(完結編)
【1】 《見るべきものは、みんな見せてきた》
見るべきものは、みんな見せてきた。
この子が私の子どもに生まれてきてくれて、
兄弟より、何十倍も手をかけさせてくれて、
いくつもの病院通いに学校の呼び出しと、
数え切れないほど苦労をかけてくれて、
そのくせ、お母さんと呼んではくれず、
ママでも母ちゃんでもなく、
ありがとうも、ごめんの一言も言ってはくれない。
おかげで私は、この子の顔の表情やしぐさで、
この子のことばを聞けるようになった。
顔をみなくても、後ろ姿でだって
この子の気持ちを聞くことができた。
…本当のところ、
この子がどんなことを考えているのか、
何をしたいのか、どこに行きたいのか、
わからないことはいっぱいあった。
だって、この子はちゃんと言葉では話してくれないし、
専門家は、人によって正反対のことを言うし…。
でも、あるとき思ったの。
この子のお兄ちゃんも、
何でも親に話してくれるわけじゃない。
言葉が話せるからって、
何でも言葉で説明できるわけでもない。
わたしもそうだった。
それまでは、いっぱい迷って、いっぱい悩んだ。
わたしは、この子に何をしてあげればいいのか、
どうしてあげればいいのか。
本当にこれでいいのか、
本当はもっといい方法があるんじゃないか。
もっといい環境があるんじゃないか。
もっともっとこの子の能力を
伸ばしてくれる人がいるんじゃないか。
もっといい母親が、この子の母親だったらって
考えたこともある。
でも、仕方ないわよね。
この子の母親は私なんだから。
私しかいないんだから。
「子どもはみんな、親を選べないのよ」って、
あきらめてもらうしかないわね
そう思えたから、
いい所、よりいい所、もっといい所を、
探すのをやめられたのかもしれない。
もっといい所、もっといい所って言ってたら、
きりがないわよね。
それを探しているうちに、何年も過ぎて、
気がついたときには、
この子の「子ども時代」が終わってしまう。
そんなことになったら、取り返しがつかない。
この子のためじゃなく、
ただ、私のための「いい所」になってしまうところだった。
いまは、この子に感謝してる。
この子が、自由に笑いながら、
もちろんしょっちゅう周りともめたりしながら、
自由に、この子のままで生きている姿を見ていて、
わたしとこの子が歩いてきた道は、
人の出会いにあふれた豊かな道だったと、
今はよくわかる。
見るべきものは、みんな見せてきた。
そのことだけは、自信を持っていえる。
先のことなど何も見えなかったけれど、
ことばもしゃべらず、
できないことだらけのあなたが、
どうやって、成長し、大人になり、
どうやって生きていくのか。
先のことなどまったくわからず、
まして、この子が二十歳?この子が三十?
未来のの暮らしのことなど見えず、
その時々の、目の前のことだけでせいいっぱいで、
「いるだけでいいから」って叫んだこともあるけれど、
せいいっぱい、その時々に、
わたしとこの子にできるせいいっぱいの選択を
ひとつひとつ確かめながら歩いてきたことが、
いまここにつながっている。
あのころの、私が信じていたものはなんだったかしら。
分からないことを、
分かったような正しさで勧められる道は、選ばないこと。
分からないことは、みんなと一緒にいるなかで、
この子が自分で選ぶことにゆだねること。
無責任みたいに言われることもあったけど、
でも、先生だって、この子のこと、
この子の気持ちなんて分かってないじゃないって
何度も思った。
どうしてあの人たちは、この子のことをよく知らないのに、
この子のためには…って言えたんだろう。
どうしてあんなに自信ありげに、
この子の将来を語れたんだろう。
この子の将来のために、
何をしてあげるのが一番いいかなんて、
私に教えようとしてたんだろ。
あれから二十年が過ぎて、
あのころのあの人たちには、
いまのこの子の姿が、
影も形も見えていなかったのだと分かる。
あのころ、迷わされた言葉に、
何の根拠もなかったことが、
今は誰よりもよく分かる。
子どもの季節を通り過ぎて、
この子が親元を離れていった今、
家には、学校のアルバムが残っている。
小学校、中学校、高校と、
その時々のクラスメートの中で笑っている写真、
よそ見してる写真があふれてる。
その写真を眺めていると、
わたしは、あなたの人生を、
ちゃんとあなたにゆだねて生きてこれたとわかる。
見るべきものは、みんな見せてきた。
通り過ぎて、いちばん不安に思っていたこと、
確かなことがわからず迷っていたことの答えが、
通り過ぎて、いま確かにわかる。
見るべきものは、みんな見せてきた。
他の子どもたちと同じように、
特別なことなど何一つなくとも、
ただ、それでよかったのだと。
小学校、中学校、高校と、
他の子どもたちが十数年をかけて学び生きる日々を、
この子はすべて同じように生きてきた。
この子は、この子の人生の子ども時代を、
この子自身の手と足と魂で生きてきた。
いま、親元を離れて
堂々と生きている姿を見ていて、
あなたが大人になるまでの
20年分の自信を、わたしは感じている。
見るべきものは、みんな見せてきた。
そして、みるべきものを、みんな見せてもらった。
あなたのおかげで。
□ □ □ □
【2】2010年1月13日
養護学校からの転校を求める要望書提出
《1月21日》
『見るべきものは、みんな見せてきた』読みました。
旦那も私も泣きながら。
そして思い出しました。
「T小学校に通いたい」と通園施設の先生に話した時、
「Hくんのためには養護学校がいい」と迷わず言われたこと。
通園施設の園医からも、隣の学校の特別支援学級を見学した時も、
養護学校の先生からも同じことを 言われたこと。
その度に「こんなに悩んで、勇気を振り絞って決めたのに、
なぜ、私がHのことを考えていないような言われ方をされるのだろう?
