見をメール等で送りましたが、4月3日現在まで応答がありません。そこで改めて『要望書』を提出いたします。現行の教育制度において、教育委員会からの「特別支援教育」の勧めを「断る形」で、「普通学級」に在籍する子どもの立場についてご理解の上、2月18日付社説についてご説明くださるようお願いいたします。

 2010年2月18日付朝日新聞社説には、次のように書かれています。

【親権見直し―子を守るため、柔らかに】

 親から虐待を受けた子どもを預かり育てる児童養護施設や里親の家庭は、しばしば悩む。 子のため必要な手続きや契約をしたくても、親権をもつ親が認めず、衝突することがあるからだ。 「治療や入院に同意してくれない」「障害児学級への転入を認めてくれない」といった声が上がる。
 福岡県警は先月、生後7カ月の子に治療を受けさせず死亡させたとして、両親を殺人容疑で逮捕した。こんな深刻な事態に至る例もある。
 親権は、子を育てるために親がもつ教育や監督、財産管理、法定代理などにかかわる権利と義務だ。 児童福祉法は、虐待などの理由で親から離れて暮らす子どもについて、日常の生活にかかわる判断は施設長や里親ができると定めている。
 だが、進路や財産をめぐっては親の意向が優先されることが多い。子の名義の預金を使う親も絶えない。 そんな親の身勝手を止めようと千葉景子法相は、民法改正を法制審議会に諮問した。
(以下略)



 この社説が、「虐待などの理由で親から離れて暮らす子ども」の幸せを願って書かれたことは十二分に承知しています。今まで「親権」を制限することができなかったために子どもの命が失われたこともあり、この社説がまさに子どもの命を守るために書かれたことを理解しているつもりです。

 しかし、たとえ社説の主旨がそうであっても、虐待する親、身勝手な親の行為の一例として、「障害児学級への転入を認めてくれない」という言葉を使うのは、あまりに無神経であり、普通学級に在籍する障害児と親を不安にさせ傷つけることになっています。
 虐待され声をあげることもできない子どもの味方であろうとするならば、普通学級に通っている「障害児」の気持ちにも配慮がなされるべきです。なぜなら、この国で「障害児」が普通学級に通うためには、教育委員会や医師による「障害児学級の勧め」を断り、時に教育委員会と何回も何十回も必死の思いで話し合わなければ子どもの居場所を守れない現実があるからです。青木鈴花さんや谷口明花さんの裁判は記憶に新しいところであり、貴社の紙面にもたくさんの記事が掲載されていました。

 「障害児学級への転入を認めない」親と、「治療や入院に同意しない」親は、同じではありません。「障害児学級への転入を認めない」親と、「生後7カ月の子に治療を受けさせず死亡させ逮捕された親」は同じではありません。子どもを「障害児学級」に入れないのは、「親の身勝手」ではありません。私たちは、子どもに教育を受けさせないのではなく、ただ兄弟と同じように、地域の子どもたちと同じように、地域の小学校で普通教育を受けさせたいのです。
 
 私たちが、この社説の一行を見過ごせないのは、3年前に、千葉県では同じようなことがあったからです。そのときは、新聞の「社説」ではなく、千葉県の「条例」でした。そこで「特別支援教育」を断る親は、「差別者」だと言われたのです。しかもその条例は「障害者差別」をなくすために日本で初めて作られた「条例」でした。(障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例)


 その条例の『第2条第2項第5号イ』について、解釈指針に次のような説明がありました。
 第5号イは、障害のある幼児児童生徒に関わる関係者が、≪障害のある幼児児童生徒に「特別支援教育」を受ける機会を与えないことを「不利益取扱い」(差別)として定義したもの≫であり、関係者というのは≪保護者や教育、医療、保健、福祉等の関係機関≫である。

