昔、障害当事者の人たちが、つぶれそうなアパートの一室で「自立生活センター」という看板を掲げていた時代とは、別の国にいる気がする。
「地域で」とか「共に」とか、その手の言葉は、「運動」する人たち、世間の人が「カゲキ」という人たちが使う言葉だと思っていた。
いまは、文科省も、厚生労働省も、「地域で、共に、共生…」という。
社会は、障害のある子どもたちにとって、本当に暮らしやすい社会になったんだろうか。
30~40年前に、地域で、共に、という言葉で願ったものと、同じものを、私たちは探して続けているし、求め続けているし、そしてなかなか手にはいらない。
何が変わったんだろう。
何が変わらないんだろう。
わたしは、ただ「共に」とか「地域で」とか、そういう言葉が、盗まれただけのような気がしている。
たとえば、地域で暮らしている「障害者」を「支援」する「機関」がいくつもあり、「障害者の理解を」などという。
障害児が大人になって、地域で暮らしていると、地域の人々が「不安」を感じたり、どう「支援」したらいいのか分からない、という話がある。
そこで、「理解」を進めるための講座や学習会が開かれたりする。
「不安」とは、「知らない」ことが原因なのだから、「障害」の理解を進めましょうみたいな話になる。
障害の当事者も、地域の人々に、自分の障害が理解されているのか、受け入れてくれるのか、が不安のもとだたりするという話になる。
だから、理解を進めましょうと。
それを、20代、30代、40代~60代、70代の人たちが「学ぶ」地域。
そんな「地域」で、本当に、「共に」暮らすことができるんだろうか。
そもそも、いい「大人」が、「障害」=「知的障害」「自閉症」「精神障害」の人たちを、「知らないから不安」っていうのは、どういうことなんだろう。
何十年も社会で生きてきて、知らないのは、なぜか。
小学生のころ、中学生のころ、高校生のころ、障害のある子どもとまともな出会いやつきあいもなかったのは、どうしてなのか。
「早期発見」して、早期に「分けて」育つ社会だから、いい年をした大人が、「理解」のために、学ばなければならないのだ。
なんて、おかしな仕組みの社会なんだろう、ここは。
障害者も、認知症になった老人も、誰もが、地域で、共に、家で生活できる、人と人とのつながりのある社会を、本気で作ろうとする気があるなら、子どもを分けることを、いい加減やめるべきだろ、と思う。
本気で、地域で、共に、なら。
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