ようこそ就学相談会へ その後 (1)
《1:嵐の海と熊だらけの森》
「ふつう学級に行くのは、嵐の海に船を出すことだと思ってる?」
「それとも熊だらけの森に、子ども一人を置いてくることだと思ってる?」
「そんなことないよ」。
36年前に出会った子も、いま一年生の子もうなずいてくれる。
「わたしはだいじょうぶだったよ」
「ぼくもだいじょうぶだった」
学校は子どもを比べ、競わせることに熱心な所だった。
でも競わなくても、比べなくても、つながれる形がある。
だから大丈夫だったと、子どもたちは私に教えてくれる。
「嵐の海も、みんなといたから大丈夫だった」
「熊らだけの森も、みんながいたから大丈夫だった」。
どんな障害も、子どもの自然を奪うことはなかった。
子どもはつながる生きものだった。
□
就学相談会で「障害を直せますか」と聞かれたことはない。「普通にするにはどうすれば」と聞かれたことはない。聞かれるたのは、「この子を守れますか?」ということだった。
「この子も、一人の子どもとして大切にされますか?」
「この子のつながりは守れますか?」
《2:違いが見えていたんじゃなく、同じの見方を知らなかった》
入学式に始まり、授業参観も合唱祭も、「うちの子はどこかしら?」と探す前に、「ここ、ここ」と目に飛び込んでくる子がいる。この子たちの親は、はじめは運動会で子どもを探したことがない、という。徒競走でもダンスでも、探す前に目に飛び込んでくる。
けれどある年、変化が訪れる。「見つからない」ときが訪れる。
「そんなはずない、トイレ? 職員室? 参加していない?」。ついそう思ってしまう。
でも、子どもはそこにいる。よく見れば、みんなと同じように踊れている訳ではない。
一度見つければ、「そこ違う、また違う」がいつも通り見える。
この子が目立たない子に「変わった」のではない。
では、何が変わったの? どうして、すぐに見つからなかったの?
「違い」より先に目に飛び込んできた「同じ」は何だったのか。
□
それは子どもと子どもが溶け込む景色であり、同じ息づかいのみえる瞬間だった。
どんな障害も、「親とのつながりを求める子どもの自然」を奪うことがなかったように、
どんな障害も「子どもとのつながりを求める子どもの自然」を奪うことはなかった。
人と競わず、人を傷つけない生き方がそこにあった。嵐の海であれ熊だらけの森であれ、危機的な状況でばらばらになっていく個人を、安全な共同体につなぎとめる力。それは個人の能力ではなく、「わたしたち」というつながりが育てあげる何かだった。
最新の画像もっと見る
最近の「ようこそ就園・就学相談会へ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- ようこそ就園・就学相談会へ(468)
- 就学相談・いろはカルタ(60)
- 手をかすように知恵をかすこと(28)
- 0点でも高校へ(395)
- 手をかりるように知恵をかりること(60)
- 8才の子ども(161)
- 普通学級の介助の専門性(54)
- 医療的ケアと普通学級(90)
- ホームN通信(103)
- 石川憲彦(36)
- 特別支援教育からの転校・転籍(48)
- 分けられること(67)
- ふつう学級の良さは学校を終えてからの方がよくわかる(14)
- 膨大な量の観察学習(32)
- ≪通級≫を考えるために(15)
- 誰かのまなざしを通して人をみること(133)
- この子がさびしくないように(86)
- こだわりの溶ける時間(58)
- 『みつこさんの右手』と三つの守り(21)
- やっちゃんがいく&Naoちゃん+なっち(50)
- 感情の流れをともに生きる(15)
- 自分を支える自分(15)
- こどものことば・こどものこえ・こどものうちゅう(19)
- 受けとめられ体験について(29)
- 関係の自立(28)
- 星になったhide(25)
- トム・キッドウッド(8)
- Halの冒険(56)
- 金曜日は「ものがたり」♪(15)
- 定員内入学拒否という差別(88)
- Niiといっしょ(23)
- フルインクル(45)
- 無条件の肯定的態度と相互性・応答性のある暮らし(26)
- ワニペディア(14)
- 新しい能力(28)
- みっけ(6)
- ワニなつ(351)
- 本のノート(59)
バックナンバー
人気記事