 つまり、普通学級にいる障害児が、通級、取り出しなどの特別支援教育を断わった場合、「親が差別者になる」というのでした。

 実際、やっちゃんの母親は、そのことを直接、県の障害福祉課に尋ねてみました。一ヶ月ほど待たされた後、担当者から電話があり、「通級、取り出しを拒んだら、親も不利益取扱者(差別者)になる場合もある」と言われました。

 やっちゃんは、就学前に児童相談所の一時保護所に預けられたことがあります。小学校に入った後も、やっちゃんが荒れた時期には、家では育てられないのかと真剣に悩んだ時期があります。それでも、地域の学校で、クラスの仲間の中で笑顔でいるやっちゃんのためにがんばってきました。母親が、特殊学級への勧めを断り続けたことで、やっちゃんの学校生活と友だち関係は守られてきたのでした。その母親に向かって、「子どもを分けることを拒んだら、あなたは差別者です」と言われたのです。
 
 私たちは、解釈指針を作成した障害福祉課と話し合いを重ね、2008年4月27日、千葉市生涯学習センターで、障害者差別禁止条例を考える緊急集会を開催しました。参加者は、113名。多くは、いま学校に通っている子どもの保護者でした。また、県議会議員4名、各地の市議会議員5名の参加がありました。

 千葉県の「差別禁止条例」は、当初は「すべての障害児者」への差別をなくすことを目指したはずでした。差別の事例募集でもっとも多く寄せられたのは、「普通学級にいる障害児」の事例でした。

 「差別をなくすための研究会」では事例を一つ一つ丁寧に検討し、普通学級にいる障害児も差別されないように、【障害を理由として、本人又はその保護者が希望しない学校への入学を強いる事】を差別とする条文を準備しました。

 ところが、市町村教育委員会は大反対でした。
 以下は、市町村教育委員会の意見です。

【条文が一人歩きし、本人や保護者の意見が尊重されすぎてしまい、適切な就学指導が 困難になる】

【普通学級への進学を求める保護者との対立が深まり、学校現場は大混乱に陥る】

【就学指導が保護者の意見に左右される傾向が強まり、静かな環境の下での就学指導が 進められなくなる】

【障害児の普通学級への就学は、指導効果の面で疑問。やはり教育的には、就学指導委 員会の審議結果に沿った就学が最良】

【この条例は、公教育を破綻させるもの。条文修正が受け入れられない場合は断固とし て反対運動を展開する】



 それらを読むと、実際の「就学指導」の中身がどういうものか、普通学級を希望する親子がいかに高い壁を乗り越えなければならないかが分かります。
そして、教育委員会の主張が通り、「教育に関する条文」は修正されました。こうして、日本で初めての「障害者差別禁止条例」は、「普通学級にいる障害児への差別」の問題にはふれないまま成立したのでした。

 障害児の「普通学級への就学」が大きな「障壁」であり、「差別の問題」だということは、青木鈴花さんの裁判や谷口明花さんの裁判、山崎恵さんの裁判をみれば明らかです。保育園、中学生の子どもが裁判を起こさなければ、地域の保育園や学校にいることさえできないのです。

 しかも山崎恵さんの裁判では、「特殊学級か普通学級かを決定するのは校長の権限」だという判決が出され、山崎恵さんは普通学級に入ることが認められませんでした。そうした現実はいまでも続いています。

 この教育制度の中では、多くの親が、ただ子どもを地域の学校に通わせるために必死の思いでがんばらなければならないのです。「障害児の差別」に関して、他に「裁判」に訴えているものがどれだけあるでしょう? 障害児の人権、差別の問題のなかで、一番大きな問題は、障害があっても「ふつう」の環境にいることです。

 そして、我が国で初めて作られた障害者条例で、私たちは「差別者」であるといわれることになったのです。今回の社説にはそれと同じ問題が潜んでいます。

 今年4月から北海道でも「北海道障がい者及び障がい児の権利擁護並びに障がい者及び障がい児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例」が発効し、各地でも新たな条例が作られようとしています。

