わたしの人生で出会ったなかで、もっとも子どもを大事にする人のひとりからの、「子どもが怖いです」という文字。
いろんな場所に相談の電話をしても、すぐに預かってくれるところもない。
こんなふうに荒れる前は、夕食やお風呂の準備だけして、一人暮らしを見守るようにもできたけれど、それでも、夜中に大声を出したり、外に包丁を投げ捨てたりしたと聞けば、一人にしておくわけにはいかない…。
結局、親がみるしかない。
その「親」が、一生側から離れられない、そのことに「子」は葛藤しているのに…、この社会はどこまでも「親」に押し付ける力を弱めない。
ことばで言わなくても、重度の知的障害と言われようと、友だちと成人式にも出て10年が過ぎ、20年になろうとする。
就学時検診や高校のことばかり語っていた親たちは、いつしかみんな「仕事」だとか「自立」だとかそんなことばかりを語っている。
詳しいことは分からなくても、親たちが何を語り合っているのか、誰のことを語り合っているのか、誰のどんな心配をしているのか、そんなことくらいは誰もが分かっている。
だからこそ、子どもは、「自分も自立したい、一人前の大人として生活の主人公でありたい、親の手は借りない」と思いつつ、実際の暮らしの中では、「手伝ってもらわなければならないことがある」、そのことに、自分自身が追いつめられているんじゃないのかな。
「だって、そうやって、育ててきたんじゃない」
「障害があっても、他の6歳の子たちと同じように小学校に行き、勉強ができなくても中学に通い、0点でも高校に行き、何ができなかろうが仲間と同じようにこの社会の真ん中で堂々と生きていってくれるように、そう願って育ててきたんだから、親の手のひらから抜け出せない自分に苛立つことがあったとしても、それこそが成長であり、大人になったってことなんじゃないのかな」
親が「限界」である前に、子どもが「限界」だという「こえ」が、わたしにはきこえる。
なぜなえら、その「こえ」は、彼一人の声ではないから。
いままでも、なんども、そのこえをきいてきたから。
◇
「とりあえず、今夜、わたしが一緒に泊まります。」
そういって、一晩、彼のこえをきいてきた。
彼のこえも、しぐさも、行動も、子どものころから知っている姿と同じだった。
違うのは、一人で夕飯を食べ、一人でお風呂に入り、一人でソファでいびきをかいている姿。
つまりは、彼が「自立」して、「一人暮らし」している姿そのものでした。
本当は、彼といろんなことを話したい、と思って出かけたのでした。
彼が本当はどうしたいのか。
母親にいてほしいのか、いてほしくないのか。
彼自身、「ほっといてくれ」と思っているのは確かで、でも「お母さんがいてくれないと困ることがある」というジレンマを感じているのも確かだとわかります。
じゃあ、この先の生活の細々な雑事をどうしてくのか。
親に頼るのでなければ、誰にどう頼ればいいのか。
どうして、お父さんやお母さんに手をあげてしまうのか。
そんなことも話せたらとは思ったのですが、彼と二人でいるうち、そんなこと、一晩で話せるわけないよなと思いなおしました。
いっしょに近くのコンビニにいって、私はビールを、彼はコーラとアイスを、買ってきて、それだけのことを、ことばでやりとりするのにも、わたしの言葉数が、彼を「支配」してしまう感、がありました。
まして難しい話を、短い時間で話そうとすれば、圧倒的に私の方が「ことば」が多くなります。
それじゃ、彼が(たぶん)うんざりしてる「親」と同じことをしてしまうことになります。
そんなときふと思いました。
相手のことば数と、対等なことば数で、話す語彙とコミュニケーション能力を、わたしが持ち合わせていないなら、とりあえずこの話題は取り下げるしかないな。
相手のことば数と、対等なことば数や、視線やしぐさ、共通の「意味」のこめられた「もの」や「ことば」を通して、やりとりできることが、対等なコミュニケーションの方法だと思う。
相手が、話し言葉をつかわない人なら、目の動きや顔の表情、うなずき方や視線のそらし方、笑顔や聞こえないふりを通して、「聴きことば」の数を測れるようにもなりたい。
相手の「はなしことば数」と「聴きことば数」と対等な「はなしことば数」で話せるようになりたい。
共に過ごす時間の「重なり」という「ことば」は、きっとことば数が対等なのだと思う。
だから、そのことばは、「理解」を超えて、ずっと「わかりあえる」感じがするのかもしれない。
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