この人たちは、Hの何を知っているのだろう?」と思っていました。
“わたしとこの子が歩いてきた道は、
人の出会いにあふれた豊かな道だったと、今はよくわかる”
私もはるきの人生がこんな風になることをお手伝いしたい、
こんな道を一緒に歩きたいです。
卒業アルバム、想像しただけで嬉しくて幸せで泣けてきます。
昨日、度々登場するΑ子ちゃんからの手紙を長男が持ってきました。
そこには
「N家のみなさんへ
はるくんがふつうの学校に行けるようになってよかったね」
と書かれていました。
彼女のお母さんには事の経緯を話していますが、
どこでどうなったのか、彼女は、
はるがT小学校に通えるようになったと思っているようです。
勘違いしちゃってるな~、
どうやって説明しようかな~、と思いましたが、
私はこれを未来からの手紙と考えることにしました。
未来の誰かが
「大丈夫!T 小学校に入れたよ。
そして、それは間違ってなかったよ」
と、教えてくれているように思いました。
Α子ちゃんは、Hの人生の名脇役!
最優秀助演賞をあげなくては!
《見るべきものは、見せてきた》も
過去のことを振り返っての思いが綴られていますが、
kawaさんがおっしゃるように「大丈夫!」と言われているようで、
私には未来からのメッセージのようにも受け取れます。
養護学校イエスのお母さんたちと動いている時は、
正直、気が重く、署名なんかも集めたのですが、
気が引けてしかたありませんでした。
でも、今は、多少ビビりながらも堂々としていられる自分がいます。
自分はこっちなんだと思えます。
こんな気持ちでいられるのもkawaさんのおかげです。
もちろん、TさんやEさんやyoさんや千葉のみなさんにも
感謝していますが、kawaさんがいつもブレないで
そこに立っていてくれて、私の悩みや迷いに
丁寧に付き合ってくれるからこそ、私は答えを出すことができたし、
度々、軌道修正することができています。
本当にありがとうございます。
□ □ □ □
【3】 未来へ
《2010年4月5日・転校前日》
ご心配おかけしてますが、今日、学校へHと行ってきました。
教頭先生、教務の先生、担任の先生、養護教諭(保健室の先生)、
介助にあたってくださる教員補助の方と、
明日からの学校生活について話をしました。
ドキドキしながら行きましたが、
皆さん、笑顔で和やかに接してくださいました。
分からないことをお互いに話し合えました。
Haruのことを中心にして話してくださっている雰囲気で、
とても安心しました。
また、明るい希望を持てました。
給食時の注意点、発作時の注意点、座席のこと、オムツ替えのこと、
連絡方法、学習面、などなど具体的な話しをしました。
皆さん、Haruに話しかけてくださいました。
担任の先生や養護教諭の先生はHaruを抱っこしてくださいました。
養護教諭の先生は
「Haruくん、かわいいですね♪」と言ってくださいました。
Haruのあの滲み出るようなかわいさを感じてくださり、
とても嬉しかったです。
「そうなんです、かわいいんですよぉ」と私は言いました。
「実際に生活しながら、周りの保護者の方にも、
理解いただけるように努力していきたいと思います。
よろしくお願いします」と伝えました。
本当に有り難く思いました。
ここでなら、素敵な小学校時代を送れると思いました。
二週間ほど付き添います。
必要なことを確認しあいながら、
子どもたちとも仲良くなりたいと思います。
楽しみになってきました。
明日、ピカピカの制服を着て行ってきます!
