《すり替えの呪い》(その4)
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《45分座っていない子》の話は卒業することにした。で、その前に《45分座っている子》の話をしておこうと思う。
今までは「45分座っていない」子が、ふつう学級から分けられないように、子どもを守りたくて「大丈夫」な話をしてきた。
それは、「ただおとなしく耐えて座る子」の話を後回しにすることだった。
だから、「45分座っていられますか?」「それが無理なら、ふつう学級も難しい」の話でなく、「45分座っている子は大丈夫ですか?」という問いから考え直してみる。
「一年生はこうあってほしい」という枠組みでなく、子どもの主体が「いまここ」で感じていること(安全感覚、行動の意図、不動の意図)について話したい。