 私たちの要望に対する千葉県の対応はここには記しません。県の条例で「差別者」と決めつけられることと、新聞社の社説での「表現」に異議を申し立てることとは問題が違うと思うからです。したがって、私たちが千葉県に要求したことと、貴社に要望することとは、違う中身になります。ただ、私たちは、貴社がどのように対応してくださることが、子どもたちを守ることになるのか正直分かりません。私たちはこの要望書で訂正の形を要求したり、謝罪を求めたいのではありません。

 最初に記したたように、「社説」が、虐待され声をあげることのできない子どもたちを救うために書かれたことを、私たちは理解しています。だから、そのなかで書かれた言葉が、他の「声をあげることなく苦しんでいる」子どもたちのことを取りこぼしていることをまず知ってほしいのです。その上で、いまの社会のなかで、制度の不備、情報のなさ、によって苦しんでいる人たちが数多くいることを知ってほしいと思います。

 たとえば、いま大きな問題になっている高校無償化の問題においても、朝鮮学校の子どもたちが「対象外」にされることへの抗議や反対の声は多くの新聞・テレビで報道されます。国連人権差別撤廃委員会が日本政府に「教育の機会提供に一切の差別がない」ように勧告していると報道されます。しかし、「障害」のある子どもたちが高校受験で、「定員内不合格」にされ続けていることは、ただの一文字も報道されません。

 3月29日には貴社の「高校無償化は負担増 フリースクールや定時制の親ら訴え」という記事で、不登校の子どもや定時制の子どもたちの問題が取り上げられています。でも、やはり「特別支援教育」を断ることが「差別」と言われたり、「虐待」「親の身勝手」と言われるなかで、普通高校で「定員内不合格」にされることは取り上げられることがありません。

 香川のIさんは今年6年目の受験でした。定時制40人定員・2次募集14人受検で、合格者は4人でした。定時制で10人の子どもが「定員内不合格」にされる社会での「高校無償化」とは、ごく一部の15歳の子どもたちを見捨て、「入った子だけの無償化」でしかありません。
 この子たちはどこまでも、「いないこと」にされ続けます。どうか私たちの声、子どもたちの苦労を理解した上で、上記社説について対応してくださることを心よりお願いいたします。

コメント一覧

ai
朝日新聞、抗議の声にきちんと答えてくれるでしょうか?

以前、同じような記事が掲載された時、
「障害児を普通学校へ全国連絡会」の事務局が、
抗議と謝罪を求めた要望書を送ったはずですが。
一切取り上げてもらえず、無視されたと聞きました。

どういうわけなのか知りたいと思っていましたが、
明後日入学する○の中学校に行き、事前の打ち合わせや相談をするうちに、その意味が何となくわかるような気がしてきました。

和やかに、にこやかに、歓談してきましたが、
配慮と優しさの陰で、チラチラ覗く、本音の部分。

学校やこの一般社会の理解するところの
「一緒がいい」と、私たちがずっと訴え続けてきたこととは、真逆に位置しているということです。

「ただいっしょにいるというだけじゃないか。」
「みんなと同じことをさせたいというだけのこと。」
「本人が笑顔でいられるように。」
「教材は、いっしょでも、リソースルームに来たら、別なものにしてもいいか。」
「無理させてまで頑張らせるのはいかがなものか。」

○の心配事ばかりが先に立ちます。

まず、接してみて・・・

でも・・・・

机上の空論は、尽きることがありません。

もう、こんな時間になりました。
では、教室へ行きましょう。
すんなり入れる○。
では、体育館へ。
落ち着いていられる○。

「すごいじゃないですか。」
「でしょう?」

yoさんのおっしゃるとおりです。
全ての「恐れや不安」は、大人の側が作りだすのです。

うん!中学は、小学校より更に手ごわいな。
というのが、感想です。

そして、その後押しをしているのが、
朝日新聞の社説だとしたら、
抗議の声に答えてくれるまで、出し続けなければなりません。

私たちは、決して、「虐待」をしているわけではなく、
「あたりまえ」のことを訴えているだけなのだとわかってもらえるまで。








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