《2010年4月6日・転校初日》
初登校してきましたー。
一緒に登校する通学団の子どもたち8人が、
朝、家までお迎えに来てくれました。
式は、始業式、新任式、入学式とありました。
途中休憩があったにしても、Haruには長い時間でした。
前半は眠り、後半はオモチャのいかをかじりながら、
大きな声も出さずに過ごせました。
「春紀くんのランドセル、みどりだー!いいなぁ」
と言ってくれる子や、車椅子を押してくれる子がいました。
上級生の子がHaruを見て、「かわいー♪」って言ってくれました。
ドキドキの初登校でしたが、なんとかなるかなと思いました。
私は二週間付き添う予定です。
この先、壁にぶち当たることもあるかも知れませんが、
その時はどうぞ相談にのってください。
よろしくお願いします。
《転校初日・その2》
昨日、初登校を無事に終えた後、教育委員会へ行きました。
Haruは学校の制服を着て行きました。
最初に課長さんが気付いて前に出て来てくださいました。
その後、続いて部長やたくさんの方が
Haruを囲むように来てくださいました。
私には「ようこそ」と言われているように思え、
嬉しく思いました(*^_^*)
教育長は来客中でしたが、
わざわざHに会うために来てくださいました。
実は初登校の朝、校長室で待機していると、
教育委員会のAさんがカメラ片手にみえました。
「心配だから見てくるように言われて来ました。
後で写真撮らせてくださいね」と。
この方は、昨年度まで寺津小学校の先生でした。
Haruの体験入学の際には、Haruによく話し掛けてくださり、
抱っこもしてくださいました。
この日もHaruに目線を合わせるようにして、そうしてくださいました。
写真を撮る時、「ランドセル、背負ったら?」と言われ、
私は「!」としました。
私にはHaruがランドセルを背負うことなどまるで
考えていなかったからです。
車椅子の後ろに引っ掛けておけばいいと思っていました。
Aさんに言われて反省しました。
みどりのランドセルはHaruによく似合っていました (^_^)v
そして今日、登校二日目。
三時間目の途中、突然、教育長が!
Haruの様子を見に来られました。
わざわざ足を運んでいただいたこと、大変有り難く思いました。
今日はお兄ちゃんがHaruを見に教室へ来ました。
Haruのお兄ちゃんであること、恥ずかしかったり、
嫌だったりしてないんだなと改めてホッとする思いでした。
昨日、車椅子を押してくれた子が今日も押してくれました。
全く接点のない上級生が、廊下をすれ違う時、
Hの頭をポンッとしてくれました。
同じ通学団の子たちは、以前に増して、
Haruと自然に関わってくれるようになりました。
わずか2日の間に嬉しい出来事がザクザクです。
まだあるのですが、またにします。
《コメント》
昨日のブログに、
「だいたいの壁は、《ぶちあたる》と崩れますよ(o|o)と、
入れるつもりでした。
壁を崩すのに必要なのは、 オールブラックスのような
重量フォワードか、 Nさんのような「親ばか(ばかおや)」か
どっちかですよね、と。
でも、今日の報告を読んでいると、
学校も教育委員会も大平原ですね~。
むしろ、「お兄ちゃんが…嫌だったりしてないんだなと
改めてホッとする」ところにひっかかります。
「Haruくん、かわいいですね」って言われて、
「そうなんです、かわいいんですよお」
とこたえるNさんなんだから、
「Haruのあのにじみ出るようなかわいさを感じてくださり
とてもうれしかったです」と書くNさんなんだから、
そのNさんの息子であるお兄ちゃんが、
弟のことで恥ずかしがったり嫌がったりするわけがないって、
お兄ちゃんにも親ばかでいてくださいな。
《返信》
yoさん、そうなんですよね。私もそう思います。
私の心配はこうです。
お兄ちゃんの友達は、Haruのことを受け入れてくれるだろうか…。
もう四年生だし、春紀と関わってこなかったし…。
もし、お兄ちゃんの友達がHaruのことを受け入れられず、
その思いがお兄ちゃんに向かったとしたら…。
お兄ちゃんは、心の中でHaruのことが大好きだけど、
それを学校では表に出せなくなるんじゃないか…。
yoさんのおっしゃることは、そういうことも含めて、
「それでもお兄ちゃんは大丈夫」と思えるくらいの親ばかに、
お兄ちゃんに対しても親ばかになって欲しい…って
ことなんだと思います。
そうなんですよね。
私もそう思います。
私は信じきれてなかったんですよね。
私の心配からすると、あの一文は、表現が間違ってました。
「お兄ちゃんの友達もやさしい子たちでよかった。
お兄ちゃんがHaruの教室に来たことで、
そのことを知り、改めてほっとしました」ということでした。
今日、同じ通学団の子たちが学校が終わってからうちにきました。
今までは、Haruのよだれに逃げていた子たちでしたが、
今日は、よだれが出ていても抱っこしてくれたり、
近寄って遊んでいました。
一緒の学校に毎日行くことは、こういうことなのかと思ったのと、
私はもっと子どもたちを信じなきゃな、と反省しました。
《おまけ》
お疲れさまです。「ノリ突っ込み」、完璧です(^^)v
「だって、Nさんの息子だもんね!」
「だって、お兄ちゃんの友だちだもんね!」
「だって、校長も教育長も担任も、
大人がみんな、Haruくんを受け入れることを、
身をもって示してくれる町の子どもたちだもんね!」
ほんとうにそう思います。
「今まで逃げていた子どもたち」は、
逃げることしか学ぶ機会がなかったんですよね。
わたしは、逃げ続けて、大人になりました。
お兄ちゃんの友だちは、幸せですね。
私のような大人にならなくてすみます。
私は大人になってから、養護学校から転校したいと言った
康司に出会いました。
小学校2年生から5年間、転校できなかった康司に出会いました。
今回、転校のために、お母さんに伝えたことは、
すべて、康司が春紀くんのために、わたしに教えてくれたことでした。
いつか、康司のこと話せるといいですね。
(未来へ つづく)
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