《「より多くのケアを必要とする」子ども》
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3歳の子どもの「はじめてのおつかい」と、「障害のある子」のふつう学級は、同じ世界だと思う。
何が同じか。
まず、この子が「いること」から始まること。
それは「この子を透明(いないこと)にしない」ということ。
ここに、「孤立化・無力化・透明化」の呪いを解く鍵がある。
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たとえば、「重度障害のある子」を、「より多くのケアを必要とする子」と言い換えてみると、同じがみえる。
なぜなら、「3歳の子」も、「より多くのケアを必要とする子」だから。
「はじめてのおつかい」は、「3歳の子」にお金の計算を教えようとはしない。ひらがなや地図の見方を教えようとする人はいない。
コミュニケーションの方法を教えてから、会話しようとする登場人物は出演しない。つまり、この子を変えよう、直そう、とする人のいない世界。
そこにいる大人はいつも、目の前の子どもと真摯に向き合い、なんとか「対話」しようとする。
《子どもと対話していたら、直そうという考えは浮かばない。ただ、子どものなぜに答え、子どもの知りたいこと、やってみたいことに応えるだけ》
そこには「つながりの安全」があふれている世界がある。
泣きながらも、自分の「やり遂げる意思」を大事にされる、子どもの安心がみえる。
《そこに対話があれば、直そうとは思わない》
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※『person with severe disability=重度障害者』⇒ 医学モデル
※『those who require more intensive support=より多くの(集約的)サポートを必要とする人』⇒ 人権モデル